8話 『兄の不満』
これは、夢だ。
全てが荒れ果てた大地で、俺はポツンと1人佇んでいた。
「…………」
生命を感じさせぬ不毛の地で、独りぼっちになって。けれど、ふと背後から聞こえた足音に、俺は振り返った。
そこには6本の腕を生やした大柄の男がいた。
俺は、彼を知っている。この世界『イルズィ』で戦う術を知らなかった己に、剣の扱いを教えてくれた師匠だ。
何故ここに? なんて思ったりしない。だって、ここは夢の中なんだから。
「よぉ明、随分とショボくれた顔しとるやんけ。彼女も心配しとんで」
気付けば、俺の姿はこの世界にやってきたばかりの姿に変化していた。ヘルクトゥール・モーゼ・ヴァールハイトではなく、不動 明の姿へと。
そして、また背後から足音が響く。
「明…どうしてあんなことしたの…? 私はそんなこと望んでなかったのに…」
その声に、俺はドクンと心臓を高鳴らせる。だって、彼女は、俺が守ることの出来なかった大切な人だから。
振り返ることの出来なかった自分へと、彼女は近付いてくる。けれど、俺は動けないままだ。
「私、死んじゃったことは悲しかったよ。でもね、明があんなことをしてしまったのが悲しいの」
彼女の手が肩に触れる。
ビクンと、からだが震えた。
けれど、彼女はそんなことを気にせず、そのまま腕を首へと回して抱き付く。
「おぅおぅ、見せ付けてくれるやんけ」
俺の前に立っていたアークは、ニヤニヤとしながらからかうかのような口調でそんなことを言っていたが、それよりも後ろにいる彼女に顔を向けれず震えたままだった。
場所が変わる。からだが老化し、己が殺戮の限りを尽くした頃の老人の姿へと変化する。
俺は屍の山の上にいた。
「皆、言ってるの。辛いよ。悲しいよ。苦しいよって、そう叫んでるの」
「やめて、くれ…」
また場所が変化する。
燃える馬車にバラバラとなった死体を背後に、己と同じ姿をした者が、とある少年と少女に剣を突き付けているのを眺めていた。
知っている。この光景を、俺は覚えている。
「い、嫌…」
「たすけ、助けて…」
「…………」
その2人の子供は、とある王族の息子と娘であった。だからこそ、あそこにいる俺は、剣を突き付けている。
例え、親に全ての責任があるだけの罪なき子であろうとも、俺はそれを決して許すことが出来なかった。
この先の結末を俺は知っている。だから、眼を逸らそうとしたが、首に手を回している彼女がそれを許してくれない。
「イヤァァァァ!!」
「アアァァァァ!!」
俺は冷酷な表情で眉ひとつ動かさず2人に剣を突き刺し、悲鳴を気にすることなくそれでも滅多刺しにする。
2人が動かなくなっても尚、それは止まらない。
怒りが収まらない。
「どうして、どうしてこんなことしたの…?」
彼女は悲しそうに呟く。
また場所が屍の山へと変わる。
いつの間にかアークはいなくなっていた。けれど、背後にいる彼女はそのままだ。
「ねぇ、答えてよ明…」
「…………」
彼女の問い掛けに答えることが出来ず、ずっと沈黙が続く。
永遠にこの時間が続くのではないのかと思える程に、それが長く感じられた。けれど、何者かに足を掴まれたことによって沈黙は終わる。
見下ろせば、屍の山であった彼等は皆こちらを見つめ、救いを求めるかのように手を伸ばしていた。
「…すまない…すまない…すまない…」
俺はただ謝罪の言葉を口にし、彼等の手を振り払う。
己が悪かったのではない、世界が悪かったのだ。
世界が悪かったのではない、己が悪かったのだ。
もはや何が何だか訳が分からなくなり、俺は死体の山へと飲み込まれる。
「全部、俺が弱かったから招いたことなんだ…ごめん、セリエ―――」
そして、夢は覚める――――。
――――
あれから更に2年が経過した。
俺は7歳、兄のシェヴァスターが9歳、妹のセシリアが5歳だ。
ヴァールハイト領には、まだ学校などの教育施設が建てられておらず、更にはそれを教える人材も足りていない為、勉強は執事のマダルが教えてくれることになっている。
彼は仕事をしつつ、俺たち3人に教えていることを考えると、かなりのハードスケジュールじゃないのだろうか?
まぁ、他にもメイドや執事はいるので大丈夫だと思うが。
取り合えずそのことはさておき、ドウェルクとアーディは本日も来ていないので、いつものように庭で鍛練だ。
「ハァ…」
溜め息をついたのは兄だ。
最近はこの時間になる度に、ずっとこんな感じである。
「どうかしましたか、シェヴァ兄様?」
「いや、師匠に剣を習ってから2年経ったけど…俺って強くなってるのかなぁ、って思ってさ」
「シェヴァは強いよ!」
「いや、リーネに言われてもな…」
自信満々に答えるリーネに、兄様は力なく返した。
翌日。
「ハァ…」
「どうかしましたか、シェヴァ兄様?」
「いや、俺って本当に強くなってるのかなぁ、って思ってさ」
「シェヴァは強いよ!」
「いや、リーネに言われてもな…」
力強く励ますリーネに、兄様は上の空で返した。
翌日。
「ハァ…」
「どうかしましたか、シェヴァ兄様?」
「いや、この鍛練に意味があるのかなぁ、って思ってさ」
「意味はある筈よシェヴァ!」
「いや、リーネに言われてもな…」
元気よく答えるリーネに、兄様は落ち込みながら返した。
翌日。
「ハァ…」
「どうかしましたか、シェヴァ兄様?」
「いや、今日も師匠来てくれないなぁ、って思ってさ」
「私はいつも来てるよシェヴァ!」
「いや、リーネじゃなくて…」
褒めて褒めて、と言わんばかりに笑顔のリーネに、兄様は疲れた様子を見せて返した。
翌日。
「ハァ…」
「どうかしましたか、シェヴァ兄様?」
「いや、つまんないなぁ、って思ってさ」
「私は毎日シェヴァと一緒にいれて楽しいよ!」
「いや、リーネじゃなくて…」
幸せそうにはにかむリーネに、兄様は絶望した表情を見せて返した。
翌日。
「ハァ…」
「また溜め息ですか、シェヴァ兄様?」
「いや、一度外の魔物相手にしてみたいなぁ、って思ってさ」
「シェヴァなら大丈夫よ!」
「ほ、本当か?」
「おいそんなこと言うなリーネ!」
リーネが同意をしたことによって、表情を良くした兄様を俺は慌てて止めた。
なんてやり取りを毎日している。
俺的にはシェヴァも大概だが、リーネに対して、少し恐ろしさを感じていた。
あれは、ヤンデレ臭がする。と言うか、既にヤンデレっぽい気がする。この前なんて、シェヴァの言うことを否定したらそれだけで、火属性の魔術を俺に向けて放って来やがったし。完全に殺す気だったぞあれは…。
…兄様、頑張って死亡フラグ回避してくださいね。
とまぁ、冗談はさておき、ドウェルクとアーディのことだ。
あの2人はBランクの冒険者なので、人手不足のヴァールハイト領では、常に引っ張りだこである。
なので、基本的に2人は来ないので、課せられた鍛練をして終わるだけ。
その鍛練も、素振りと型を合わせる動きのみ。
鍛練の成果も分からず、憧れの人にも見て貰えず、不安なのだろう。
「じゃあ…ちょっと手合わせでもしてみる?」
兄の不安を取り除くのも弟の勤め。そんな提案をしてみる。
実際は対人戦がしたいだけなのだが、そこは別にいいだろう。
「おう! やろうぜクトゥ!」
「シェヴァ頑張って!」
その提案にシェヴァはやる気満々な声で了承する。しかし、残念ながらリーネは俺を応援してくれないみたいだ。
――――
「公平に審判してくれよ? リーネ」
「やっちゃえシェヴァ!」
俺の言葉は無視され、兄様に声援を送るリーネ。こっちは眼中になさそうだった。
うん、あの子に審判を任せるのは駄目だなこりゃ。なので、ルールだけを決めることにする。
「では、からだに当てた方が勝ちと言うことで」
「よっし! 早くやろうぜ!」
勝敗条件を決めると、ウズウズした様子のシェヴァが、木剣をブンブン振り回していた。
実は言うと、今まで兄とはあまり手合わせをしたことがないのだ。
ドウェルクとアーディがいるときに、似たようなことをやったりしたが、駄目なところがあればすぐ止められたりして、満足な打ち合いはなかった。
さて、ここでひとつ問題が。
勝つべきか、負けるべきか。
正直に言って、真面目にやらなくてもシェヴァに負ける気はしない。
当たり前だ。
俺はそもそも『剛剣流』の開祖である【六剣神】アークに剣術を教わり、今でも大抵の技を使える上に、闘気だって使えるのだ。
今まで素振りと型の鍛練しか教わっておらず、実践経験が不足しているシェヴァを相手に負ける要素など、どこにもない。
だからこそ悩むのだ。
ここで大人気なく勝ってしまうと、自信を失うかも知れない。
わざと負ければ、調子に乗って魔物を相手にしに行くかも知れない。
そんな不安が、頭を掠めていた。
くそ、誰だよ手合わせしようとか言った馬鹿は。
俺だよチクショウ。
「では、開始!」
「よっしゃ! 行くぞクトゥ!」
リーネの合図と共に、シェヴァが突っ込んで来た。
俺にはもう考える時間はないようだ。
仕方無い。
「『天の構え』」
大層な名前だと思うだろうが、やるのは木剣を上に構えるだけだ。ぶっちゃけると、剣道にもあるただの上段。
しかし、相手よりも先に振ることが出来る理にかなった形だろう。
一応、ドウェルクとアーディに教わった技だし、シェヴァなら対応できると思う。
しかし、そんな俺の予想は裏切られることとなった。
「やぁぁぁぁ!」
「うわぁ…」
シェヴァは教わった技を使おうともせず、ただがむしゃらに突っ込んでくるだけなのだ。
あまりの酷さに、思わず声をだしてしまう程である。
リーネが獣族のハーフであることに関しての虐めはまだ続いており、それをシェヴァがいつも追い払っている筈なのだが、まさかいつもこんな感じなのだろうか?
だとしたら、よく負けずに追い払えるな。
なので、俺は間合いに踏み入ったシェヴァへと木剣を振り下ろし、頭に当てた。そして、呻き声と共に地面へと倒れ、起き上がることはなかった。
気絶してしまったのだろう。あまりの呆気なさに、俺は呆れることしか出来ない。
ドヴェルクとアーディに教わったことをちゃんとしていれば、こうはならなかったろうに。
「シェ、シェヴァ!」
倒れた兄の元へとリーネは駆け寄り、軽い応急措置と介護をする。
リーネが心なしかこちらをキッと睨んでいたような気もするが、気にしないでおこう。俺は悪くない。
取り合えず家の中へと戻り、濡れたタオルを持って来ることにした。
しかし、これは想定外だった。
どうしてシェヴァが教わった動きをしなかったのか、全く持って謎だ。
そうすれば、少なくとも一撃なんてことにはならなかったと思うのだが。
――――
「ん、うぅ…?」
「気が付いたシェヴァ?」
「ここは…?」
「庭よ」
「庭…クトゥは?」
「ここに居ますよ」
気絶から覚醒したシェヴァは辺りをキョロキョロと見回し、俺と目が合う。すると、小さな溜め息を吐き始める。
「くそっ…勝てなかったか…」
「シェヴァ兄様、失礼ですがあれでは負けて当然だと思いますよ?」
辛辣かも知れないが、正にその通りだろう。あんなので勝てると思う方がおかしい。
近隣の悪ガキ共にはそれで通じたのかも知れないが、戦いを知ってる者には通用しない。
そんな俺の言葉に、シェヴァはムッとした表情を見せる。
「うるさいな! 言われなくても分かってるよ!」
「分かっているのですか」
「あぁどうせ『どうして教わった技を使おうとしなかった?』とか思ってんだろ!?」
そこまで分かっているのか。
と言うか、分かっているなら何でそんなに悔しそうにしてるのであるか疑問だ。
「俺は、『剛剣流』を使わずに勝ちたかったんだ!」
「はぁ…」
「師匠たちは俺たちのことをろくに見てくれないしさ!」
もしかして、ドウェルクとアーディに対して拗ねているのだろうか?
確かにここ最近は一度も姿を見せておらず、ずっと課せられた鍛練をしていただけだ。
だからこそ、シェヴァはいつもあんな様子だったのだろう。
「こんな素振りだけなんて、つまんないんだよ!!」
「つまり、反発したかったと?」
「そうだよ! 剛剣流以外で戦って、師匠たちにちゃんと見なかったことを後悔させるんだ!!」
言ってることが滅茶苦茶であったが、気持ちは分からなくもなかった。
シェヴァもまだ9歳なのだ。我が儘を言いたい年頃でもある。
日頃から見てくれない師匠への当て付けなのだろう。
「では、シェヴァ兄様。師匠に見て貰えるようにしましょうか」
なら、ドウェルクとアーディには悪いが、ちょっとばかし子供の我儘に付き合ってもらおう。
剛剣流の奥義は使えるんだぜ、とか何だかんだカッコつけたこと思ったりしているけど、俺もやっぱりちゃんと見て欲しいと思ってるしさ。