16話 神話大戦
大気の異変に気付いた人々が空を見上げる。
青空をバックに舞い降りる美少女。絵になるね。でも、ちょっとマズイか。今の僕は自分の一番楽な恰好、飾り気のない男装をしたままだ。
女の武器を駆使して戦うつもりは無いけれど、さすがにこのままでは女神らしくない。
どうせ姿なんかどうとでも変えられるんだ。
僕は自分の服装を異世界の作り話で見たようなフリフリ衣装に変化させる。念のため、スカートの中には認識疎外の権能を仕込んでおいた。
さて、僕は初手でクルセルクの町を覆う火山性ガスをはらったわけだが、これは大正解だったようだ。
町の人々から僕に向かって信仰心が流れてくる。称賛とか希望とか賛美とかの正の感情だ。不安や絶望を糧とするダル・ダーレ・ダレンへのエネルギーは減る。
ここでただ浮かんでいるだけでも少しずつこちらが有利になる訳だが、どうせだから攻撃を畳みかけて行こう。
僕はバッカス・ユーノクスからクルセルクの大地へ向かう力の流れを視認する。その流れを断ち切りにかかる。
容易には斬れない。
理由の一つはダル神が大地に近しい神だからだろう。アイツのしもべは岩とか陶器とか溶岩とか、そんな材質の奴ばっかりだ。本人も邪神であるのと同時に地の神であるのだろう。もう一つの理由もあるが、そちらは既に対処している。対処が完了はしていないようだが。
「そこで何をしている、フォリン・ユーノクス!」
邪神に取り憑かれたバッカスが声を拡大する魔術を使ってきた。この声はダル神ではなくバッカスの意識だろうと推測する。
僕も同じ魔術を使って返答する。
「邪神に取り憑かれた哀れな領主を解放してあげようと思っていますよ」
「生意気な口を利くでない、わが娘よ」
バッカスの言葉には『わが娘』のあたりに神力がこもっている。
これは親子関係を利用した呪術。僕を『娘』と呼ぶことによって、僕を自分より下に置こうという試みだ。
悪いけれど、その手は通用しない。
「僕の人間の肉体は先ほど滅びました。外ならぬあなたの手の者によってね。よって、あなたとの親子関係はもはや存在しません。ここに居るのは人間のフォリン・ユーノクスではありません。僕はフォリン・リュー・レンライル。大神レンライルの御許におもむき、その養女として認められた者です」
レンライル神との攻防の結果はこうなった。
あの多重の神の『お爺さん』としての性質を呼び起こし、性欲よりも保護欲を優先させた結果だ。もっとも、今はまだ僕が幼いから『養女』としておくが成長した暁には『妻』とする、などと注釈をつけられたが。
あのジジイをシバク方法は本気で考えておかないと。
「かの大神に取り入ったか。小賢しい事よ」
この言葉はダル神かな。
そっちだって根回しは済ませていただろう、という反論は飲み込んでおく。
「そして、バッカス・ユーノクスが邪神のしもべとなった事は神託として国王に伝えました。バッカスの領主としての権限ははく奪されます。ダル・ダーレ・ダレンよ、あなたがバッカスを通してクルセルク領に特権的に及ぼしている力はそのもとから絶たれることになります」
バッカスがこぶしを握ると、それに反応して町のすぐ外で溶岩が吹き上がった。
「まだ、はく奪されていないようだぞ」
「お役所仕事め」
国王が決定を下してもはく奪の手続きをするのは役人だからな。
朝日が昇った直後に手続きが終了しているなんてことは期待できなかったよね。良くて昼過ぎだろうか?
「フォリンよ、天はそなたの支配下にあるようだが、地は相変わらず我が掌握している。我は地の底に封じられ目覚めるとこの世を地獄に変えると謳われる神。ここから、どうする?」
少し困った。
天も地も、クルセルク領のすべてから祟り神を追い出すつもりだったが上手くいかない。
未だに領民たちの信仰心は僕とバッカスの両方に流れている。僕が受け取る希望や信頼と同じく祟り神が受け取る絶望や恐怖も彼の力を高めている。
町の人間はバッカスがダル神の依り代であることを知らなかったはずだが、僕とバッカスの問答を聞いてそのことを認識したようだ。彼らがバッカスを見る目にははっきりとした恐怖があった。
もっとも、恐怖などという言葉とは無縁の者たちもいる。
大剣使いの神の戦士ガイトと少年武士のシキ・タケル。
ガイトはバッカスの居場所である物見台にこっそりと登ろうとしている。タケルは弩に怪鳥の毒矢をセットし狙撃ポイントを探している。
彼らの出番はもう終わったと思っていたけれど、バッカスの肉体を破壊するのは無意味ではない。
僕は彼らの動きを助けることにした。
「こうなったら、直接対決も辞さず、ですね」
僕は自分の外見に片手剣を追加した。
とても目立つ光り輝く剣をもって、ゆっくりと降下する。
タケル少年が僕から見て右側にいるのを見て、バッカスの左側に回り込む。
「下らぬ」
バッカスは吐き捨てた。まったく迷わずにタケル少年を直視する。
ま、そうなるだろう。
怪鳥の毒矢はもともとダル神の眷属の力だ。その動向に気付かないはずがない。
毒矢が、そして弩が、煙を上げて溶け落ちる。少年武士は煙を避けて跳びすさった。
女戦士のリリミヤが幼子を後ろにかばいながら叫ぶ。
「バッカス様、約束を。もう手は出さぬと!」
「うっ」
バッカス・ユーノクスの動きが止まる。
それは大きな隙だった。
まるで狙ったようなタイミングで、神の戦士ガイトが跳びあがる。人間の限界を超えた跳躍力で見張り台の上に躍り出た。
彼の力は僕が与えたものだ。僕がダル・ダーレ・ダレンの眷属に不意打ちを喰らったように、邪神にとっても彼の動きは感知しにくい物だったはず。
そして、もともと合法と非合法の間を渡り歩くような傭兵である戦士ガイにとって、人殺しも主君殺しもまったく抵抗を感じるものではなかった。
「ほらよ!」
大剣が風をまく。
惚れ惚れするような見事な一撃だった。ガイの大剣はバッカスの首をはねた。
首が飛んでいく。
バッカスの首が本当に飛んでいく。
哄笑しながら飛行していく。
「フハハハハ。見事だ、見事だぞ、戦士たち。ここまで完全に負けたのは久しぶりだ。褒美にお前たちに最後の絶望を与えてやろう」
バッカスの首が石化しながら膨れ上がる。
マズイことが起きている。それは分かるが、僕は武神ではない。ダル・ダーレ・ダレンが自分自身に作用する権能を使っている限り、それを妨害する方法を持たなかった。
「我は首塚となる。そして我の神話の通りに封印される。これを阻むことは出来ぬぞ、フォリン」
一抱えほどもある大岩となった首が地に落ちる。
僕の神の瞳には大岩の中で邪神が休眠状態になった事、そして大岩からクルセルクの大地に根のようなものが広がっていくのが見えた。
ここは邪神が封印された地となった。
今まではダル・ダーレ・ダレンがバッカスの領主の地位を利用してクルセルク領を好きなようにしていたが、今はダル神自身がこの地に縁を持った状態だ。
こうなるとあの根の排除は困難だ。
バッカスの領主の地位がはく奪されてももう意味がない。
どうすればいい?
このままでは溶岩の噴出を止めることが出来ない。
住人のクルセルク領からの脱出を支援することが、僕にできる最善なのだろうか?
ガイたちがバランスを崩す。
空に浮かんでいる僕には関係ないが、どうやら地震が起きているようだ。
事態はさらに悪くなる。
クルセルクの大地が沈降を始めた。
あの疫病神め!
自分を負かした相手を何が何でも逃がさない気だ。
どうすればいいんだ?
考えろ。
考えろ。
大地のほとんどはダル・ダーレ・ダレンの支配下にある。
僕が影響を及ぼせるのはこのクルセルクの町と僕が通ったことのある街道ぐらいだ。
空は僕の領域だと邪神自身が認めているからどうとでもできるけど。
それで、どうする?
町の人たちを空に浮かべる? 空中から彼らを脱出させる?
無理、ではない。
だけど無謀だ。
町の人間すべてを空に浮かべるなんて不自然なこと、実行に移したら神力を大量に消費する。
僕の今の神力だと最後まで持たないかも知れない。
そんな事をするぐらいならば、町の人間すべてを運べるような巨大な眷属を生み出した方がマシなぐらいだ。
いっそのこと、そうするか?
眷属を生み出すか、僕自身が化身して人々を運べば……
待てよ。
何か、ひらめいた。
空は僕の物で、町と街道にも僕の力を及ぼすことが出来る。
異世界の紙芝居を見ておくのも役に立つね。
クルセルクは本当にあったんだ!
僕は町中に声を響かせる。
「邪神は滅びました。しかし、その断末魔はクルセルク領のすべてを飲み込もうとしています。大地に対するあの邪神の支配力は大きく、私ではそれを振り払うことが出来ません。私も、つい先ほど昇神したばかりの力なき神にすぎませんから」
ま、ここまでは事実だよね。
あのヒヒ爺いに身体を許せばどうにかしてくれるかもしれないが、そのやり方は却下する。僕の単純な自尊心だけでなく、そんなことをしたら『つまらない奴だ』という評価を受けて妾以上には扱われなくなりそうだ。それどころか、一回ヤッただけでポイ捨てされそうな気もする。
神として評価を受けたければ、自力でどうにかしなければ。
「ですが、心配はいりません。私の全力をもって皆を救いましょう」
僕はクルセルクの町と街道に自分の神力を浸透させる。
一過性の『現象』を起こすのは人間の魔法使いにも出来る。神の神たる由縁はただ一度で使い切りではなく、継続して存在する何かを創造できることにある。
だから、個別の人間を飛行させ続けるよりもこちらの方が燃費がいい。
町と街道の地下を硬化させる。
硬化させた地面を通常の地表と反発する物体、いわゆる飛行石に変換する。
この世界に『飛行石』という物が元からあったわけでは無い。僕の創造物だ。僕のオリジナル、と言うつもりは無いけどね。
地面がひときわ大きく揺れる。
ガイたちが何やら叫んでいるが、気にする必要はないだろう。
クルセルクの町と周辺の耕地が地面から離れる。耕地は戦いでずいぶんと荒れてしまったけれど、無いよりは良い。怪物たちが押し寄せてきた側以外はおおむね無事だし。
続けて街道も持ち上げる。
こちらはあまり上手くいかない。空に浮かんだ所までは良かったが、あまりにも長すぎ・脆すぎて道があちこちで分断されてしまう。風が強くなったら散り散りになりそうだ。とりあえず、ツタ植物を生み出して繋げておいた。
クルセルクは元ネタのように雲の高さまで上げる必要はない。火山性ガスが届かないぐらいで十分だ。
適当な高さで固定する。
こちらも風に吹かれてふらふら移動しないようにツタで係留しておいた。
これで新生クルセルク領が完成、かな。
地表は窪地になっていてそこかしこから溶岩が噴き出る地獄のような光景。世界を地獄に変える神ダル・ダーレ・ダレンの面目躍如と言えるだろう。
将来的にはここに水が溜まって湖とか温泉とかが出来上がる気もする。
ただしそこを支配する神が邪神なので穏やかな性質に変化することは無いだろう。
それに対して天は僕の領域だ。
この領地の首都であるクルセルクの町は天に浮いている。町から下へツタをおろして係留したが、これはなるべく早いうちに鎖か何かに変えるべきだ。ツタが巻き付いたあたりに地熱が集まってきている。そう遠くないうちに焼き切られるはずだ。
町からは街道が伸びている。
あまり安全な道ではない。ツタ植物でつないだと言っても道が寸断され、馬車が通れなかったり人間が通るのにも一苦労な場所がいくつもある。
ここでうれしい誤算が一つ。
クルセルク領内の街道は僕が通ったことのない場所も含めてすべてが僕の領域になっていた。そして街道の先の集落にも僕の力の一部が流れ込んでいた。
主要な動線だけでなく領内のすべての街道が空へ浮かび上がっていた。そして、街道の一部であると判定されたのか小さな集落もまた同じ。
これならば人的資源の浪費は最低限で済みそうだ。
そして、僕の仕事ももう終わりだな。
神様がやるべき必要最低限の仕事は終わった。後は人間たちが決断して行動するべきだ。このクルセルク領を立て直すもよし、街道を踏破してみんなで他領に避難するもよし。
あ、一つ忘れていた。
街道の終点、隣の領地と接するところはちゃんと地面におろしておかなければ。
危うく避難民が途方に暮れるところだった。
僕って、うっかりさんだ。
僕は下を見下ろす。
神の戦士ガイト、女戦士リリミヤ、少年武士タケル。彼らは戦闘では活躍したが、内政や統治に関しては心もとない。小男のリックスは論外。
僕は神槍を託した男のもとへ舞い降りた。
「傭兵隊長ブレン。クルセルク領の全権をひとまずあなたに託します。他の者と合議の上で自分たちの将来を決めなさい」
「はっ、微力を尽くします」
「他の領地へ避難するもよし、空中に浮かんだこの町で暮らすもよし。どちらを選んでも、私は全力でサポートします」
「空中に?」
ああ、そうか。
町の中にいると自分の立っている地面がどういう状態であるか確認できないんだな。
僕は小さく笑った。
「危険は去りました。今、この領地がどうなっているのか、確認する時間は十分にあります。あなたたちの事はずっと見守っていますよ」
僕は自分の姿を薄れさせる。
今の僕の姿は真っ当な肉体ではない。生前の僕の身体は消してしまった。ここにある姿は神力の塊のような物。長時間維持するには燃費が悪い。人の世からは早々に退散するべきだろう。
クルセルクの町の長い夜が明け、邪神のこれ以上の悪行は防止された。
神話の戦いは終了だ。
僕は姿を消す。
自らを領地全体に偏在させる。
これが神としての普通の在り方。どこかに依り代を用意して生身の生活を楽しみたいとも思うけれど、当分の間はそれは贅沢という物かな。
飛行石の創造で神力をかなり使ってしまったから。
街角で白い猫が伸びをした。
ん?