第6話 二日目の朝
背中合わせにいるであろう思春期の男子に、薫の方から声をかける。
「綺麗になりました?」
「は、はい」
どもり気味に返ってくるラオフェンの声。
二人はそのまま互いの体は見ないようにして、ラオフェンの火の魔法で衣服を乾かし、最低限の場所を隠した後にようやく向き直った。
「あら、こんな美少年だったなんて」
綺麗になったラオフェンは、焦茶の髪と赤の瞳を持つ美少年へと変貌していた。
「レイこそ……」
照れたように呟くラオフェン。
薫はそのまま彼の体に目を落とした。
体の線は細く、一体どこからあの怪力が生み出されるのか分からないほど――そして一番目を引くのが、右胸から肩にかけて刻まれた何かの紋様だった。
「……気になりますよね」
寂しそうに笑うラオフェン。
その態度からは、聞かれたくないという気持ちが滲み出ていた。
「そのうち話してください」
掘り下げるべきではない。
そう察した、薫はこの話を終わらせたのだった。
「と、暗くなってきましたね」
空を見ながら薫が言った。
気付けば日もどっぷり暮れ、辺りは夜の闇に包まれていた。
夜の森は色々な音がする。
虫の音、鳥の声、葉の擦れる音、川のせせらぎ、風の音――しかしそれに混じって魔物の声が聞こえるようで、薫は思わず身震いした。
「疲れたでしょう。どうかゆっくりお休みになってください」
ラオフェンは微笑みながらそう言った。
「休むって、見張りなら交代制にするのが一般的でしょう? 何時間交代にしますか?」
そう答えた薫に首を振るラオフェン。
「互いに戦闘能力や索敵に長けているならそうですが、お気になさらず。今の俺なら一週間でも、寝ずに戦うことができます」
流石に見栄を張りすぎだと薫は思った。
とはいえ自分が見張りをやっても、結局ラオフェンを起こすことになるだろう――と、自分の無力さも痛感していた。
もごもごしている薫を見かねたのか、ラオフェンは困ったような笑みを浮かべ、続けた。
「なら俺が先に見張りをやりますので、今は休んでください。時間を決めて起こしますから」
もちろん彼に起こすつもりはなかった。
しかし、薫はその気遣いに気付かず、ふらふらと木の陰にもたれかかる。
「ではお言葉に甘えさせていただきます……」
彼女の体は疲労のピークに達していた。
自分の体は死に、異世界転生を果たし、魂だけの存在となり、少女の死を看取り、少女に転生し、路地裏の難民達を治してまわり――
今日一日で文字通り世界が変わったのだ。
疲労までは治療で治すことができなかった。
もう開かない瞼で、ラオフェンがいるであろう方向に顔を向け、小さく頭を下げた。
「おやすみなさい、ラオフェン」
「おやすみなさい、レイ」
短い挨拶の後、薫の意識は一瞬にして暗転した。
◇◇◇◇◇
『俺はヴィクセン! お前は――?』
「ん……」
体を起こすと、そこは薄暗がりの森の中だった。
見慣れた部屋とかけ離れた光景に軽くパニックを起こしつつ、昨日のことは夢じゃなかったんだと落胆し、薫はようやく意識を覚醒させた。
(夢といえば、妙な夢を見たような)
そんなことを考えているうち、向かいに座る少年と目が合った。
「おはようございます、レイ」
返り血で染まった少年が笑いかける。
薫はその有様を見渡した。
「おはようございますラオフェン……ごめんなさい私、朝まで起きられず……」
眼前で無数に転がるのは魔物の遺体だ。
どれもが炎に焼かれ、消し炭となってそこにある。
その数の多さたるや尋常ではない――それだけラオフェンは魔物と対峙し、討ったということになる。
(こんな中で爆睡してたなんて)
平和ボケした自分の愚かさと、ラオフェンの強さを再認識する薫。
「休める時に休めるのも才能ですよ。それに、ここいら一帯の魔物なら相手にならないと分かったのもひとつ収穫です」
袋をじゃらじゃらと揺さぶるラオフェン。
その中には大量の魔物の素材がごっちゃになって入っていた。
彼の拳は自分の血なのか魔物の血なのか分からないほどに、どす黒く変色していた――弾かれたように治療を試みた薫を止める。
「全部返り血なのでご安心ください。怪我一つ負っていません」
「この数を相手に無傷だなんて、ラオフェンは本当に強いんですね」
「小さい頃から魔物退治ばかりやっていましたからね。故郷周辺の方が魔物は強く、大きかったです」
懐かしむように目を細めるラオフェン。
「出身は王国じゃないんですね」
「ええ。北の果てのレクディウスが故郷です」
ラオフェンは少しだけ間を置いて、つぶやくようにそう答えた。
「あ……」
薫はここで大臣の言葉を思い出した。
『レクディウスも滅亡した。事態は一刻を争うため、約300年前にも行われた魔王を討つための力、召喚魔法を行使するに至ったのだ』
薫達が呼び出されたキッカケとなる事件こそが、レクディウス――ラオフェンの故郷の滅亡だったのだ。
「ごめんなさい、軽率でした」
「謝らないでください。レクディウスは負けてしまいましたが、まだ人類は負けていない。それに皆の意志は俺の胸の中にありますから」
そう言って微笑むラオフェン。
「強いんですね」と薫が呟いた。
ラオフェンは頷き、立ち上がる。
「さて、体を洗ったら冒険者ギルドに向かいましょうか」
「私が洗ってあげましょうか?」
「け、結構です!」
そんなこんなで森で一夜を過ごした二人は、行きと同じ方法で城壁をすり抜けて、冒険者ギルドへと向かったのだった。