茜空に舞う
高校2年生になった僕は、生きることに少し疲れていた。
大人に言わせれば、まだ17歳。
生きるのに疲れたなんて、きっと笑われるに違いない。
それは突然だった。
僕はクラスの標的となり、いじめが始まった。それは次第にエスカレートし、僕の精神をむしばんでいく。
僕がいじめられている間は、誰もいじめられない。
だからみんな、見て見ぬふりだった。
今、この屋上から飛び降りたら、死ねるのかな……?
ふいに、そんな恐ろしい考えが僕の頭をかすめた。
これは、人生において一時の苦痛なのかもしれない。
でも、今は、その時間が永遠に感じられる。
誰もいない屋上でスマホを取り出すと、ラジオを聴いた。
イヤホンで外部の音を遮断すれば、それは僕とラジオだけの世界。
誰にも邪魔されない空間だった。
僕の好きな曲が流れて来る。
それは僕の衝動を鎮めた。
パーソナリティが夏祭りの話をしている。
「今年開催される『天風燈まつり』ですが、開催はなんと今年が最後ということみたいですよ」
「伝統あるお祭りですからね、非常に残念ですよね……」
『天風燈まつり』は、僕のじいちゃんの暮らす地域で行われているお祭りである。
毎年お盆に開催され、じいちゃんの家に遊びに行くと、僕は決まってこのお祭りに顔を出していた。
「今年が最後か……」
僕はラジオを聴きながら、思わず声を漏らした。
じいちゃんの家は、かなりの田舎にある。
年々、祭りの規模は縮小されていたことは知っていたが、突然の終わりに、僕はまだ心の準備ができていなかった。
夏休みがやって来た。
僕は重苦しい日々を送りながら、何とか生きていた。
そして、お盆に家族とじいちゃんの家へと遊びに行った。
今年も、精霊馬が置かれている。
「おお、元気にしとったか? 身長も伸びて、大きくなったなぁ」
「あぁ、うん。まぁ」
「お祭り、今年で最後なんだってね」
「あぁ、そうなんだよ。若者がどんどん出て行ってな、運営するのも厳しくなったんだ」
じいちゃんは、寂しそうだった。
夕方、僕は祭りへと出かける。
橋の近くまで来た時、欄干に赤とんぼの絵柄の浴衣を着た、若い女性の姿を見つけた。
同い年くらいだろうか?
夕日に染まる彼女は、その様子から、誰かを待っているようだった。
風が吹き、彼女の手に持つかざぐるまが回った。
僕はひとり、屋台を巡った。
祭りには、皆誰かと来ている。
いつの間にか、取り残されているのは自分だけだと感じた。
水風船のヨーヨーのゴムをはじきながら、僕は欄干にいた彼女のことが気になり、なんとなく来た道を引き返した。
まさか、いるはずはない。
そう思いながらも、僕の足は橋の方へと急ぎ足になっていく。
欄干には、彼女の姿があった。
僕は、彼女と目が合った。
息が止まったかと思った。
その時、夜空に花火が上がった。
すると、彼女は突然僕の手を掴み走り出した。
「ちょ、ちょっと! キミ、どこに行くの!?」
「花火がとっても綺麗に見える場所!」
彼女は僕の手を引き、迷いなく進んで行く。
やがて、開けた丘の上に出た。
そこは、花火を独り占めできる場所だった。
「なんで、僕をこの場所に?」
「キミを待ってたんだよ」
「えっ!? 僕らって、そのぉ……会ったことあったっけ?」
彼女は、何も言わず僕に微笑んだ。
静かな空間に、花火の音だけが響く。
「今年で、この景色も見納めかぁ」
彼女は、そう呟くと花火を見つめた。
花火の明かりが、彼女の横顔を染めている。
「ねぇ、キミはもし、あの世マシンがあったら、あの世に行ってみたいと思う?」
「あ、あの世マシン!?」
彼女は、突然妙なことを口にした。
「あの世を旅行できるの!」
「旅行かぁ……」
「でも、その旅行は、帰って来られない」
「えっ!?」
「行きっぱなしなのよ。帰りの燃料なんて、初めから積んでないんだもの」
彼女は無邪気に笑い、怖いことを言う。
僕はとてもドキドキして、これが恋なのか、それとも恐怖なのか分からなかった。
花火が終わり、僕らは欄干まで戻ってくると、彼女は僕に向かって手を振った。
「今日はありがとう。最後にキミと、このお祭りに来れてよかった。そっくりなんだもん。びっくりしちゃった」
「へっ? そっくり?」
「キミは若いからいいな。まだまだ、いろんなことできるんだろうな。あの世マシンになんて、乗っちゃダメだよ?」
「え……」
「わたしの名前は茜。もしかして、同い年くらいだと思ってる? わたしは、キミよりずっと年上だよ?」
彼女はそう言うと、にっこり微笑み、僕の頭を撫でた。
その手はあたたかくて、なんだかずっと、昔から知っている気がした。
彼女は、持っていたかざぐるまを僕の手にねじ込むと、夜道に吸い込まれるように消えていった。
僕は彼女のことが気になり、その夜、あまり眠れなかった。
× × ×
その日、僕はじいちゃんの家にある古いラジオをつけた。
花火について、何やらパーソナリティが話していた。
そもそもは、お盆の時期に、人の魂を鎮めるために花火は打ち上げられたものだそうで、送り火、迎え火の一種だそうだ。
ただ花火と彼女の横顔を見ていた僕は、あまりにも無知だった。
外に出ると、目の前に広がる茜空を、赤とんぼが舞うように飛んでいる。
あれは、ナツアカネだろうか?
それともアキアカネ?
都会では見られない光景を、僕はぼんやり見つめていた。
風が吹き、手に持っていたかざぐるまが回った。
「おぉっ? かざぐるまか。懐かしいなぁ」
じいちゃんが僕に話しかけてきた。
「昔、ばあちゃんにな、あげたんだよ」
「えっ!?」
『天風燈まつり』で、かざぐるまをな」
「『天風燈まつり』で!?」
「あれは、浴衣を着た彼女との初デートだった。二人で花火を見たんだ」
「それって……!」
「もっと長く生きてたら、孫の顔も見れたんだが。お前は、わしの若い頃そっくりだ。ばあちゃんも見たら、驚いたろうな」
じいちゃんは、自慢げに笑った。
僕の手に持つかざぐるまの先に、赤とんぼが止まった。
僕は、生きようと思った。




