第1話 世界の終わりが見える町
僕の名はフォリン・ユーノクス。10歳。
僕は下級の魔法貴族ユーノクス家の末子だ。家を継ぐ可能性はほぼない。
僕を形容する言葉はいくつかある。「妖精のように可憐な姫君」とか「10歳で緑級魔法使いの資格を得た無駄な努力家」とか「天才から一歩外れた変人」とか。
ちなみに10歳で緑級魔法使いの資格を得るのは普通はあり得ないそうだ。そんな歳で魔法使いの資格を取るなら生来の魔力の高さを活かしたゴリ押し魔法を使うのが当たり前で、必然的に黄以上の魔法使いになる。
僕はテクニック重視の精緻な魔法で資格を取ったから緑級。僕は平民よりほんの少し上、程度の魔力しか持っていないからね。
そんな僕だけど、僕自身が自分の事を表現するなら一言だけで済む。
「僕は神だ」
あ、別に気は違ってないよ。
本当だよ。
自信過剰な面はあるかもしれないけれど。
僕はほんの物心がついたばかりの頃から普通の人とは違っていた。
僕の中には誰に教えられたものでもない知識があった。「カガクシコウ」とか「ゴウリセイシン」とか。
神に科学の知識が必要かどうかは……まぁ、必要なんだろうね。神としての先達が作り上げたこの世の成り立ちを理解することは僕が神としてやっていく上でも役に立つ。
そして僕には普通でない物を見通す目があった。
僕が何かを見ると、僕にはその物の『本質』が見える。それの構造がどうなっているのか、どんな能力を持っているのか知ることが出来る。異世界の言葉を借りると『鑑定能力』というやつに近いかも知れない。親切な誰かが能力を数字にして教えてくれるわけではないからそこまで便利なものではないけどね。
この『目』はとっても役に立ってくれている。魔法を精緻に扱う能力を得られたのはこれのおかげだ。
そして、この『目』があるからこそ、その先の事も見える。
僕にはたぶん『目』が見る『本質』を書き換える能力もある。そんな気がする。
ただし、今の僕だとそれをするためのエネルギーが足りない。人間が使う魔法などよりもう一段、世界の本質に近い部分を操る能力があるはずなのに、それを実行できない。
とってももどかしい。
足りないエネルギーとは『信仰』だ。
僕は神だ。
この世界から神去りし後、ばらまかれた神の欠片から生まれた新しい神。
新しく生まれたばかりの神だからこそ信者を持っていない。
僕の美貌を利用すれば何人かの信徒を獲得することは難しくないかもしれないが、10歳の子供に信仰心をささげる大人なんかこちらから願い下げた。
どこかの異世界の馬小屋で生まれた神の子みたいに予言を受けた博士たちが訪ねてきてくれればよかったのだが、そんなイージーモードでの神生の開始は僕には用意されていなかった。
というわけで、今の僕は人としての生をおとなしく送っているわけだ。
僕の人としての父親、バッカス・ユーノクスは二年ほど前にクルセルクという領地を任された。これは名誉なことではあるけれど、引き受け手がいなかった僻地を押し付けられたという印象の方が強い。
父と上の兄は領地に赴いたが、僕はずっと王都にいた。けっこう暇だったので武芸の腕を磨き、人としての魔力の使い方を研鑽した。その結果が緑級魔法使いの資格の習得なわけだ。
緑級とは言え僕は魔法使いのマントの着用を許された。これは僕が一代貴族としてユーノクス家から独立することも可能であることを意味する。また、今この時、父が身まかったなら僕がユーノクスの当主を自動的に継承するという事でもある。兄たちはまだ資格を持っていないからね。
父や兄にはどうやらそれがお気に召さなかったようだ。
僕は座って微笑んでいて、見目麗しさを利用した政略結婚のコマになればそれでいいと計算していたようだ。最低でも半神半人である僕がそんな平坦な人生なんておくれるわけがないのにね。
僕は王都からクルセルク領に呼びだされた。
馬車に揺られること20日ほど。「今からあんな所へ行くなんて」と周りから同情されながらの旅だった。
今度は剣の方で資格を取ろうと思っていたのにとっても迷惑。そのまま、完成後間もないと思しき屋敷に軟禁された。
新しい家の当主になりえると言っても僕はまだ未成年。横暴であっても親の言うことは聞かなければならないのが悲しい。
ま、いつまでも軟禁されている気はないけどね。
ここで時は今現在へとつながる。
僕は気配を殺す隠行の魔法を使って軟禁場所からこっそりと抜け出した。
この時間、父は奥の部屋で執務中。美人秘書と良からぬコトの真っ最中かもしれないが、それならそれで問題ない。
兄はこの領地のさらに隅を視察に出かけ、夕食頃まで帰ってこない。
僕の魔法を見破るのは普通の平民の使用人には無理だ。開かれた門から堂々と外へ出た。
これから目指すのは変態でないまともな信者の獲得。
得られた信仰を元手に奇跡を行ない、さらなる信者の増加を目指す。僕の大神殿を建立できたらひとまずのゴールかな。
久しぶりの外は気持ちがいい、とは言えなかった。
隠行の魔法など使わなくとも外を歩くのはまったく問題ない。僕には腰に下げたサーベルと魔法使いの証の短い緑のマントがある。それにこの町で貴族らしい身なりをしている者など領主の一族以外いるはずがないから。
そう思っていた時期が僕にもありました。
何だろう、この町は。
活気がない。
別に王都並の賑わいを期待していたわけじゃない。でも、これは何かが違う。
用もないのに散策している人など誰もいない。遊んでいる子供すらいない。見かける人数は多くはないが、みんな完全に止まっているか最低限の動きで仕事を済まそうとしているかのどちらかだ。そして、僕を見るとそそくさと僕の目が届かない位置に逃げ出していく。
僕は彼らを神の『目』で見る。
普通の平民だ。変わった所は特にない。強いて言えば栄養の状態があまり良くない。餓死するほどではないが、辛そうではある。
僕の目についた範囲でこれなら、ひょっとしたら貧困層では飢餓が起こっているかも。
異界の知識では言っていたな。「民を餓えさせる者に王たる資格なし」それは領主でも同じだろう。
どうしよう。誘惑を感じてしまったぞ。
父を暗殺してユーノクス家を乗っ取る。その上で民の生活を改善して彼らの信望を信仰心を集める。
現在の半端な神未満から土地神あたりに一気にレベルアップ出来そうだ。
少し考えてみて、とりあえず保留で。
神として父殺しは……けっこうアリか? どこかの雷使いの主神様とか、親殺しは神話の普遍的なテーマだったような気がする。
いや、ダメダメ。
そんな手を使っていたら邪神にでもなりそうだ。這いよる何とかならまだしも触手うねうねの蛸神様になるとか絶対に嫌だ。
親殺しは横に置くとして、邪悪な領主あるいは無能な領主からの人々の救済は神として大成する上で有効なミッションだろう。
あの父は嫌いだが、そう考えると僕のために素晴らしい踏み台になってくれているとも思える。
僕は道の真ん中で腕を組んで立ち止まった。
バッカス・ユーノクスは邪悪な領主、ではないと思う。善人か悪人か二分して考えるなら悪人だろうが、私欲のためであれ領民を故意に飢えさせるような人間ではない。アレは何というか、もっと器が小さい。小者だから大量虐殺をやらかすような勇気はないはずだ。
では無能な領主か?
こっちは大いに可能性がある。
でも、彼のために弁解できそうな要因を考えてみよう。
僕は空を見上げた。
青い空に白い雲が流れている。
僕の『目』で見ても天候に異常はない。少なくとも今年に関しては干ばつなどは無いはずだ。でも、僕の『目』では去年の天候までは知ることが出来ない。去年あたりに何かあったのかも知れない。天候関係で無くとも戦争でもあれば、働き手をとられて食糧生産に支障をきたす事はあり得る。
干ばつが二年続いても平気なだけの食糧を蓄えておくのが優秀な領主とされているが、父がここの領主になったのも二年前。優秀な領主となるには時間が足りない。
とりあえず、確実な情報は
【栄養失調の領民を見た】
【僕を含めて領主の一族は好かれていない】
の二点だけか。
僕を恐れない相手が居たら話を聞いてみよう。
そう決めて僕は散策を再開する。
僕を誘拐して領主に要求を出そうとするような奴が居たら、その時は返り討ちでいいよね。
この町の建物はほとんどが平屋で、かなり古いものだ。少なくともここ何年かの間に新しく建てられた物はない。唯一の例外は僕が抜け出してきた領主の屋敷。
まさかとは思うけど、あの屋敷を立てる程度で領民が困窮したりはしない、よね。
逆に雇用対策として付近住民にお金を落とすために建て替えさせた可能性もある。
いや、結果的にそうなった可能性があるだけで、あの男にそこまで考える頭があるとは思わないけど。
大通りを外して歩いてみても町の外れまで行きつくのに大した時間はかからなかった。
そこにあったのは壁だ。
高さは僕の身長の二倍ほど。積み上げた土嚢と土によってできている。土嚢の間から雑草が顔を出しているが、完成してからそんなに時間がたっている様には見えない。
ひょっとして、これが原因か?
簡単な作りの壁だと言ってもこの高さの物を町の外周をぐるりと回る規模で築いたら相当の人手が必要になるはずだ。農繁期に行えば食料生産に支障をきたすほどに。
僕は『目』で見た。
めまいがした。
足元がぐらりと揺れたように錯覚した。
恨みだ。
辛みだ。
新しい領主とその一族に対する呪いが、この壁にはたっぷりと含まれていた。
それこそ、このエネルギーを取り込んだだけで邪神への第一歩を踏み出せそうなほどに。
どうやら父もこの壁を平民の人力だけで造らせるほど鬼畜ではなかったようだ。
バッカス・ユーノクスは僕と違ってパワーに溢れた黄の魔法使いだ。その力で地面を爆破して掘り起こし、そこから壁を造らせた。
父のつもりとしては平民たちの手間を省いてやっただけなのだろうと思う。
しかし、働かされた者たちはそうは思わなかったらしい。圧倒的な力で脅されたように感じ、死に物狂いで作業した。重くなった税にも賦役にも文句を言わず、命じられるままに動いた。
その結果が、食糧不足か。
父はもともと中央の官僚だ。それがヘマをしたか何かで地方へ飛ばされた。領地経営に疎いのはある意味仕方がない。
私利私欲ではなく公共工事で領民を困窮させたのなら暗殺は勘弁してやろう。
あとはこの壁を築いた事にどの程度の合理性があるか、だな。
壁の向こうがどうなっているか見てやろうと思う。
基本的には土を盛って造った物だ。垂直の壁では無いし、手がかり足がかかりもいくらでもある。
手が汚れるのを厭わなければ登るのに大した苦労はなかった。
壁のすぐ向こうは空堀になっていた。
堀というか、壁の材料を掘りだした跡だね。
獣や軍が越えるのは難しいかも知れないが、今は簡単な梯子がかかっていて壁を登るのも堀から抜け出すのも簡単になっている。
堀のすぐ向こうは農地なので、町の人間が出入りするのに使っているのだろう。
農地の向こうは森で、その先は不自然に途切れていた。いや、超自然に途切れていた。
見えなかったのでは無い。霧に包まれていたのでも闇に覆われていたのでもない。文字どおりの『無』。
森の先を見ようとしたら、そこに関してだけ「目をつむってしまった」ような不自然な状況。
神の『目』で見てみてもそこには何も無かった。
馬鹿げている、と思う。
同時に王都で聞いたある噂を思い出す。
曰く「世界を喰らい尽くす最悪の魔物が暴れている」と。
僕ははじめて見たが『無』の領域は世界のあちこちに出現しているらしい。『無』に呑みこまれた者は誰も帰って来ない、とも聞く。
あんまり信じていなかったけど、まさか本当に『無』があるとは。
いや、無いけど。
この『無』に関しては『目』で見ても分からない。
ならば、と神の知識を探る。日頃よく使う異世界知識ではなく正真正銘の神の知識を。
この世界の名はダンダルバ。ただしこの名前は神かその関係者の間でしか使われていない。普通の人間には「別の世界」というものを認識できないからこれは当然。
この世界を創った者、創造神の名はダンタール。
この創造神は今はこの世界にはいない。
そこまで思い出した時、僕は激しい頭痛に襲われた。
頭の中に手を突っ込まれてかき回されるような痛み。視界が真っ白になる。
「うぅ」
僕はうめいて片膝をついた。無理に立っていたら壁から転落しそうだった。
いったい何が起きているのだろう? 神である僕が普通の病気になるはずがない。
僕から何かが分離していったようだった。
そして気がつくと、僕の目の前で白い猫があくびしていた。
これは猫のように見えるが猫ではない。神としての僕の一部、分身のようなもの。眷属とか神獣とか呼べば良いのだろうか?
白猫は念話で意思を伝えてきた。
【ようやく創造神の名前を思い出したか。まったく親不孝な事だ】
「創造神って、僕の親なのか?」
【ダンタールがこの世界を離れるにあたって世界中にその種をばらまいていった。その一つがフォリンだ。親と呼んでもおかしく無い】
「種、ね」
はしたない事を連想しつつ、自分は不義の子にあたるのだろうかとも思案する。
創造神も種を残すのにそういう事をするのだろうか?
立ち上がって膝の汚れを払った。腰のサーベルの位置を調整する。
【ところで、猫の姿になった以上、オイラは語尾にニャをつけるべきだろうか?】
「別に要らないと思う。心の底からどうでもいい」
【様式美というものは大事だニャ。馬鹿にしたらいけないニャ】
僕がなんと答えようと様式美を守る事は決定事項だった。
ならば最初からきくニャ。
いけない、釣られた。
「ところで、わざわざ僕から分離したのはニャーニャー言って遊ぶためなのか?」
もしそうなら僕の中に戻れとは言わない。このままどこかへ追い出す。
【そんなことは無いニャ。とっても重要な用事があるニャ。でもその前に必要なことがあるニャ。オイラに名前をつけてほしいニャ】
「名前。……お前の名前はライアだ」
【即答? 少しは迷ってほしい気もするニャ】
「異世界知識で嘘、ライアーからライアだ」
【ひどいニャ、もう登録してしまったニャ。もう変えられないニャ】
すでに決定した事ならその是非を議論するだけ無駄だな。
「で、重要な用事とは?」
【そうだったニャ。フォリンの使命について伝えなければならないニャ。今のフォリンは神ではないニャ。神の因子を持った人間だニャ。フォリンは自分の神の因子を育てるか奪うかして本物の神にならなければいけないニャ】
「使命として伝えられなくともそのつもりだったけど?」
【このままだと、あの『無』が拡大を続けるニャ】
「アレが僕と関係がある?」
【ダンタールがこの世界を去ったせいで、今は最高神不在だニャ。二万年ぐらいそこらを散歩してくると言ってたニャ。世界を認識し続ける者がいないせいで、世界にほころびが出来ているニャ。それがあの『無』だニャ】
つまり、噂で聞いたように世界を滅ぼす魔物がいるのではなく、世界の管理者がいなくなった事で世界が端から壊れているのか。
「では僕にダンダルバの最高神に至れと?」
【そこまで行かなくとも多少の信仰を集めただけでもここから見える範囲ぐらいは守れるニャ。今でもあそこの『無』が拡大するスピードは鈍くなっているニャ】
「つまり『無』に呑み込まれる前に神になれ。時間制限がついたっていう事か」
【別に無理に神にならなくとも、王都あたりに逃げれば人としての寿命が続く間ぐらいは大丈夫だニャ】
「人としての僕だって一応は貴族だからね。それは避けたい。せめてこの町が『無』に呑み込まれる前にはどうにかしたいな」
僕は『無』から町中の方へ目を向けた。
道行く人に活気はない。けれど炊事の為だろうか、煙突から煙が上っている家がある。洗濯物が干してある家もある。
別に神の『目』を使わなくとも生活感は感じられる。
彼らが『無』にかえる前に彼らに崇拝される必要がある。嫌われている父を排する以外にそれを実現する方法はあるだろうか?
いきなりライアが僕の身体を駆け上ってきた。
白猫が物質としての身体を持っていることにちょっとびっくりした。僕にしか見えない幻影かと思っていたが、肩にずしりと重みを感じた。
「爪を立てるな、服が破れるだろう」
【そんな事を言っている時ではないニャ。アッチを見るニャ】
肉球がぺちぺちと僕の頬をたたく。町の外に目を向けさせたいらしい。
見ると、街道に土煙が上がっていた。
荷馬車が走っている。
別におかしな事ではない、と思ってから訂正する。
荷馬車が走る、これは奇妙なことだ。荷馬車というものは大量の荷物を運ぶためにあるのであってスピードは重要視されない。車体や車軸が壊れる原因にもなるし、荷馬車を走らせるという事は通常はない。
何か変事があった?
山賊、追剝ぎの類だろうか?
僕は『目』をこらす。
その時、土煙の中からそいつが姿を現した。
そいつは馬よりも大きく、6本か8本の足があった。一番前の足は鎌になっていて移動には使わないようだ。巨大なカマキリと呼ぶには全長が足りない印象、蜘蛛とカマキリをかけ合わせて巨大化した様な何者か、だ。
【モンスターだニャ!】
「異世界のゲームじゃあるまいし、そんな物、いる訳がない」
【フォリンだって噂を聞いた事はあるはずだニャ。それに、現にあそこにいるニャ!】
確かに。
その怪物は確かな重量を持った実在として荷馬車を追いかけていた。
ごめんなさい、父上。
こんな怪物がいるなら民に不満を持たれても壁を築くよね。
むしろ慧眼だわ。