15話 黎明
終わりをもたらす者と戦いをはじめてから異様に身体が重かった。
フォリン様から授かった神槍を振るう腕も鈍る。相手が撒き散らす瓦礫を避ける事もままならず、ブレンは数カ所から血を流していた。肋骨にもひびぐらい入っているかもしれない。
いくつもの戦場を渡り歩いて来た自分もここで終わりかと思う。
そろそろ若くないので一箇所に腰を落つけようとクルセルク守備隊に入ったが、まさかこのような事件に巻き込まれようとは。
ツキがないにも程がある。
半身が異形に変じた大剣使いがあちら側で奮闘しているが、何があったのか尋ねる暇などまったくない。
ガイの方も動きのキレが悪い。甲殻となった半身を盾に奮闘しているが、限界は近そうだ。
⁈
何かが飛んで来た。
それが弩弓の矢である事に気づけたのは類まれな動体視力の賜物だ。
矢は終わりをもたらす者の顔の部分、溶岩の輝く場所に命中する。
僅かな援護でもありがたいが、いかに威力があってもたった一本の矢ではかすり傷がせいぜいだ。ブレンは戦いはまだ続くと気を引き締める。
おそらく自分が死ぬ瞬間まで戦いは続くだろう。
しかし、終わりをもたらす者は硬直した。
全身をかすかに痙攣させる。
何が起きたのか理解できない。
理解できないなりに好機だと判断、残り少ない気力と体力と魔力のすべてを込めて突進する。
これで駄目なら戦いを続けるのは不可能。そのぐらいの全力で神槍を突き入れる。
わずかに遅れて、同じ判断をしたらしいガイの大剣も無防備になった巨人を思いっきり打ちすえた。
神槍と大剣、どちらが決定打になったのかはわからない。どちらでも無く、その前の矢の時点で死んでいたのかもしれない。
ともかく巨人は膝から崩れるように倒れていく。
ゆっくり倒れているように見えるがそれはスケールがおかしいだけなのはこれまでと同様だ。
ブレンは神槍による一撃ですべての力を使い果たしたと思っていた。その攻撃が成功しようと失敗しようと、それ以上は指一本動かせないだろうと。
間違いだった。
巨人の身体が自分に向かって倒れてくるのに気づき、慌てて逃げた。
まともに走る事は出来ず、半ば以上転がって死地から逃れる。轟音とともに巨人は文字通り崩れ落ち、血飛沫のように溶岩が飛び散った。
立ち上がる事も出来ないまま討伐を確認。
ブレンは今度こそ力を使い切ったと倒れこむ。次の敵が出てきたとしても、もう動けない。
しばらく休ませて欲しい。
……。
……。
……。
「隊長、ブレン隊長!」
誰かが遠くで呼んでいる。
「起きて、立ち上がって下さい、隊長!」
いや、しばらく寝させてくれ。
「そのままでは死んでしまいます。二度と起きられなくなりますよ!」
なんだって?
叫んでいる声は誰だ? この声はインテリの、傭兵としては珍しく学のある、ええと誰だったか?
頭が回らない。
ああ、そうだ。この声はコータスだ。アイツ、無事だったか。さては前線に出ないで隠れていたな。
会計係だからそれでも構わないが。
「まったく、世話の焼ける隊長さんだ」
太い声に変わった。
デカイ手に顔面を掴まれ、引き上げられる。その痛みのためか、意識がはっきりした。
「痛えな! 何しやがる、ガイ!」
「今の俺は神の戦士ガイト様だ。……それはともかく、話があるのは俺じゃなくて学者さんだ」
「どうした、コータス?」
「単刀直入に言います。現在、この辺りには火山性のガスが充満しつつあります。きわめて有害です」
「ん?」
今さっきまで殺すの殺されるのといった戦いを繰り広げていた人間としては、ガスが有害だと言われてもピンと来なかった。
「気づきませんか、この臭いに?」
「……さっき戦っている時には臭いと思った気もするが、今は何も感じないな」
「それは、なおヤバイですね」
「どこが?」
「いいですか。鼻、嗅覚というのは言わば外部に偵察に出ている斥候です。不愉快な臭いがする、のは『敵がそこにいるぞ』と斥候が報告を送って来ている状態です。それが届かなくなったという事は」
「敵が居なくなったんじゃないのか?」
「いいえ。今は敵が立ち去る理由がありません。この場合は斥候がすでに始末された状態だと思われます。ガスにやられて鼻が効かなくなっているんです」
正体不明の敵が接近中で見張りが倒された。
軍事で例えられてヤバさがよく分かった。ひょっとして、さっきから体調が悪いのも火山性ガスとやらの影響か?
「対応は?」
「このガスは低い所に溜まると聞いています。地面に寝ていたりしたら最悪ですね。逆に高い所へ上がれば影響を受けにくくなります」
「そうか。では、第1隊は高所へ上がって休憩をとれ! 屋根の上でも建物の二階でもどこでも良い! 第2隊は各家を回って今の話を伝えろ! 地下室に隠れている奴がいるかもしれない。そういう奴は早めに見つけ出せ!」
プロの傭兵主体の第1隊と違い、第2隊は地元採用組がほとんどだ。戦闘能力という面では心もとないが、こういう仕事には向いている。
「あ」
「ん?」
「お!」
迅速にとは言えないが皆が動き始めた時、誰からともなく空を見上げた。
空と地平線へ目を向ける。
空が白み始めていた。
夜明けが近い。
「おいおい、俺たちは一晩中戦っていたのか?」
「疲れるわけだ」
「日が落ちてしばらくしてから戦闘開始だったから、一晩中にはちょっと足りない感じですが」
「たいして変わらない、つうの」
ブレンは重い体を引きずって高所へと避難した。
今は安全な場所でひたすらに休みたかった。体力の限界だ。
同じぐらい戦っていたはずのガイがまだまだ元気なのを羨ましく思う。アイツが異形に変じた影響か、それとも若さか?
俺は隊長としてふんぞり返っているためにここの守備隊に入ったんだ。
傭兵としての現役時代と同等以上の戦いなんかやる物じゃない!
ブレンは呼吸を整えつつ横になって空を見上げた。
夜明けを迎えつつある空だけはいつもと変わらない。
ひとまずは生き延びた。
終わりをもたらす者に続く敵は出現していない。
しかし、これからどうする?
曙光を見つめながらブレンはゾクっと身を震わせた。
クルセルクの物見台の上には悪神に憑かれた領主バッカス・ユーノクスとその孫のトーレ、女戦士のリリミヤが相変わらず立っていた。
バッカスは立たずに空中に浮遊しているが些細な事だ。
リリミヤは自分も戦いに参加したかった。大恩あるブレン隊長の役に立ちたかった。
しかし、バッカスを放り出して行くことには抵抗があった。トーレちゃんをバッカスの元に置いていくのは論外だった。結果、彼女も前線の戦いを観戦していた。
終わりをもたらす者が前線を蹂躙し始めた時にはミヅチを握りしめた。
ブレンとついでにガイが接近戦に持ち込んだ時には歓声を上げた。
そして、ついに溶岩の巨人は倒れた。
勝った。
これで終わりだと思った。
しかし勝ったブレンはなかなか起き上がらず、助け起こされたと思ったら逃げるように建物の上に上がった。
何か異変が起きている事は見てとれた。
バッカスは面白く無さそうな顔をしていた。
「ご領主様、そちらの切り札は倒れましたよね」
「そうだな」
「これ以上は手を出さぬと約束して下さいました」
「その通りだ」
「では、今あそこでは何が起きているのでしょうか?」
バッカスの目が少しだけ笑った。
「意外だった。なかなかに知恵が回る、知識のある者がいるようだ。まさかこの世界の教育水準で硫化水素の危険性を知っている者がいるとは思わなかった」
「りゅうかすいそ、でございますか?」
「うむ。密閉された空間や火山から発生することのある臭い匂いの事だ。低い場所に溜まりやすく、不愉快なだけではなく大量に吸い込むと呼吸が停止する」
「死ぬ、のでございますか?」
「死ぬから呼吸が止まるのではなく、呼吸が出来なくなるから死ぬのだが、まぁ、その理解でも間違いではない。もちろん、我が配下には何の影響も無い」
言われてみるとこの見張り台の上でもかすかに腐臭が漂っている様ではあった。
「約束して下さいましたよね?」
「無論、我はもう手を出さぬ。我は今は何もしていない。地獄の蓋が開いた結果、この地が人間が生きるのに適さなくなっているだけだ。もちろん、硫化水素の発生を止めるために我が力を使う事もない」
「そんな」
「お前たちが生き残るのに何をすれば良いのか? そんな事は我にも分からぬ。この土地に居て生き続ける事はできない。溶岩を避けながらなるべく高い場所を選んで移動するか? 超人的な体力と幸運があれば生きて脱出できるかもしれんな」
もはや戦闘能力ではどうにもできない。
否、人間の力ではどうする事もできない。
過酷な現実の前にリリミヤはガックリと膝をついた。
超人的な体力と幸運、それを兼ね備えていそうな男もいる。
神の戦士となったガイはまだまだ元気だった。共に戦ったブレンは完全にダウンしている。その後の指揮もとれず、指揮権を第2隊のカルナックに委ねて休憩している。その事にガイは優越感に浸り、傭兵時代以来始めてブレンに勝てたと喜んでいた。
とは言え、勝った勝ったと祝杯をあげている余裕はない。
ガイも第2隊の兵やコータスと一緒に地下に避難していた者たちを引きずり出していた。
幸い、密閉された地下には有毒ガスはまだ入り込んでいなかった。戦っていた兵たちの方がより多くの影響を受けているぐらいだった。
「これで三人目、っと。それで、さっき戦ってた時に急に飛んで来た矢は何だったんだ? ずいぶん効果があったが?」
「ガイさんは周りは見えていませんでしたか。あれは昼間に助けた少年が射た矢です」
「ほぉう」
「彼はその前の鳥との戦いでも活躍してくれました」
「ずいぶんな凄腕だな。俺より強いんじゃないのか?」
「そっちでの一番の功労者はリックスさんですが」
「そいつは驚きだ!!」
ガイは必要以上に驚いてみせた。
実際にも驚きだったが。
「で、ですね。あの矢にものすごい効果があったのは少年が機転を利かせた為です。あの鳥が現れた時に三本腕が言ったことを憶えていますか?」
「なんて言ったっけ?」
「どんな勇者をも打ち倒す猛毒を持つ、とか何とか」
「毒矢か! それは惜しい事をしたな」
「何故ですか?」
「お前さんが先にそれに気づいていたら、今ごろはお前さんが英雄だったかもしれないぜ」
「どうでしょう。魔力を込めて射た矢だから効果があったのであって、私が普通に射たら刺さらなかったかも知れません。それに、私の腕だと隊長の背中にあたっていたかも……」
「あのデカイのにぐらいは当てろ!」
先の事を考える者は暗澹たる想いにつつまれ、今を生きる者は長く暗い夜を生き延びた事を喜んでいる。
どちらかが正しい訳ではなく、一方が間違っている訳でもない。
それが各個人のあるがまま。人それぞれの行い。
さて、人間の力ではどうしようもなくなった状況。
これはもう、僕の出番だよね。
あ、いや、女神として立つ覚悟をしたからには「わたくしの出番ですわね」の方がいいのでしょうか?
。
……。
…………。
やっぱりやめた。僕らしくない。僕は当面はこのままでいいや。
レンライル神との闘争はかろうじて貞操を死守した僕の勝ち、かな。
あちこち触られたけれど最後の一線だけは守り通した。
あのヒヒ爺い、チャンスがあったらシバキ倒す。100年ぐらい力を蓄えたらあの大神をぶん殴れる力が手に入るだろうか?
あのエロ神との抗争の後、僕はいくつかの手続きを行った。それはバッカスやダル・ダール・ダレンとの戦いを視野に入れての物。
奴らとの最終決戦の準備は整ったと言ってよいだろう。
僕は神だけが入れる亜空間のようなところ。現実世界という舞台に対する舞台の袖のようなところから、クルセルクの町の上空300メートルぐらいの座標へ転移した。
とりあえず、火山性ガスが邪魔だね。
僕は神としての力を振るう。
これは人間の大魔法使いでも可能なことだが、人間としての僕ではパワーが足りなくて不可能だった。
上空から下降気流を作り出して新鮮な空気を供給する。臭いガスを吹き散らす。
もともと、地表に溶岩が噴出した影響でクルセルク領には上昇気流が生まれていた。上昇気流があるという事は低気圧であり、雲を産む。
僕が作り出した下降気流は高気圧であり雲を消し、ガスと一緒にまわりへ吹き散らす。
結果、空一面に垂れ込める雲の中、クルセルクの町の上空のみぽっかりと穴が開き青空が見えている。
なかなか神々しいと思わないか?
町の人間が驚き、空を見上げる中。僕はゆっくりと高度を下げて行った。
女神フォリンの降臨だ。