12話 失落の
クルセルクの町では一進一退の攻防が続いている。
怪鳥ゾッドーバの出現で崩れかけた町の守備隊は神の戦士ガイトの登場により勢いを取り戻した。
その戦いに参加せず、女戦士リリミヤは領主の館を探索していた。
領主バッカス・ユーノクスは足を負傷したばかりだ。自室で寝ているはずだが、そこには居なかった。しかし、戦場に出かけた様子でもない。
どこへ行ったのだろうか?
疑問に思いつつもリリミヤは本気で捜索する気にはなれなかった。
もし見つけてしまったら、彼女はどうすれば良い?
領主殺しの罪人として追われる事になる?
罪人となってでも、ご領主様がこの異変の元凶ならば処断しなければならないのだろうか?
そもそも、今の状況は彼女にはまったくもって現実味がなかった。
昨日までは普通の人間として普通の暮らしを営んでいたと言うのに、化け物の大群が町に押し寄せて来るとか、大地から炎の河が吹き上がって来るとか、どこの絵物語かと思う。
それに加えて自分が領主殺し?
あり得なすぎる。
彼女は足をもつれさせ、壁に手をついた。
【大丈夫? さっき、結構血を流したから……】
非常識の権化である喋りはじめたハンマーが言う。コイツのせいですべてが夢だと思う事も出来ない。
いや、ミヅチの存在ごと夢だとすればそれも可能か。
全部を夢だとして無視したかったが、彼女の肉体の感覚が現実逃避の邪魔をした。今現在、五感で感じているコレは絶対に夢ではない。
「あのぐらいなんともない。女ってのはね、血を流すように出来てるんだ」
【それって……】
ミヅチが赤面したような気配。
この槌は男の子のような気がしたから言ってみたが、やっぱりだ。女戦士としては自分の武器をもう少し揶揄いたかったが、彼女はここで何かの気配に気がついた。
耳をすまし、あたりをうかがう。
【どうしたの?】
「声がした。誰かが泣いているような……」
【左の扉の向こう。誰かいる】
開くかな? と、思いつつリリミヤはドアノブに手をかける。
【開かなかったら、僕っていうマスターキーがあるじゃないか】
「簡単に壊すと言うな」
【やっぱり弁償が気になる?】
「この扉は木工職人のベン爺さんが仕上げた物だ。爺さんの仕事を台なしにするんじゃない」
【ごめんなさい】
「ちなみに爺さんは『新しい領主は気に入らないから手を抜いてやった』とか言ってたが」
【どこに手を抜いているの?】
「さあ? 職人にしかわからない部分があるんだろう」
見事に仕上げられた扉を開いて中に入る。
そこは無人の客間、に見えた。
だが、リリミヤの耳は鋭かった。家具の陰で声を殺して泣いている幼い女の子を発見する。
【トーレちゃん!】
「トーレ? 昼間に馬車から救助された子供だったか? 知っているのか?」
【僕の元になった魂はその馬車で一緒に逃げてきた子供の物だからね。その頃の記憶はほとんど無いけどこの子の事は覚えてる。……もう大丈夫だよ。って、今の僕が言っても無駄か】
「混乱の中で世話をする者が居なくなったか。放っては置けないな」
女戦士は二本の腕で幼な子を抱きしめた。
涙が止まる。
「一緒に行こう」
空の上では空中戦が続いていた。
ライアの犠牲によって自我を得たツバメとトビは神力を消費して実体に近い物を生成、それによってゾッドーバの行動を阻害していた。
しかし巨大な怪鳥に対して彼らははるかに小さい。相手を煩わせる事はできてもダメージを与える事には成功していなかった。
【ツバメちゃん、このままじゃ無理だよ】
【泣き言を言わない!】
【今のままでは僕らはただの神力の塊。何かに宿って聖剣でも神獣でも、一つの実体にならないと。やっぱり僕はあそこの弓使いがいいと思うんだけど】
【アイツはダメ!】
【どうしてさ?】
【アイツは、タケルは私たちを見捨てたのよ!】
【え?】
【私は覚えている。私たちの魂はアイツと一緒に逃げてきた子供の物。アイツは馬車が踏み潰される直前にトーレ一人を抱えて飛び出した。私たちはそのまま死んだ】
【でもそれって、四人も五人も一度には抱えて走れないってだけじゃないか。あの人だって、全員を助ける方法があればそうしたはずだよ。見捨てるって言うなら、一人で逃げた方が良かった訳だし】
【それでも、よ】
結局のところ、ツバメの心を支配しているのは見捨てられた子供が感じる心細さと絶望だった。それだけに理屈による説得は意味がなかった。
巨大怪鳥が動きを変えた。
まとわりつくツバメたちには有効な攻撃手段がないと看破する。ならば相手をするだけ無駄だ。空の相手を追い払うのと地上の敵を掃討するのなら、地上相手の方が簡単なのは当然のこと。
ゾッドーバは降下を開始した。対地爆撃モード。
ツバメは慌てて妨害に出る。
近くを飛ぶだけでは効果がない。顔のスレスレを飛び、隙あらば眼球に体当たりしようとする。
ゾッドーバはブルっと身体を揺すった。
対地攻撃の妨害は成功した。怪鳥は爆撃を完了せずに離脱する。
しかしその代償にツバメはその小さな身体を弾き飛ばされた。滑るように空中をスピン、クルセルクの家屋に叩きつけられそうになる。
「あらよ、っと」
小さな身体に飛びつき、抱きとめて彼女を救出した者がいた。
こうしてみるとツバメは本物のツバメほどには小さくない。人間の幼児ぐらいの大きさはあった。
【あら、ご親切に】
ハンサムな王子様が助けてくれたのかとツバメは妄想。
王子様まで行かなくとも、それなりに良い男のヒーローと協力して強敵撃破の流れと計算する。
「へへ、俺にも運が向いてきたぜ」
彼女を助けたのはいかにも小人物そうな小男だった。下卑な薄笑いを浮かべている。
ツバメの恋は3秒で冷めた。
【ありがとうございます。ですが、もう離してくれて結構ですのよ】
「そう邪険にしなさんなって。お前さん、アレだろう? ガイの旦那を生き返らせて力を与えたヤツの同類。俺にも同じ様にしてくれないかな」
【あなたと合体しろと? お断りです!】
「そう言わずに。これでもお役に立ちますぜ。さっき逃げちまったからな。少しぐらいは手柄を立てて戻らないと、旦那に殺されちまう」
小男はツバメを抱きしめる腕を離さない。
力づくで逃れるのは可能だが、恩人に対してそれは非礼に過ぎる。まだ、何かの危害を加えられた訳ではないのだし。
【それで、役に立つって、何か妙案はお有りですの? わたくしはあの巨鳥を落とさなければならないのですよ】
「……俺は弓は苦手だしな」
【意外と不器用?】
「腕の長さが足りないんだよ」
【なるほど】
「そこで納得すんな!」
身長の低さにコンプレックスがある様だ。
「俺がやるなら罠を仕掛ける感じだな」
【空の相手に罠ですの?】
「例えば、そこの通りの屋根から屋根へロープを張っておく。そこへ敵をおびき寄せて引っ掛ける。……あ、これじゃ俺の利益にならないや。今のは無し。別の手を考える」
ツバメは笑ってしまった。
「ともかく、あんな馬鹿デカイ相手に力で対抗しようなんて無理な話だ。せっかく、敵さんが力と速さを誇っているのだから、その力を逆用しないとな。力に対してもっと強い力で対抗しようなんて、ただの筋肉馬鹿がする事だ」
【その点は同意します。……良いでしょう。合体は出来ませんが、あなたに私の力を少しだけお貸しします。私の名前はツバメです。仮の名前ですが】
「そうかい、ツバメちゃん。俺はリックスってんだ。これでも歴戦の傭兵だぜ。よろしくな」
小男は逃げ出したガイの相棒リックスだった。
神の戦士ガイトの誕生により戦線が持ち直したので、手土産付きで戦いに復帰するつもりだ。ガイトの事が無ければ逃げ隠れしての生存に一縷の望みを託す予定だった。
ツバメはリックスに神の力のほんの一部を貸し与えた。
【あら?】
「ん? どうした、お嬢さん」
【あなたって、ずいぶん身が軽いのですね。私が与えた力はあなたの資質を強化するものです。……あなた、飛べますわよ】
「飛べるって、鳥みたいにか?」
小男は両腕で羽ばたく真似をした。
特に何も起こらない。
【鳥の様に、は無理ですね。空中を走るとか、もう一度ジャンプするとか、そんな感じになると思います】
「どれどれ」
リックスは言われた通りに空中を走ってみた。
何もない空間にまるで固い地面があるかのように走ることが出来た。
「おお! これならどんな城にもお屋敷にも忍びこみ放題!」
【今だけですから。……あなたは傭兵でしょう? お城はともかくお屋敷に忍び込むって、どういう場合ですか⁈】
「そういう場合さ」
悪い事なら一通りやってる無法者。招集された農民ならばともかく本職の傭兵なんて大体はそんな者である。
「と言っても、アレだな。空を走れると言っても、あの化け物鳥に追いつけるほどのスピードじゃない。基本戦術は待ち伏せになるか。……空中を動けるっていう奇襲効果はデカイが相手の方が速い以上、奇襲として一度きりのチャンスしか無いな」
【わかりました。一度目が失敗したら、別の人に力を貸す事にします】
「ドライだねぇ」
【それが嫌なら一度で成功させなさい】
「ヘイヘイ」
リックスは担いでいたロープの束をおろした。
彼の武器はこれと鉈のような刃物だ。鉈としては大型だが、剣としては小さいサイズ。人間の頭をカチ割るのにも使えるが、モンスターの相手をするには心許ない。
「お嬢さん、俺だけじゃなくこのロープの強化も出来るか?」
【どうしたいのですか?】
「強度が上がれば上がるほど良い」
【……フォリン様の知識の中にちょうどいい繊維があるようです。ナイロン? 炭素繊維? やってみましょう】
ツバメからロープの束に神の力が流れ込む。
ロープの存在が書き換えられる。
より細く、より長く、より強靭に。本来ならばこの世界にはあり得ない材質へと変わる。
それでいて魔法的な性質は持たないので神力の消費的にはリーズナブルだ。
「なんか、細くなっちまったけど」
【引っ張りに対する強さは5倍ぐらいにはなっているはずです】
「やるねぇ」
リックスはあたりを見回した。
見つけたいのは怪鳥が優先して攻撃したくなる様なエサだ。この町で一番大きな建物として領主館を考えたが、なぜか怪鳥はそこを無視している。
アイツが良いか。
目をつけたのは闘志に満ちた目をしている異国風の少年だった。今は物陰に隠れて拾ったらしい弩を点検している。太矢のセットの仕方を見つけた様だ。
狡っからい小男は近くの立ち木にロープを結びつける。ロープの反対側には錘を取り付けた。
この木はクルセルクの町が出来上がる前からここに生えているもので、秋になると食べられる実をつける事から伐り倒されずに残っている。この町にある物の中で一番しっかりと固定されているのはこの立ち木だろう。
そしてリックスは気配をころして移動した。体格に劣る彼の得意の能力。弩をいじくる少年の背後にまわる。
少年と言っても異国の弓使いは彼よりは身長があった。それがまたムカつく。
空を飛ぶ怪鳥と自分たちの位置関係を把握する。怪鳥がこちらを見るであろう瞬間に少年の背中を思いっきり蹴り飛ばした。
不意を打たれ少年は無様に通りに転がる。
怪鳥が吠えた。
「お、エサが良いとよく釣れるね」
先ほど怪鳥に対して唯一、有効な攻撃をしていたのがこの少年だ。その彼を見つけた怪鳥は降下を開始した。
リックスは素早くロープを結んだ立ち木へと戻る。
怪鳥が通りに沿って移動してくれるならば彼の目の前を通過するはずだ。もちろん、確信はないが。
怪鳥が舞い降りる。
想定通りのルート……よりはやや高い。だが、高度が高いだけならば問題はない。
リックスはロープをひっつかんで空中へ駆け上がる。
「ビックリしたかい?」
怪鳥がほんの少しだけ動けば矮躯をその嘴で貫くことも可能だっただろう。ちょっと進路をズラすだけでもこの後の事態は避けられたに違いない。
しかし、怪鳥は人間が空に駆け上がってくるという事実に反応することが出来なかった。
リックスは直進してくる怪鳥の進路上にロープを置いておく。
ロープは翼の根元に引っかかった。神の力を宿したロープ、と小男が認識する物は怪鳥自身の勢いによって翼に巻きついた。
立ち木との間でロープがピンと張る。立ち木が根元から揺らいだ。
怪鳥が空中でつんのめる様に失速する。ほぼ同時にロープはプチンと切れたが、その時には怪鳥は飛び続けられないほどに速度を落とし、また翼を痛めていた。
怪鳥の進路はロープに引っ張られて斜め下を向いていた。それを修正することも出来ず、怪鳥は家屋をなぎ倒しながら地面に突っ込んだ。倒壊する家屋がたてる轟音と怪鳥の悲鳴が入り混じる。
「どうだい」
リックスはドヤ顔をして気を抜いた。
コントロールを失って落下するが、こちらは問題なく着地する。
怪鳥はまだ生きていた。
フラつきながら二本の脚で立ち上がる。
しかし、地上に落ちた鳥など恐れるに足りない。弩を構えた男たちが周りを取り囲む。その中には魔力をチャージした必殺の矢を放とうとする少年の姿もあった。
「ゾッドーバが墜ちたか。なかなか健闘するものだ」
少し離れた所でその様を眺める男がいた。
バッカス・ユーノクス。
負傷した彼は足に負担をかけない様に空中に浮遊していた。そんな事に力を使うぐらいなら傷自体を治したい所だが、他の神につけられた傷はそう簡単には治癒できない。フォリンの狙い通りに『急所』を抉られていたら危なかった。
彼は白猫のライアと入れ違う様に物見台の上に登って来ていた。
悪神ダル・ダーレ・ダレンでもある彼は自分の軍勢が劣勢である事にわずかに苛立たしげだった。しかし、余裕がない訳でもない。お気に入りのスポーツチームが敗色濃厚なのと同程度の焦りだ。
そもそも、ダル・ダーレ・ダレンにとっての自軍はモンスター達だがバッカスにとっては町の守備隊もまた自分が編成させた自分の軍だ。予想以上の戦いぶりが誇らしくない訳ではなかった。
「だが、まあ、次を喚びだすための力は溜まっている。特に問題はない」
そこまで呟いた時、彼は近づいてくる足音に気づいて振り向いた。
神としての感覚では捉えられず、人間の聴覚によって感知した相手。それは他の神の関係者に違いない。
「ほう。私を殺しに来たか、リリミヤよ」
神器ミヅチを担いだ女戦士が邪神の器と邂逅した。
領主の顔をした男はニヤリと笑った。そして、女戦士は火傷の痕が残る顔をかすかにそむけ、視線をそらした。
戦いには、ならない?