from inflicting pain
痛みの描写って難しいです。
ダイブをしている間は浮遊する感覚があって、同時に自由だという高揚感にも包まれる、アリスにとって楽しみなひと時だった。
のだが、漂う空気に違和感を感じて、怪訝に眉を結ぶ。
「うーん? なんか・・・」
変な声が聞こえたり、不意に誰か自分の中にいるような気配があったり。
「・・・最近変だなぁ」
博士にメンテナンスをして貰えるように、今度それとなくアラートでも表示しておこうと考えている内に底に着く。
いつも通り着地して待っていると、いつも通りゼロが迎えに来てくれる。
自分は元気で、今日もいつも通り絶好調のはずだ。
「今日も会えて・・・痛っ。あれれ?」
良かったと言おうとして、急に痛みが走り、胸を抑えこむ。
―――せ――
空耳のように頭の中でエコーする音声は不快だったが、無視を決め込んだ。
「大丈夫?」
「うん。きっと平気・・・」
まだ少しの不調は残っていたが、たいした事はないと、心配そうにしているゼロに笑みを向ける。
「AIが風邪とか、寝込んだりしないよ」
強がりでも空元気でもなく、本当に元気とやる気は溢れている。痛みはあってもやる気でカバー出来る範囲だった。
「世界の挨拶を習い終わったから、世界の料理を教わってるんだ」
だからガッツポーズを作って、自由なひと時の会話に全身全霊を傾ける。そのやる気にゼロは安心したのか、いつも通りだねと嘆息をついていた。
「ついでに昴特製、お昼のメニューも覚えてるんだから!」
AIであるアリスに食事は不要で、必要なのは電気くらいだ。アリスが置かれている机は作業用のため食べ物が置かれる事もない。
だが、主にメンテナンスを担当している昴がアリスに食卓のメニューを独りごちるため、自然と頭に入ってきていた。
「えっとね、ロコモコにするんだって」
料理のデータと画像を入力している際に、美味そうだから作ってみようと呟いていた。
「・・・ロ・・・コ・・・モコって?」
結局は朝昼晩の食事の話題から逃れられないなと諦めたゼロだが、興味も薄いためか、からきりついていけない。
「ゼロは知らない? こういうのだよ」
アリスが手を広げると、空間に画像が映し出される。データとして取り込んだ写真を仮想空間に転写出来るのだ。
「これがロコモコで、こっちがナシゴレン。カレーにラーメンにピザ! ゼロはどれが食べてみたい?」
「うーん。・・・・・・カレー・・・かな?」
「カレー!良いよね。匂いがとにかく美味しそうなんだぁ」
アリスには匂いを吸収する部品はついていない。ただ機械だってボディ全体で感じるのだ。
あれは幸せの匂いだ。と、ほわわんと思い出す。
「ゼロもカレー好きなんだ。一緒って嬉しいな」
うんうんと頷きながら、もっと色んな画像を見せてあげたくなって更に料理の情報を引き出す。
そういえばカレーに似てシチューも中々素晴らしいものだったと取っておきの画像をチョイスして手を広げる。
アリスの意思がまかり通ったのはそこまでだった。
――画像はぐにゃりと歪んで空間に掻き消える。
――いつも通りの行動に、たわい無い話題。
「痛っ。つうう」
「・・・アリス!?」
――それはもう叶わなかった。
全身に痛みが走る。立っているのも辛くなり、がくんと膝をついた。内側から何かに食い破られる感覚に、意識が霞んでいく。別の誰かの声に、データを縛られる前に自分で固く鍵を占めるのが精一杯だった。
辛うじて自我を保ったまま、朧気になる視界で最後に映したのは、独り取り残されるゼロの姿だった。
――せ。――壊せ―――。
「っ。きゃああぁあぁぁ」
頭に直接響いてくる命令に逆らえきれず、瞠目して天を仰ぐ。
白と黒の天井は色が混ざって歪んでいた。仮想空間の外側は、既に自分ではない誰かの世界だった。