第4話 薫の目標
城壁に備えられた門には番兵がいる。
この門を通らない限り、何人たりとも出入りはできない。
壁伝いに周囲を見渡す子供が二人。
一人は血まみれ泥だらけ。
一人はボロ布を着て死んだ目をしていた。
「ラオフェン。本当にここですか?」
不安げな顔でそう尋ねる薫。
少年は自分を「ラオフェン」と名乗った。
ので、薫はとっさに「レイ」と名乗った。
霊体から始まったから「レイ」。
我ながら適当だなと薫は心中で笑った。
「ありましたよ」
ラオフェンが振り返る。
そこは、枯れた木が生えているだけの何の変哲もない場所だった。
ラオフェンが木の近くにある壁を弄ると、ゴゴと、石材の擦れる音と共に城壁を成す石の一部が押し出されてゆく。
「全てを諦めた者が通る脱出口らしいです」
穴の向こう側を確認しながら、ラオフェンが続ける。
「と言っても、ここから出る人なんてそうそういません。皆分かってるんです。どれだけ貧しくても城の中にいた方が安全なことを」
スラム街は地獄だが、城壁の外は正に死地。武力を持たない者が出れば、たちどころに魔物の餌食となるのである。
「やっぱり外は危険なんじゃ……」
不安そうにそう呟く薫。
ラオフェンは微笑みながら「心配要りません」と答え、何を思ったのか、その辺にあった岩に拳を振り下ろした。
凄まじい破壊音と共に岩が砕けた。
割れた、ではなく、砕け散ったのだ。
「力には自信があります」
ラオフェンはそう得意げに笑う。
薫は自分の〝癒しの力〟と同じようなものかと納得しつつ、彼の手を包んで治療を始める。
「分かったのでもう怪我しないでください」
苦笑する薫を見て、ラオフェンは照れ臭そうに微笑んだのだった。
◇◇◇◇◇
城門の外は、少し歩けば森があった。
季節はいまどんなだろうかとか、そもそもこの世界に四季の概念はあるのだろうかとか――自分が世界の常識を全く知らないことに、薫は遅れて危機感を覚えていた。
気温はやや低いが、寒いわけでもない。
少なくとも動物が冬眠する寒さではない。
木々も生い茂っており、小動物をはじめ、野草や果物も期待できる。
「レイ、川がありましたよ」
先を行くラオフェンの声色が明るくなる。
「本当!?」
「ええ、ほらそこに」
そこには綺麗な川が流れていた。
薫は生水摂取の危険性など考える間もなく、両手で掬って口に運んだ。
「おいしい……」
まさに命の水。
こんなに美味しい水は初めてだった。
何度も掬っては飲み、掬っては飲み。
ラオフェンも同じようにして水を飲んだ。
「お腹を壊すかもしれませんね」ラオフェンが言った。
「そしたら私が治してみせます」
二人はクスクスと笑った。
薫は異世界に来て初めて心から笑ったような気がした。
飢えは嘘のように収まっていた――。
◇◇◇◇◇
「貴女は凄い力を持ってますね」
唐突にそう呟くラオフェン。
しばらく水を堪能した二人は、川のせせらぎを聞きながら、ひとときの安らぎを得ていた。
苦笑いを浮かべる薫。
「わかりません。どうなんでしょうね」
「癒しの力は貴重だと聞きます」
それを聞いて、薫はぼーっと天を仰いだ。
この命をどう役立てようか――薫の頭の中は、それだけだった。
『役目の残っている魂はね、神様の所へ行けないんだって』
少女の言葉が蘇る。
(私の役目ってなんだろう)
元々鉄パイプによって一度死んだ身。
それをあの少女が救ってくれたのだ。
「私の命も救われたものだから、この力で同じようにたくさんの人を救いたい」
具体的には――と、彼女はそこで言葉を止めた。
『そしてどうか私のような子を――』
再び少女の言葉が蘇る。
あの言葉に続くのは『助けてあげてほしい』だったのかもしれない。
薫はそう考えていた。
だから、彼女と同じ境遇の孤児達を助けたい。いいや、孤児だけではない、貧しい人々を救っていきたいと考えるようになっていた。
「心身を癒すだけじゃだめ。必要なのは、孤児でも難民でも奴隷でも、お金がなくてもお腹いっぱい食べられる場所。安心して眠れる場所。そして、たくさん学べる場所があるといいと思います……そういう場所を作るのが、私の理想です」
この先戦争が長く続くだけ、怪我人は増え、難民は増え、孤児も増える――そんな人々の受け入れ先を作りたい。
薫はそう理想を語った。
「壮大ですね……」
驚いた様子のラオフェン。
単なる孤児が抱く夢ならば、誰もが鼻で笑うだろう。しかし彼女には奇跡とも呼べる強大な〝癒しの力〟がある。
しばらく黙った後、真っ直ぐな瞳で彼女を見た。
「ならお金を稼がなきゃいけませんね」
「やんね……」
道の険しさに思わず岐阜弁が出た薫。
孤児を雇う店が無いとなれば、一体どうやって稼げばいいのかと。
手っ取り早いのは治療の力で金を得ることだが、金持ちからは料金を取り、難民からは何も取らないなんて商売、成立するのかと疑問が残る。
「冒険者になればいいです」
立ち上がるラオフェンは力強くそう言った。
(冒険でお金が稼げるのかしら?)
薫は小首をかしげる。
彼女が知らないのも無理はない――大臣からは、冒険者なる職についての説明は無かったのだから。
「冒険者に身分は関係ありませんから。必要なのは才能と実力のみです。少なくとも、魔物を倒せれば日銭に困ることはないでしょう」
そう言いながら、分かってない様子の薫に、ラオフェンは冒険者について簡単に説明してくれた。
冒険者達の組織――冒険者ギルド。
名前の通り冒険者専用のギルドである。
登録された者を管理し、時には除名しながら仕事の斡旋を行う場所。
請け負う仕事は多岐に渡り、討伐、護衛など戦闘能力が問われる仕事から、採取といった専門知識を要するもの、清掃といった雑務まで幅広い。
「冒険者登録のお金さえ工面できれば、今後はそこで仕事が受けられるようになりますから」
「へえぇ、若いのにラオフェンは物知りですね」
そんな年寄りめいた言葉をこぼす薫。
ラオフェンは苦笑を浮かべ「小さい時に教わりました」と、寂しそうに答えたのだった。