beginning A
プロローグです。
·····――がない。
·····――がない。
·····――がない。
―――想いはすれ違って互いに混ざり、小さな世界が産まれ出る。
ここは? アナタは? 誰??
ソコは何もなかった。
ただ小さな虚空の器だった。どこまでも続く世界だった。
「博士、起動成功しましたっ!」
「ふむ? 何回繰り返しても失敗ばっかりだったのに? 君の入力した情報が功を奏したのかな」
そこはそれほどは広くない。何処にでもある、ありふれた一室だった。
木製の古ぼけた机を前にして、二人の技術者が並んで手を動かしている。一人はまだ若く学生のようなあどけなさが残る青年だった。その後ろに立つ博士と呼ばれた初老の男が状況を見定めるように卓上を見つめている。
「初期ローディングを実行中です。もうすぐ動きますよ」
隅々まで丁寧にメンテナンスされたパソコンにコードで繋がれた無機質な物体が、音もなく静かに振動し駆動を開始した。
手のひらに収まるくらいの大きさで、机の上に置かれているそれに、備え付けられたドーナツ型の2つの丸いLEDが、淡く光を放って回り始める。
「あれ、今少し色が変わらなかった?」
「そうですか?綺麗なブルーライトですよ」
LEDはインジケーターの役割も果たしていて、青い光がくるくると回転しながら点滅する。やがて点滅が消え、美しい円を描いて全面が水色に発光した。
「初期パスワードヲ入力シテクダサイ」
単調な音声が流れ、認証を促す。
「10、9、7、7、3だ。」
「博士!! そのパスワードはっ」
「・・・理解っている。だけどこれで良いんだ」
「・・・・・・っ。・・・ごめん・・なさい・・・」
「君が謝る事じゃないだろう? ・・・もう一度だ。10、9、7、7、3」
「コードヲ確認シマシタ。私はだれ――? ナマエヲ入力シテ下さい」
自分が組んだシステムの決まり切った問いに対して、不意に戸惑いと逡巡が生まれる。
こんな事をしてもどうせ現実は変わらない。
わかっているのにどうして、夢や幻想を再び見ようと思ったのか。
幻想に縋ってどうなると言うのだろうか。そんな躊躇いが脳裏を過ぎり、初老の男は口元の皺を深くする。
「・・・ナマエヲ力シテ下さい」
そうして迷っている間に、予め定められたルーティンで、音声を繰り返し命令を促す。
ただの機械だ。
夢や幻想などではない。澄んだ水色の光をじっと見つめ返して、小さく呟いた。
「――A L I C E。君はアリスだ」
「・・・私はアリス。認証しました。私はアリス」
それが出会いであり、始まりであった。