13話 裏側の聖戦と聖戦の裏側
溶岩の光に赤々と照らされる物見台の上にバッカス・ユーノクスはいた。立ってはいない。床に足をつけずに空中に浮遊している。
女戦士リリミヤは領主の姿をした男の前にしっかりと立つ。太古の神話の具現に対して今の現実を見せつける様に立つ。
彼女はミヅチを手に取ろうとはしなかった。
自分が愚かな行動をしている自覚はある。相手が邪神でなく領主本人だったとしても、彼女の勝機は出会い頭の一撃にしかない。普通に武器を振るう事しか出来ない彼女では相手に不思議な力を使われた時点で詰みだ。単純にミヅチが届かないぐらいの上空に上がられただけでも打つ手が無くなる。
しかし、彼女は声をかける事を選んだ。
「ご領主様、お身体はよろしいのでしょうか?」
「我を領主と呼ぶか。我について聞いていない訳でもあるまいに」
バッカスの姿をした男は面白そうに笑った。
リリミヤは敵対するそぶりも見せずに膝をつく。背中のミヅチが抗議する様にカタカタ震えるが無視している。
女戦士の後ろに小さな女の子が隠れているが、男は気に留めなかった。ちょっと魔力が高めなだけのただの人間の子供だ。重要な存在ではない。
「私は頭が悪いのです。聞かされた話よりも自分の瞳に映るものを信じます。私の前にいるのは間違いなくご領主バッカス・ユーノクス様ではありませんか」
「確かにこの肉体はバッカスの物だな。……して、我がバッカスだと仮定して我に何を願う?」
「民の安寧を」
「悪徳の領主、領民に嫌われまくった男バッカス・ユーノクスがその様な事を気にすると思うのか?」
「確かに私たちはバッカス様のことを良き領主とは思っていませんでした。ですが、外敵との戦いでご領主様はその力をお示しになりました。もはやご領主様のことを悪く言う者はおりません。バッカス様が嫌われる原因となったのはあの壁の建設ですが、町を守る壁は今となっては人々の心の支えです。……私の前にいらっしゃるのは素晴らしい先見の明があるご領主様です。お伽話の中で退治されるような悪徳領主など居ません」
リリミヤは断言する。
しかし領主の肉体を持つ男は自らを嗤った。
「それは買い被り過ぎだ。この男は別に人の血を啜って生きるような邪悪ではないが、名君と呼ぶには大いに足りない。あの壁にしたところで、外敵の存在を知って造らせた訳ではないぞ」
「は?」
「この男は単に見たくなかったのだ。町の外を、世界の終わる所を。自分の視界を遮るために領民に重い労役を課した。その労役が不当であると知っているが故に傭兵を雇い、反乱に備えた。それらが有効活用されたのは、我がやって来た事による偶然の結果だ」
それは知りたくなかったかも、と女戦士は視線を泳がせる。
しかし、彼女は良い意味で単純だった。一瞬で考えを切り替える。
「良い結果が出たのならばそこは喜びましょう。偶然による勝利でも、勝ちは勝ちです」
「まぁ、為政者は結果のみで評価が決まる。それは認めてもいい。……この領地が滅びれば結局、暗君という名が残るが」
「ですから、滅ぼさないでいただきたい」
「定命の者はいつか滅びる。それが定めだ。今すぐに滅びるのが嫌ならば精一杯抗ってみせるが良い。それが我のためであり、フォリンのためでもある」
「どういう事でしょう?」
悪神はクククと笑った。
「我ら神は人々の信仰を糧とする。別に祈りで無くとも良い。我らに対する強い想いがあれば事足りる。……人が最も強い想いを抱くのは何だと思う?」
「わかりません」
「少しは考えてから答えるが良い」
「今の状況がそれだとおっしゃるのでしょうか?」
「まぁ、そうだ。戦争、戦い、殺し合い。敵への憎しみも、庇護してくれる味方への信頼も我らの力となる。人間たちの負の念は我に、正の念はフォリンに送られて共栄共存、と言ったところだな」
「まさか、神さま方が示し合わせてこの戦いを仕組んだとでも……」
「そうだと言ったら、どうする?」
ダル・ダーレ・ダレンはリリミヤに少しばかりの疑念を持たせる事に成功したようだった。
僕はクルセルク守備隊の善戦を心のどこかで感じとりつつも、そちらに注意を向ける事が出来ないでいた。
レンライル神が近い。
すでに触れられている。
多重の神の姿が変わろうとしている。いくつもの可能性の中から美男系の若い男神の姿が浮き出てくる。
コイツめ! まだ子供の僕に一体ナニをするつもりだ⁈ 薄い本みたいに?
「神にとって年齢などさしたる意味を持たぬ。気になるのならば、これでどうだ?」
若い姿をとったレンライル神に僕の神力が操作される。
僕の意思によらずに僕の姿が変えられる。身長が少し伸び、髪がロングヘアーに。胸もなかなかの大きさだ。
5歳分ぐらい成長させられた感じ? 着ている物も清楚なドレスに変化していた。
これはこれで悪くないかも、と一瞬だけ思う。
いや、ここで流されたら2000以上は歳上のヒヒ爺いの妾ルートだ。
「誰がヒヒ爺いだ!」
「あら、レディの心を読むのはマナー違反でしてよ」
僕は変えられた姿にふさわしい仕草と口調で言い返す。
問答するのは面倒、と言わんばかりにヒヒ爺いの腕が僕の腰にまわされる。ここからイロイロ触ってくるつもり、だよね。どう見ても。
僕の応手は、これだ。
僕は自分の意思で姿を変える。外部からの操作だけで年齢を変えられるのならば、これだって可能なはずだ。
性別の変化。
女神であるから、女性であるから性的な搾取の対象になるのならば、性別を変えてしまえば良い。王都の下町で僕が男装してすごしていた事の発展形だ。肉体そのものを男性型にしてしまえば言い寄られる事はないだろう。
そう思っていた時期が僕にもありました。
レンライル神の目の色が変わる。
がっかりとか嫌悪とかではない。もっと別の意味で目の色が変わった。熱を帯びた瞳。
「ほう、コレはコレで……」
背中がゾワゾワっとする。
心理的にもゾワだし、物理的にも背中をゾゾっと撫で上げられた。
身の危険を感じる。
元からだけど。
「そっちの趣味まであるのかよ!」
低くなった声で叫び、大急ぎで身をもぎ離す。
力ずくでの行動はこの身体の方がやりやすい様だ。手足の長さも骨格までもが違うから、動くのに違和感があった。
「最近はそうでもないが、衆道が戦士の嗜みとされた時代は決して短くはないぞ」
「知りたくなかった!」
ダメだ、腐ってやがる。
と、内心でわめきつつ、距離をとる。肉体を持たない状態でこうもコロコロと姿を変えていたら、そのうちにレンライル神のように多重の姿を持つ神になってしまいそうだ。
僕は一番慣れた姿に戻る。
男装の少女の姿だ。王都の下町を駆け回っていた頃の姿。
僕はどうするべきだろう?
このままレンライル神のお妾さんになってその威をもってダル・ダーレ・ダレンに対抗する?
それが一番利口な行動な気がする。神の嫁と言えば巫女さんだし、それは普通に名誉なことだ。それに、人間の世界だって政略結婚やら年の差婚やらは珍しくない。
でも、お妾さんって、僕につとまるか?
ただヤッてれば良いならともかく、相手を誘導して自分の利益を引き出すとか。それには僕の「女」としての経験値が絶対的に足りない。
僕は若い姿となったレンライル神を見つめる。
この姿は多分、北方で信仰されている物だろう。あちらでは「力ある神」という事で、若い姿で描かれる事が多いと聞く。
一方、僕の育った王都のあたりでは「古くて知恵のある神」だとして老人の姿とされる事が多い。僕がなじんでいるのはこちらだ。神殿に祭られている像は、「腰が曲がった老人」ではないがそれなりに枯れている。性欲がみなぎっている感じではない。
ハッキリとは考えないまま、心の片隅で作戦を立てる。
心を読まれている以上、完全にはっきりと考える訳にはいかない。いや、考えが読まれていたとしても状況が好転する。そんな策が一番望ましいのだが。
僕は自分からレンライル神に近づく。
当然、相手は逃げはしない。両腕を開いて迎え入れる。かの悪神にやろうとしたようにここで局部を抉ってやろうかと思わないでもないが、それをやっても多分うまくいかない。僕と大神の力の差だけで弾かれる。僕は暗殺者でも殺神鬼でもないしね。
「お爺さま」
僕は神力を込めて発声した。
相手からやられた事のお返しで、レンライル神の姿に干渉する為に大神に触れる。多重の姿の中から僕が一番に慣れ親しんでいる姿を喚び起こそうとする。
勝算はあんまり低くない。
王都の神殿に祭られている姿なら、レンライル神の数多ある姿の中でももっとも有力な物のはずだ。
若い神の姿がブレた。
若い姿と老人の姿と、二つの姿の間を行き来する。
僕の意思と大神の欲望が拮抗する。
誰だい?
欲望ガンバレとか言ってるのは?
他方では悪神と女戦士の問答が続く。
「神さま方の思惑がどうであれ、下々の人間としてはフォリンさまに勝っていただかなければ生き残ることすらかないません」
「では、フォリンに従って我を討つか?」
「ご領主様に手をあげる訳にはまいりません。伏してお願いするのみでございます」
「なんの対価も提示できないお願いなど、単なる雑音にしか聞こえぬぞ」
生産性のない問答に飽きた、とバッカスの肉体を持つ者が何かをしようとした時だった。
戦場からまたしても歓声が上がった。
三本腕の怪物がまた一体倒れていた。神の戦士ガイトを挟撃していた片われが討ち取られたようだ。
傭兵隊長ブレンが相手をしていた怪物たちのリーダーも膝をついていた。
「無機物の身体を持つくせに、まったく不甲斐なき者どもよ。しかし、信仰を集める上での収支決算は悪くない」
「ならば、もう十分でございましょう」
「我にとってはそれなりには十分だ。ここで手を引いても儲けは出ている。だがな、我には十分でもこの男にとってはそうでもない」
「この男? ご領主さまが?」
「そうだ。憎しみは憎しみを再生産する。この馬鹿者は自分の怖れをごまかす為に苛政を行い、そのせいでお前たちに憎まれた。原因が自分にあるにもかかわらず、馬鹿者は憎しみに対して憎しみを返す事しかできなかった」
「ご領主さまは私たちが憎いのでございますか? 私たちを滅ぼすほどに?」
「きっかけとその為の力が無ければ、そうはしなかっただろうな」
バッカス・ユーノクスが潜在的に持っていた憎しみが悪神ダル・ダーレ・ダレンは取り憑かれた事で表に出た。
そういう事であるらしい。
「ならば私が申し上げることは変わりません。今となってはご領主さまの事を頼もしくは思っても、憎む者などおりません。ご領主さまも良き為政者の道に立ち返っていただけるよう、伏してお願い申し上げます」
「くどい」
「一歩譲って領民の皆が憎いのだとしても、ご領主さまにはご子息がおられたはず」
「その者ならば我と戦って果てた」
「ですが、ハイムさまには複数の馴染みの女性がいたと伺っています」
リリミヤは自分の後ろに隠れていた幼子をバッカスの眼前に押し出した。
何かを感じたのか、領主の表情が微妙に動く。
「お孫さまでございます」
「……馬鹿者めが!」
言い捨てたのは領主だったのか悪神だったのか?
「フォリンがそう言ったのか?」
「そう伺っております」
「アレが確かめたのならば間違いはあるまい。そうか、コイツの孫か」
実際にはフォリンはタケルから聞いた事をそのまま伝えただけで裏を取ってなどいない。が、悪神としては自分で事実関係を調べようとは考えなかった。
それが事実であろうがなかろうが、そう大きな問題ではない。
今の一言でバッカスの精神が『じじ馬鹿化』した。
それだけが事実だ。
バッカスの姿を持つ者は幼子から目を逸らした。
「その必死さに免じて一つだけ譲歩してやろう。次で最後だ。……次に召喚する者を倒せたら、我は手を引こう」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早い。呼び出す者は最後を飾るのにふさわしい存在だ」
リリミヤはバッカスの身体がグッと巨大化したように感じた。実際には身体そのものは変化していない。内に宿るダル・ダーレ・ダレンがその存在感を解放したのだ。
バッカスではなく悪神の声がクルセルクの町に響き渡る。
「勇者たちよ、素晴らしい健闘を見せてもらった。良い、実に良いぞ。……それでこそ、我が地獄へ招待するにふさわしい。褒美としてそれ相応の相手を用意してやろう。最強の勇者をも打ち倒す太古の力。終わりをもたらす者がお前たちを灰へと変える」
地響きがクルセルクの町とその周辺全域を襲った。
町の外でひときわ高く溶岩が吹き上がる。
マグマの中から出現する巨大な人型。
クルセルク守備隊の最後の敵、終わりをもたらす者が不気味な唸りを上げてそこに仁王立ちしていた。