Y and S
標的型メールは怖いですね
「すみませんっ。・・・っほんとうに・・っすみませんっっ」
もう何度目かわからない昴の謝罪を右から左で聞き流して、古牧湯史郎は眉を寄せながら、骨ばった手でマウスを動かす。
古牧のロマンスグレーの髪は短く刈られていて、精悍な顔つきは年月を経ても清潔感がある。白衣を着ているわけでも背が高いわけでもないが博士と呼びたくなる威厳と、うさぎ柄のスリッパを履くユーモラスさがあった。
「けど、おかしいねぇ。どこも異常がないなんて。感染していなかったのかな?」
アリスがアラート音を発して、固まったまま動かなくなったのは今朝の出来事だ。
アリスを調査するために立ち上げた昴のPCがマルウェア、俗に言うウィルスに感染していると判明したのが数時間前。
これはアリスも感染しているのではと、慌ててアリスを確認をしてみたものの、ウィルスが侵入したような明確な痕跡は見つからなかった。
「アラート鳴ってたよねぇ? うーん、誤作動? こんなに近くにウィルスがあって? 不幸中の幸いなのかなぁ・・」
「・・・すみません」
聞き間違いだったのかと、昴に話を振っても返ってくるのは謝罪ばかりで。
湯史郎は嘆息をひとつ付いてから、努めて明るい声をかける。
「もう良いって。これに懲りて、見知らぬ添付ファイル開いたり、wifiに繋いだままローカルネットワークに接続しないでくれれば」
「・・・すい・・・・」
途中で口を噤んだ昴に優しい笑みを向けて、アリスの調査を切り上げる。
「まぁ、これなら大丈夫だろう。良かったよ」
昴のPCはまだしもIOTロボットのアリスは、パスワードとデータを奪われたら最後、初期化するしか方法がないという状況だった。
「ミライは厄介なウィルスだからな。これは亜種みたいだけど」
今まで蓄積したデータが消える初期化はAIに取って死に等しい。しかもアリスにはバックアップが存在せず、元に戻すのは不可能に近かった。
「ウィルスなんて、なんで世界にあるんですかね」
「はは。それは色んな人が居るからねぇ。良いも悪いも技術は使う人次第さ」
「そう・・・ですかね」
「そうなんだよ。ウィルスには悪いって感覚はないだろうからね。造られたままに忠実に動いているだけさ」
悪に染まらないよう誠意を尽くすのが技術者の責任だ。それを放棄して私利私欲にウィルスを使った人こそ古牧は許せなかった。
そしてそういう輩は大体しつこいものだ。明らかにこの場所を狙って仕掛けられたウィルスでもある事だし。
「・・また攻撃されるかもしれないなぁ」
「えっ?」
「いや、何でもないよ。昴のパソコンも無事に復旧出来て良かったな。大事にしてるんだろう?」
「・・・・は・・い。親父に貰ったもんでも、このパソコンには罪はないはず・・って思ってて。・・すいません」
「まぁたぁ、謝ってる! 本当に謝罪したい時に言葉がなくなっちゃうぞ」
「・・っでも。」
「こういう時はなぁ、お礼のひとつでも言っておけばいいんだ」
「じゃあ? ありがとう・・ございます」
「そうそう。そっちの方が、遥かにすっきりする。さぁ、お腹も減ったし、お昼にしよう」
せっかく復活した昴をまた気落ちさせては大変だと話を逸らす。
「こないだ食べたロコモコだっけ? あれ美味かったな。また作ってよ」
「あれは結構面倒臭いんですよ。仕方ないなぁ」
と言いつつ、いそいそとキッチンに向かう昴と古牧の背中を水色の瞳をしたAIが見つめていた。
続く予定ですが、章は変わります。