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 現実は王子様が駆けつけてくれるほど都合のいいものではない。ただ、時には平凡な人間でも誰かを救えるのは現実の良いところだ。


「ねえ」

「はい」


 四限が終わると保健室にやってくる平凡な王子様は臆病な目つきでそろそろと扉を潜る。切りそろえられた前髪に弁当箱の入った小さなかばん、それと筆箱とスケッチブック。もうすっかり保健室に来ることはお馴染みになったはずなのに、この国見彗という男子高校生はいつまで経ってもどこか他人行儀だ。


「なんですか?」

「なんとなく、嬉しそうじゃない?」

「そう見えますか?」

「うん」


 昨日の悪夢を忘れさせてくれるような顔は、思わずふにゃふにゃになった頬を摘まみたくなる。記憶を取り戻し始めるまでの香澄が他人との境界線が曖昧な人種だとするなら、彗は他人とはしっかりと境界線を引いてその向こう側から見守っているような人種だ。今も黒縁眼鏡の奥の目は楽しさと臆病が入り混じっている。でも、それもまた香澄には心地の良い距離感でもあった。


「久しぶりに浅間さんとお昼が取れるので」

「ああ、そういうこと」

「いいことですから」

「ずっと昼前には帰ってたもんね」


 治療を始めてからの香澄は、週に何度か保健室に顔を出しては午前中に帰るという一日を繰り返していた。治すのも仕事のうち、というやつだ。人の目を避けるように作られたパーテーションとカーテンの部屋は一人のようで孤独ではない。勉強をしているときに寂しさを感じることはないし、昼は養護の先生か彗と過ごすことになる。カーテン越しに伝わる温もりは急かすこともなく、香澄の傍にあり続けることで支えようとしていた。


「まあ、まだ調子はあんまりなんだけどね」


 人混みは避けろ、というのは久慈丸が言った言葉だ。記憶の混濁に酔った香澄の身体では人が詰め込まれた教室に居続けるのは憚られる。どうせいつかは生き急ぐことになるのなら、今くらいはベランダ越しの空を眺めていよう。


「これからゆっくりと直していけばいいんですよ。僕は待ってますから」

「うん、そうだね」


 本当にこの状態が治る日は来るのだろうか。不安な気持ちは変わらない。

 でも、今は彗がそばにいる。

 香澄はそれを頼りに前へと歩み続けていた。

 それこそが、かつて苦しんでいたころとは違うところだから。


「はい、おすそわけ」

「ああ、どうも」


 弁当のふたにピーマンの肉詰めとミニトマトを乗せて飲みかけのコーヒー牛乳の隣に寄せる。たまごロールのおかずを提供するのがせめてもの恩返しというものだ。香澄の過去を知っている彗は香澄が過去を思い出しつつあるのも承知で見守り続けている。「絶対に、生き続けてください」と久慈丸は言ったが、一人の人間に出来ることは「生き続ける」というより「生き続けるために必要な人のそばにいる」ことくらいなのかもしれない。


「じゃあ、これを」


 律儀にもしっぽの部分をちぎったたまごロールを差し出す彗には優しさとか温もりとかがいっぱいに詰まっている。分け合うことはプラマイゼロではない。分け合えた喜びはいつかまた思い出すだろう。

「彗、ありがとう」

 良くなったり戻ったりの毎日でも、彗は変わらずそこに居てくれる。

 カーテンの内側は静かで、暖かい。

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