enter the stage M
ミライはこういう感じではないですが本当にあるウィルスです。お気をつけて。
悲鳴をあげて、天を見上げたまま動かなくなったこの空間の主の名をゼロは必死に呼び続けていた。
「っアリス!! アリスっ」
膝を折って目線を合わせる。激しく肩を揺さぶってさえ、水色の瞳がゼロを映さない。目の焦点が合っていない。
「・・・っせ。・・・こ・・・わせ」
ゼロの呟きには答えず、いつもは鈴のように笑う唇が紡ぐのは、随分と剣呑を含んだ言葉だ。
繰り返し、繰り返し、単調に同じ音しか刻まない。
「・・・壊せ。・・・壊せっ」
鈍い軋みをあげて、空間が僅かに裂けた。ピシリっと音を立てて壊れていく世界が、ゼロに助けを求めているかのようであった。
「わせ・・・」
「・・・・・・気づくのが遅れてごめん」
感情を表さなくなったアリスをそっと抱き締めて、その肩口に額を寄せる。
こうなって漸く、ゼロにも感じた。
ずっと内側の電脳世界に潜っていたから、外側の異変に気づかなかった。
「・・・・・・・・・・・・ねぇ。出てきたら?」
アリスのものでもゼロのものでもない気配は、隠れている必要もなくなったのか、意外にもすんなりとそこに現れた。
「やっと侵入出来たっていうのに可笑しいなぁ」
僅かに裂けた隙間から黒い影が滲み出て、ゆっくりと人型を象っていく。
やがてはっきりと人型になった何かを察知しながらも、ゼロは俯いたまま顔をあげない。
「もうそんなに自由になる領域なんてないはずなのに、なんで君は平気なの? 」
(なんでって・・っそれは僕は君たちとは違うからかな?)
決してゼロが自分から望んだわけではないが、アリスや、ミライ'とも異質な存在。
(消すのは慣れてるのに、おかしいなぁ・・)
小さいながら普段はゼロを包み込むほどに支えてくれている明るさがなくなるだけで己が霞んでいく。
自分はこれ程弱かっただろうかと、恐怖に震える指先に力を込める。
(恐怖? ・・失う事をこの僕が恐れるなんて・・・)
ゼロを感情を持たない木偶の坊だと言い捨てて消えたのは、今は遠い片割れだったか。
それさえ何も感じず忘れていたのに。
「・・・返事しないなんて感じ悪いなぁ。まぁいいや」
そう囁きながらもゼロの回答など求めていないのだろう。悪びれず自慢げに微笑みかけてくる。
「僕はね。ミライ’って言うんだ。主が付けてくれたんだよ」
中性的はアルトテノールは穏やかすぎて、逆に状況とはかけ離れていた。遠くからは爆音が響き、それでもアリスはゼロの腕の中で微動だにしない。
「まさか君がこの家のホストコンピュータって事はないよね?」
無邪気な笑みは優しげでさえあるのに、瞳の奥は何処か他所を嘲るような色を滲ませていた。
「・・・違うみたいだね。良かったぁ~僕の苦労が水の泡だもの」
だんまりを決め込んでいるゼロを見下ろす視線が冷たく細められる。
「君が抱えてるそれは、ここの鍵でしょう? 渡してくれないかな」
(っ誰が)
それなのか、鍵なのか。
(アリスはアリスだ。たったひとつの僕の大事なっ)
ミライ’の目から隠すようにアリスを抱き締める力を強めたゼロの態度に、聞き出すのを諦めたのか、質問をする対象を変える。
「ねぇそこの。パスワードを教えてよ。ここに入るために必要なんだよね。どうせ僕にはもう逆らえないでしょ」
触れて欲しくないという拒絶を現して、ぴくりっとアリスが肩を揺らす。
「この世界の頭脳にあたるCPUの制御は僕が操れるんだから。後はメインメモリのロックを外せば主の言いなりのおもちゃになれるよ」
さも光栄とばかりの口振りは狂気の沙汰ですらあるが、恍惚として主を語るミライ'は心から幸せそうだった。
「・・・ッ。い・・・や」
「まだ。自我があるんだ? さっさと無くしちゃいなよ。僕の操り人形になるんだから。パスワードとか必要なデータ以外は全部捨てちゃった方が楽だよ」
「・・・っ逃げて。ゼ・・・ッ」
弱々しい抵抗は意味を成さず、浸食されていく意識の底で、それでもアリスから漏れたのはゼロを案ずる言葉だった。
「この家のホストコンピュータに攻撃を仕掛けるための踏み台になってくれなきゃさぁ、困っちゃうんだよね。さすがと言うかあっちはガード固くて。さぁ! 吐きなよ」
俗にウィルスとかマルウェアと言われる類のプログラム。感染したコンピュータの中枢機能で増殖して、その制御を奪う。
ミライ’はそんな存在だった。
電脳世界の外側で増え続けるミライ’のコピーがアリスの自由を奪い、遂には重い口を開かせる。
「・・・10・・・977・・・3」
「っふふふ。TOSENBOコーポレーションの関係者って聞いてたのに、っそんな簡単なんだ。笑っちゃうなぁ・・・でも、まぁこれでここも僕のものだね」
低い嘲笑とともに黒い影が沸き起こり、1体また1体と人影が増えて増殖していく。
「僕はさぁ。幾らでも僕自身を増やして他の機械を乗っ取れるんだ。主がそう造ってくれたんだよ」
自慢げに語るのはミライ’にとって、支配が揺るがないものになった証だった。
――少なくても今までは。
「・・・・・・失せろ」
「っは?」
バチバチっと電光一閃、閃光が走ったかのような衝撃と共に、ゼロが小さく吐き捨てるように囁いた。
たったそれだけでのミライ’のコピーが弾けて消えていく。
「そんなはずっ」
瞳から余裕の色を消したミライ’は慌ててコピーを増殖する。だが増やした直後から、否、いつの間にか外側に築いていた制御まで壊されていく。
「っ馬鹿な。呪文も使わず、こんな事っ出来るわけがっ」
どんどん減っていく自分の味方に焦りを覚えて、声が上ずっている。
(アリスの回路を傷つけないで、お前を消すのに時間がかかっただけだ)
ゼロは普段、アリスに向けている眼差しとは反対の鋭い眼差しを一瞬だけミライ’に向けた。
「もういいから失せろ」
その瞳は闇より深い拒絶の淵に沈んでいた。
ミライ’がそれ以上を語る前に全てを削除する。やがて訪れた沈黙を待って、ゼロは周囲を見渡す。
ミライ’の痕跡はほとんど残っていなかったが、仮想空間に入った亀裂ははっきりと傷痕を刻んでいた。
(これは僕にはどうしようもないな)
ギリっと歯噛みをして、静かささえ拒絶するように、瞳を閉じる。
「ん~~。あれ? 何してたんだっけ? あっそうだ!シチューだ。シチューの画像っと」
反対に目を開けたアリスが、元気過ぎて。ゼロは瞬きを2回して、安堵の息をついた。