17. トルシェと魔力贈与
全てが焼き終わった頃には日差しが入り、明るくなってきていた。
いい天気だと窓を開ければ、噴水のある庭が見え既に庭師の男性が作業をしているのが見える。
当然だが、お城では沢山の人が働いているんだと沁み沁み感じていると彼の視線がこちらへと向く。
視線が絡み合うと軽く会釈をされ、同じように会釈を返せば地面に落ちていた剪定鋏を手に取りこちらへと歩いてきた。
「おはようございます。ナタリィ様ですよね?こんなに朝早くどうされたのですか?」
「おはようございます!変な時間に寝てしまったので目が冴えてしまって…パンを焼いてみたんです。もし良かったら食べませんか?」
「い、いいんですか!?」
「むしろ食べて頂けると嬉しいです。」
バスケットに盛っていたパンを持っていけば、その中の一つでチョコチップを手に取った。
控えめにいただきますと言ってから口に含む彼を固唾を呑んで見守る。
味見済みではあるが、アンバードの人々の口に合うかはわからない。
「…どうですか?苦手だったら…。」
「美味しいです!これどうなっているんですか!?僕はあまり魔力が多くないので、剪定した後はすごく疲れてしまうのですが、とても身体が軽くなりました!」
「良かった…。私も魔力は全然ないんですけど、生地に練り込んでいるんです。それが少しお役に立てたのかもしれませんね。」
「もう一つ頂いても?向こうに僕と同じ庭師がいまして…。」
「一つと言わず良ければこのバスケットごと貰ってください。」
「え!?こんなにたくさん良いのでしょうか…。」
「はい!」
ナタリィが持っていたバスケットを手渡せば、嬉しそうに満面の笑みを浮かべてお礼を言う彼。
その後ろ姿を見送っていると背中に人肌を感じ、抱き込またのだと理解した。
揺れた銀色の髪が視界にちらりと入り、想像していた人物と違ったことに驚きながらも、平静を装って声をかけてみる。
「トルシェ様?どうかされましたか?」
「…少しだけ。」
「?」
「…少しだけこのまま…。」
鼻先を肩口に預け、浅い呼吸を繰り返しているところを見ると魔力を使い過ぎたのだろう。
アントニオとウルフラムが暴走したせいで三大国家の二つであるカーネリアとヘリオドールが壊滅状態になったため、今が攻め時だとあちこちで争いが起きていた。
アンバードもまた三大国家の一つで唯一被害を免れたとはいえ、あまり褒められた状況ではない。
諍いの種になるからと魔力に頼らないよう剣術を主として鍛えられた兵士だけでは今回の争いに対処しきれないと自ら最前線に立って防御壁を展開しているが。
話し合いで解決を求めても血走った目をする彼等に通じるはずもなく、国境から攻められないようにするのが精一杯で、自分の不甲斐なさに腹が立った。
魔力切れの身体を心配され、ガルシアと交代して一度戻ってきたのだ。
他国民である彼に頼り続けるなど、本来なら許されるはずもないと足早に目的地を目指していたが。
鼻腔を擽る良い匂いと聞こえてきた楽しげな声。
こんな早朝に行動しているのは庭師と執事くらいのものだが、聞き覚えのある声に厨房を覗き込めば、あの時感じた少女らしからぬ表情を浮かべ庭師を見送っているのが見える。
衝動的だった。
疲れ切った身体が亡き母の面影が映る彼女を抱き込むことを求め、抵抗されることのないまま時間が過ぎていく。
「…嫌がらないのですか。」
「嫌がる理由あります?」
「…貰っても?」
「どうぞ。皇子様の御口に合うかどうかわかませんが…。」
やっと離したトルシェは手を洗ってから天板に置かれたままの一つを取り口に含んだ。
…美味しい
無意識に出た言葉。
そして庭師の彼が言ってたように疲れが取れるような感覚に半信半疑だったこともあり、驚いて目を見開く。
国にある霊泉ですらここまでの効力を持っていないだろう。
「これはどうやって…?君の魔力は微力なのに…。」
「私の家、パン屋を営んでいて生地に魔力を練り込んで作る手法を取っているんです。」
「それは発酵を促すためのものですよね?練り込んだ微量の魔力だけで回復効果を持つなんて聞いたことがありません。」
「回復効果なんてありませんよ!ただ、私が出来る事といえばパンを作ることくらいで。少しでも食べた方が元気になれるようにって願いを込めて作るだけです。」
「願い…ですか。」
「美味しいものを食べたら気持ちだけでも疲れから開放されると思って…。」
「…違う。」
「え?」
「これは明らかに魔力回復が付与されたもの。…本当は何者だ?答えようによっては君を…。」
そういった彼だったが意識を保つのが限界だったのか。
その場に倒れ込んだ。
何が起きたのか一瞬理解出来なかったナタリィも流石に焦ったのか。
わたわたと慌てながらも基礎魔法を使って自室になりつつある客間のベッドに運び込む。
既に呼吸の乱れつつある自らの身体は煩わしいが、今はそれどころではないとトルシェの服に手をかけた。
少しでも呼吸が楽になるように上まできっちりと止められているボタンを外していけば、眉間に寄せられた皺が少しずつ緩んでいく。
「…明らかに魔力の使いすぎだよね。どうしようかな。3人がいれば簡単に何とかできるんだろうけど…。」
真っ青な顔をした彼に意を決して軽く手を当て、術式を展開していった。
魔力量の多いものであれば、こんなまどろっこしい方法を取ることなく使用できるのだが、生憎ナタリィにはこの方法しかない。
魔力贈与
そう小さく呟けば彼女の身体を包むように現れた緑色の魔力はゆっくりトルシェへと流れ込んでいく。
役に立つほどの魔力量は持っていないが、安らかな休息が取れるいくらいまでなら回復させられるはずだ。
そう思って始めたものの、思っていた以上に魔力の消耗が激しく30分ほどで力尽きてしまった。
喉を燻る感覚にここでは彼を起こしてしまうと部屋の外へ出ればタイミングを見計らったかのように咳き込む。
ちょっと頑張りすぎたみたい。
扉に預けていた身体がずるずると下がる感覚を他人事のように感じながら遠くなる意識に逆らうことなく目を閉じるのだった。




