[作者あとがき]『安寿の計 - La stratégie d'Angel -』を書き終えて
「作者あとがき」なんていうと、お堅いイメージですかね?
いつもどおり、ゆるーくいきましょか( ̄▽ ̄)
まず思ったのは、やっぱり私の書きたいものって、ストーリーじゃないんだな……ということでした。だから、長編連載には向かない。たぶん。
この小説は、森鷗外『山椒大夫』と説経節『さんせう太夫』(私が読んだのは現代語訳でした)の粗筋に沿って書いたものなので、全体のストーリー展開を考える必要がなく、とても楽だった。なんだけど、すごく「書きたいものが書けてる!」という気持ちがあったんです。「ザ・創作してる!」って感じだった。
私は以前から、なにかの創作物から感動を得るとそれを真似したくなる人で、学生時代に書いていた戯曲なんかは筋こそオリジナルだけど、セリフが当時読んだ戯曲からとったものばかりで(公開する当てもないのに、わざわざ著作権切れのものを選んでやってました。あはは……)。
そう考えると、今回のは逆ですね。大筋は変えずに自分なりのことばと解釈で、個々の人物像とエピソードを創作して、大筋に当てはめていったって感じでしたかね。……まあ、ここは『マクベス』を意識してるな、とか……ピンときた人はいるかもだけど。あはは。
私のこのサイトでの初投稿作品『青蛙はもういない』は、私の体験した感情がモティーフでした。最初はそれを映像脚本にしようと思っていて(撮影のあてもないのに、趣味で書いてたんです。)、でもうまくいかずにやめちまって。……それが短編小説『青蛙はもういない』としてできあがったのは、一年以上経ってからですね。ストーリーや青蛙のメタファーも、このときはじめて出てきたんだと思います、たぶん。
ストーリーっていうか……、まあ、同じテーマに沿ったエピソードの積み重ねが、全体としてひとつのストーリー(=筋)になっているわけです。うん、ストーリーは単なるハコ。物語の体裁を整えるためのハコ。ストーリーっていうのは、物語を構成する一要素であって、必ずしもいちばん大事な要素ってわけじゃない。
じゃあ、私にとって物語の要素で大事なのはなんなんだっていうと、テーマ……でもないんだな、必ずしも。
『青蛙はもういない』の場合は、たまたま「かけがえのない失くしもの」というのが割と単純明快なモティーフだったので、これがそのままテーマになった……というか、逆を言えば、このテーマがモティーフだったんですね。
でも、必ずしもテーマがモティーフになるわけじゃない。たとえば、ひとつの思いつきエピソードだったり、「こういう結末書きたい!」っていうストーリー自体がモティーフになる場合もありますね(拙作だと、『藍の傘』とかかな。拙作で途中の描写が荒いのは、たいてい結末ありき作品かも?)。
キャラクターありきって作家さんも多いのかな。キャラクターに合ったエピソードを考えて、ストーリーができあがっていくタイプ。……そして、そういうなんらかのモティーフを元にストーリーを書き進めていくうちに、「こういうテーマを盛り込めるぞ!」って場合もあるわけです。うん、テーマは物語の一要素に過ぎないっ。
でですね、今回の『安寿の計 - La stratégie d'Angel -』は、ひとつのエピソードがモティーフだったの。タイトルにも掲げた「安寿の計」、つまり、安寿姫のはかりごとです。第10部分「別離」・11部分「安寿の計」で描いた安寿姫の算段、そのカラクリの概要を先に思いついたんです(もう二年も前ですかね、PCではなく、当時使っていたルーズリーフにメモしてたから。ちなみに、ほぼ同じ時点で、第8部分「糸紡ぎの晩」と第12部分「二郎と三郎」で触れた二郎と三郎の人物像にかかわる過去のエピソード、その大元もできあがっていました)。
でもね、困ったことに、この最初に浮かんだエピソードって、冒頭シーンじゃないわけで、となるとふだん冒頭から書き始めて演繹法でシーンをつなげていくタイプの私はなかなか書き始める気になれず……、二年経過。わはは。
ってことで、今回はめずらしく、途中から書き始めたのです。第9部分「山へ登る」・第10部分「別離」ですね。で、その前のシーンをいくつか書いて、こんどは冒頭を書いて、第二部分、第三部分……と書いて……、第五部分「新参(二)」を書いたところで、序盤と中盤がつながりました。
こうして書いてみて気づいたのは、書きたいシーンから書くと、描きたい人物像を描きやすいのかもってこと。こういう小説って、物語を描くのと人物を描くのがイコールみたいなところがあるから、「書きたい!」と思ったエピソードは、作家の描きたい人物の魅力が端的に出ているところだと思うんです。
書きたいエピソードを後回しにして、丁寧に冒頭から順々に書いていった場合、作家のあらかじめ想定していたエピソードにそぐわない人物像ができあがることがあると思うんです。演繹法ですから、先に作ったルール(=人物像、バックボーン)に当てはめて、その後のエピソードやその人物の目的や行動が決められるわけですから、最初からなんとなくのイメージがあった書きたかったエピソードのシーンにたどり着く前に、そのエピソードにそぐわない人物像が出来上がっちゃうんですね。つまり、「いやいや、こいつはここでこんな行動しねーだろ」っていう、動機と目的・行動のあいだの矛盾です。
書きたかったエピソードから書いていくと、そのエピソードを軸に逆算して過去・バックボーンを作っていくことになります(帰結点を定めて逆算して書く方法を、演繹法に対して帰納法と言いますね)。このやり方って、慣れないと矛盾や不足に気がつかずエピソードを組み合わせてしまったりすると思うんですが、ちゃんと見直しをして調整していけるのであれば、「自分の描きたかった人物(・エピソード・シーン)を作れる」という点では優れたやり方なんだなと思います。
ひとつのエピソードから広がっていった今回の小説は、そういう成り立ちだから、テーマを決めずに書いたんです。
タイトルを先に『安寿の計 - La stratégie d'Angel -』と決めてしまったから、ハッタリタイトルにならないように、安寿の出てこないシーンでも彼女の存在感を思わせる作りにはしたけれど、この話の軸が「安寿の計」なのかというと、そういうわけでもなくって。
短編集でさ、代表作のタイトルを書籍タイトルに持ってくることってあるじゃない。そんな感じ。特に一貫したテーマがあるとか、「ここが肝っ!」っていうものじゃないのね。
なんでしょね、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、あれを見て、「ここが中心っ!」って言えないでしょう。ああいう、宮廷内の空気をそのまんま描いたような、ひとつの額縁の中に閉じ込めたような感じかしら。あえていえば、それが今作のテーマですね。「叙事的作品」ともいえるかしら?
前にも書いたけど、ストーリー(というか、結末?)を先に思いついて書き始めると、私は描写が荒くなります。たぶん。……私にとって、ストーリーっていうのはそんなに魅力的なモティーフじゃないんでしょう。だから、そのためにいちいちキャラクター作って空気を描写していくのが面倒になる。すべてをストーリーへ帰納させるってのが、なんだか味気ない作業に思えちゃうんでしょうね。
今回は、エピソードを元にできあがったキャラクターを既存のストーリー(=大筋)にのっけて、また別のエピソードを作ってストーリーに沿ってつなげていく……って感じだったから、割と楽しかったです。結局私は、ストーリーとかテーマとか、かっちりしたものではなくて、感情とか人物とか、そういうのを内包する空気とか……そういう、なにかぼんやりしたものを描きたいんだなと、そんな思いをね、今回の執筆を通して、抱いたんですよ。どの要素が先に来て、どの要素がそれを成すための手段になるか……っていう、主従関係の問題なんでしょうかね。
さて、うまくまとまりませんが、今回はここまでとします。
令和元年十一月 檸檬 絵郎