14話 終わりを告げる者
ここはもはや地獄だ。
いや、戦場という物は常に誰かにとっての地獄であるのだが、ここまでの地獄は多くの戦場を渡り歩いてきた傭兵隊長ブレンにも初めてだった。
ブレンの対戦相手はフェーンステラとか名乗った巨人たちの指揮官だ。今はもうブレンの前で膝をついている。
時間をかけて相手の盾を破り、脚を削って立つことが叶わないほどに痛めつけた。九割がた「勝った」と言って良い状況だろう。
しかし、辺りの環境は好転していない。
夜だと言うのにあたりは溶岩の明かりと熱に照らされている。腐った卵のような異臭も漂ってきた。
この戦いは始まった時にはすでに負け戦だったのではないか?
そんな考えが脳裏をよぎる。
勝利を得て余裕が出てきたから余計な考えが生まれてくる。
今は戦士として敵の指揮官の首をとり、掃討戦へ移行する。それが本道だ。
歴戦の傭兵はサイドステップで自由に動けない敵を翻弄。最後のとどめを刺しに行く。
その時、ひときわ大きな振動があたりを襲った。
あまりの揺れに手元が、足元の踏み込みが狂う。
怪物の顔面を貫くはずだった神槍は側頭部を削るだけに終わる。
ブレンは舌打ちして敵の矛が届かない距離まで後退した。腰の入らない手先だけの攻撃でも、コイツの巨体からなら脅威だ。
町を取り巻く農地、そのすぐ外側に新たな溶岩の噴出口が生まれていた。
溶岩が勢いよく吹き上がる。
溶岩の中に何かがいる。
それを目にしたのはブレンだけではなかった。巨人たちの指揮官は相変わらず聞き取りにくいゴフゴフとした声を発した。
「遂にお出ましになられたか。不甲斐ないこの身をお許しください」
「何なのだ、コイツは? お前たちの親玉の真の姿か?」
ブレンは神槍を引っ込める。
フェーンステラと新たな何かに同等の警戒を行う。
「ダル・ダーレ・ダレン様ご自身ではない。が、あのお方の切り札よ。全てを灰燼に帰す力を持つ、どんなに強大な勇者でも打ち滅ぼす存在よ。その名を語ることはできぬ。この者が出現したならば全ては終わる。終わりをもたらす者よ」
「すべてを終わらせる化け物? 大そうな肩書きだな」
出現するのは異形の石巨人たちよりも上位の存在、とだけ心に刻む。
吹き上がる溶岩の中からそいつは現れた。
終わりをもたらす者は大雑把には人型をしていた。ただし大きい。フェーンステラたちよりも更に2倍は身長がある。
そいつは冷えかかった溶岩で出来ている様だった。身体の末端は黒々としていて、中心あたりにはオレンジ色の輝きが見える。腕は二本足も二本で頭部もあるが、顔の部分に人間的な目鼻立ちはない。そこにあるのも溶岩だ。
終わりをもたらす者は不気味な音を立てて動き出した。意味のある声の様な意味のない音の様な、どちらともとれる唸りだった。
動きは鈍い。
そう分析してからブレンは自分の間違いに気づく。自分の3倍ぐらいの身長がある相手が「ちょっと鈍い」程度にしか見えない。それは絶対値としては恐るべきスピードで動いている事を意味する。
終わりの者が一歩踏み出す時、その一歩は普通の人間の3倍の歩幅だ。その一歩にヤツは2倍の時間すらかけていない。
その時には敵味方の区別なくすべての者が終わりをもたらす者を見つめていた。
溶岩の巨人は直立してあたりを睥睨する。
その顔があるはずの部分から光の玉が撃ちだされる。
「な!?」
光の玉をうけて爆散した。フェーンステラが、一撃で。
光の玉が連射される。炎風戦士団の生き残りが次々に屠られていく。
ブレンは「まさか味方なのか」と一瞬だけ思う。
違うだろう、と判断。
終わりをもたらす者は「すべての者に等しく」終わりをもたらすのだろう。
「撤退だ! 後退しろ! 物陰に隠れるんだ!」
傭兵隊長は叫ぶ。
自身も強化した身体能力で町をとりまく壁の内側へ逃げこむ。
逃げ込んだ直後に彼が隠れた壁のすぐ横が爆発した。
この程度の壁では盾にはならない。しかし、煙幕の代わりぐらいにはなる。
「逃げろ! 隠れろ! とにかく生き残りを優先しろ!」
神の戦士ガイトとなった大剣使いは対戦相手だった異形の石巨人が爆散して、唖然となった。しかし、ブレンの命令を聞いてすぐに撤退にうつる。
彼の内側でカブトが疑問の声をあげた。
【え? 戦わないの?】
「撤退は誰よりも早く迅速に。それができるのが良い傭兵ってモンだ」
【それって臆病って言わない?】
「あんな火力相手に遮蔽物もない戦場で戦えるか! それは勇気じゃなくて自殺志願だ」
傭兵としてのガイには当然ながら大砲を撃ち合う様な戦場の経験はない。しかしながら、敵味方に魔法使いが居る戦争ならば何度も体験していた。
彼は壁を飛び越えた後、更に後退した。
家屋の後ろで地に伏せる。防御不能の光弾が命中する可能性を最小限にとどめる。
生身の人間など一撃で挽肉に変えるような大魔法の使い手に対しては奇襲で対処するしかない。自分から接近出来ないのならば相手に近づいてもらう。大剣が届く範囲に捉えさえすれば戦いにもなる。それが基本戦術だ。
もっとも、今回の場合、大剣の一撃で真っ二つにできるほど簡単な相手ではないが。
今は、石になる。
神の戦士ガイトは動きを止めた。
腐った卵のような異臭が鼻をつく。
はて、この臭いは何だったか? なぜか心が騒ぐが、今は何もしない事が肝要だ。
ガイは何も考えずにただ待つという作業に移った。
小男のリックスは最初から町の中にいた。
だから、溶岩で出来た巨人が現れてもすぐには慌てなかった。しかし、町を守る土壁を丸ごと爆散させる光弾の威力に戦慄した。土壁の裏側に居てもブチ殺される破壊力だ。木造家屋の壁など視界を遮る以外、何の役にも立たないだろう。
「何だよ、何だよ。アレって反則だろう。戦争にもなりゃしない!」
【ご自慢の罠でどうにかなりませんの?】
ツバメは彼の肩に乗っていた。
本物の燕よりははるかに大きいが基本的には神力の塊だ。重さは大したことない。
「あのデカさにどんな罠が通じるよ? 重心は高そうだから脚を引っかければ倒せるか?」
【黒く冷えている部分もそれなりに高温のようですから、ロープを絡めても燃えるか溶けるかするだけだと思いますわ】
「ホントにどうしようもないな」
自分よりもっと優秀な誰かに対処してもらおう。
リックスが対応を放り投げた時、溶岩の巨人は光弾を連射した。土壁がひとつながり、まとめて爆散する。
守備隊の中でも隠れ方が足りなかった者たちが巣を壊されたアリのように逃げ出す。
巨人は次の光弾の発射態勢に入る。
あ、アイツら死んだな。
傭兵は仲間の死にもドライだ。
しかし、ドライでない者もいた。空から神力の鳥が舞い降りる。溶岩の巨人の前をヒラヒラと飛び、その注意を引く。
光弾が打ち出される。
ツバメよりひとまわり大きな鳥はそれをギリギリで回避する。
光弾が連射される。
一発目、二発目は避けた。
三発目は翼をかすめた。鳥の動きが鈍った。
四発目は胴体の真ん中に命中した。
神力の鳥に爆散するような実体はない。だが、終わりをもたらす者の力は神力に対しても有効だった。胴体に風穴が開く。
五発目と六発目も命中し、神力の鳥を跡形もなく消しとばす。
【トビ!】
ツバメが飛び立とうとするのをリックスは半ば無意識のうちに押さえつけた。
トビの行動は傭兵の視点から見れば愚かだ。しかし、けっして無意味ではない。撤退戦のしんがりを務める勇敢な行いだ。
その勇気を無にしてはならない。今ツバメがトビのもとへ向かったら、犬死に以外の何物にもならない。
「ったく、新兵の世話っていうのは大変だねぇ」
今の自分に出来る事は何もない。
リックスはツバメをしっかりと抱えて逃走をはじめた。どこまで逃げれば逃げ切ったと言えるのか、それが分からないのが最大の問題だった。
東方から来たタケル少年はゾッドーバ討伐の後はボーとしていた。
かの怪鳥を討ち取るのに彼がはたした役割は小さくはない。しかし、大きいとも言えない。勇者でも英雄でもなく、ちょっと優秀な兵士レベル。それが彼の自己評価だった。
この町の武人たちは強い。
普通の雑兵程度なら蹴散らせるはずの彼が埋没するほどに強い。
それとも、自分は元からこの程度だったのだろうか?
彼は自問した。
それはありそうな事に思えた。
今まで雑兵と侮っていた者たちも本当はこのぐらいの強さは隠していたのでは無いだろうか?
彼が武士なので立ち会いの時には遠慮してくれていただけで。
ボウっとしていた時間も魔力の回復という意味では無駄ではなかった。
気力が少しだけ回復した頃に終わりをもたらす者が現れた。ゾッドーバを更に上回る怪物の出現に少年武士は戦慄した。
悪神ダル・ダーレ・ダレンの力は底なしなのだろうか?
どこまで逃げても追ってくる。
どこまで抗っても打ち負かされる。
もう、疲れた。
溶岩に輝く巨人は光弾の連射で壁を崩すとゆっくりと前進をはじめた。
散発的に光弾を発射しながら町の中に入って来る。
強いと評価したこの町の守備隊も圧倒的な個の力の前ではなす術がない。逃げまどうばかりだ。
少年は隠れる事もせずにただ立ちつくした。
これで終わりだ、と思った。
諦めていない者がいた。敵が近づくまで粘り強く待っていた男だ。
地に倒れ伏していた男が瓦礫を跳ね除けて立ち上がる。
手に持った武器は大剣。
人間としては大柄な彼でも身長は相手の腰までもない。膝の高さを越えた程度だ。大剣を使っても上半身を狙うのは難しい。
大男は大剣を巨人の脚に叩きつけた。
不意をついたおかげか回避も防御もない。
効いた、のか?
大剣が命中した部位にオレンジ色のラインが生まれた。表面の黒い部分を削り取る事には成功したようだ。
人間ならば薄皮一枚斬られて血がにじんだ、ぐらいか。
巨人が拳をふるって反撃する。素手と言ってもその威力はハンマーでぶん殴られるより大きいだろう。
男は危なげなく回避。
テレフォンパンチだ。
パンチのスピードそのものは速くても拳から男までの距離が長すぎる。攻撃動作に入るのを見てから反応しても楽に避けられる。
そして、大剣の男と反対側からもう一人。
電光のごとく飛びだして巨人の背中に賜った神槍を突き立てようとする。
巨人も今度は油断していなかった。
背後からの攻撃をまるで見えているかのように腕で払いのける。
二対一の戦いが始まる。
接近されると光弾は使いにくいようだ。
これならば戦士たちの勝ちもあり得るか?
少年はそう考えたが、最初の一撃以降は戦士たちの動きが鈍い。連戦に気力・体力が限界に近づいているのだろう。
溶岩の巨人は綺麗なパンチによる迎撃は諦めたようだ。
腰の入ったパンチではなく雑に腕を振り回す。足元を蹴って、瓦礫を散弾のように跳ね飛ばす。
二人は致命傷だけは避けているがダメージが蓄積していく。
この町の守備隊でもあの巨人と戦えるのはあの二人しかいない。他の者は逃げるか遠巻きに見つめるかだ。
そこまで見てとって、タケル少年は疑問を感じた。
自分も遠巻きにしている一人だ。
自分は雑兵小者の一人だっけ?
そんなはずは無い。自分はつい先日、前髪を上げて武士と名乗ることを許された身だ。断じて雑兵などではない。
そんな自分が今は何をしている?
まだ戦っている味方が居るのに怯えて居竦んでいるなど許されるはずがない。異国の名だたる勇者たちの間で埋没するならともかく、一般の兵士と一緒に怯えているなど東国の武人の名折れだ。
手元を見つめる。
元服の時に拝領した刀は大分前に折れた。愛用の弓も先ほど折れたが、拾った弩弓はまだある。魔力を込めた高威力の一撃をあと一度ぐらいは放つ事が出来る。
少年の瞳に光がもどる。
しかし、たとえヘッドショットを決めたとしても、あの巨人を一発で倒す事は可能だろうか?
もちろん、何もしないよりは良い。
わずかでもダメージを与え、あとは二人の戦士に任せるというのも一つの選択だ。だが、敵に多少の傷を負わせてもあの二人が勝てそうな印象がない。
それに、欲も出てきた。
何とかして自分の手であの巨人を倒したい。
タケルはあたりを見回す。
あるのは半壊した町並みと二対一の戦いを見守る兵士たち。そして巨大な怪鳥の死骸。
怪鳥?
何かが引っかかった。
勝利に繋がる何かが見えた気がした。
彼が無駄でしかないと断じた能力はなんだったか?
三本腕の石巨人は怪鳥の事を「どのような勇者をも打ち倒す猛毒を持つ」とか紹介していなかったか?
溶岩の化け物に毒が効くかどうかは大いに疑問だが、あの怪鳥の特製の毒ならば効くと期待しよう。試すだけならば損はない。
怪鳥の嘴から緑色の粘液がたれているのを見つけて、直接触れないように慎重に弩弓の矢になすりつける。
弩弓の鐙に脚をかけてレバーを引く。
弓を引いた状態でロック、そこへ毒矢を載せる。
弩弓は威力はあるが射程は短い。
魔力を込めれば延長できるが、それでも使い慣れない武器だ。なるべくなら、と接近する。
欲を出しすぎたようだ。
溶岩の巨人が彼を見た、ような気がした。表情はまったく見えないが。
敵が接近戦を挑む二人に気をとられている間に狙撃した方が良かった。
後悔した時、誰かの怒号があたりに響く。
「全軍、構えええぇぇぇえ!!!」
少年武士には言葉の意味はわからない。命令を発したのはクルセルク守備隊、第2隊隊長のカルナックだったがそれも彼にはわからない。
しかし、その場に踏みとどまっていた兵士たちが一斉に自分の武器を構えたのはわかった。溶岩巨人の注意はこれで分散される。
これは援護だ。
この地の戦士たちが彼を仲間と認めて支援してくれたのだ。
雑兵に等しい名もなき兵士たちの中に埋没しつつタケルは笑みを浮かべた。
かつてないほどに気力が満ちる。
「これで終わりだ。悪神め!」
顔らしくない顔に向かって毒矢を放つ。
命中。
溶岩の巨人の動きが止まり、かすかに痙攣した。