2話 『不安定な領地』
「…………」
俺は現在、両親と兄妹、メイドや執事の目を盗んで、家から抜け出していた。街中の街道をあてもなくさ迷い、まるで浮浪者のようにおぼつかない足取りで歩いていく。
正直、あの家にはあまり居たくないのだ。
だって、俺は家族からの愛を受ける資格なんて、ないのだから。本来の子供を奪った、紛い物なんだ。
だから、こうして我が儘を繰り返すことで、少しでも嫌ってくれれば、気が楽になる。
「………ヴァールハイト領、か…」
この時代があれからどれほど経ったのか調べて見たが、残念ながら詳しく分からなかった。けれど、他に知るべきことは把握出来たからよしとしよう。
どうやら、この時代には大まかにわけて、5つの大陸名があるようで、どれも知らない名前であった。
1つ目は、宗教国家とされ、巨大な信仰国を築いた『アルバ聖国』のある西方大陸。
2つ目は、この世界最大の武力国家である『プリュンデル帝国』のある北方大陸。
3つ目は、中立を保ち、全ての大陸と交易している『ハプル貿易国』のある中央大陸。
4つ目は、その大部分が『ハイラント大森林』と呼ばれる広大な森で埋め尽くされており、そこで獣族達がひっそりと集落を築いている東方大陸。
5つ目は、邪神の時代を生き抜いた、欲望を司し魔王達が治める南方大陸。通称『魔大陸』。
ヴァールハイト領は西方大陸に属しており、アルバ聖国の領土である。そして、魔大陸に隣接した国境の地。
魔族や隣国への防波堤の役割がある、重要な地だ。
そして、国境なので森や山が比較的近くにあり、魔物の襲撃が定期的に起きるそうだ。
街としては出来たばかりなのか、ちょっとした高台から見渡せる程に小さく、騎士や冒険者ギルドと言った存在はあるものの、やはりこれも小さく、街中は閑散としている。
これも全て“とある魔物”がここの近くを縄張りにしているせいで、人々がこの地に近寄らないし、離れて行くのだ。
―――『鬼王』。
そいつはかつて【英雄神】セイン・クロウリウスという男によって封印され、俺の手によって復活した『古の魔物』の一匹である。
強さの簡単な説明をしよう。
この異世界『イルズィ』には、その者を表す二つ名の他に、“王”と“神”が含まれる称号が存在する。
王とは国で、大陸で、世界で一番強い。と言う意味ではなく、個人の力で“国に匹敵する者”のことを指す。
神の称号者は“世界を滅ぼせる者”に与えられる。
いつの日か話したであろうゼーレは【冥界神】、昔の俺は【救世神】と【邪神】と呼ばれ、実際に世界を滅ぼした。
そして、個の力で国を滅ぼせる鬼王の称号を持つ魔物が、このヴァールハイト領の近くに存在している。
『古の魔物』は、何故か縄張りの範囲から出てこようとしないので、運の良いことに今まで鬼王による“直接的な”被害はない。
しかし、いつ出てきても可笑しくないのだ。
「……………」
俺のせいで、この場所はいつも危機に晒されている。俺が封印を解いてしまったせいで。
…あぁ、因果応報ってことだろう。
世界を滅ぼしてしまったツケが、早くも返ってきている。
今の俺に、昔の力はない。
かつて手にしていた『無限解放』を失い、魔力も平均程度で、体力もない。ただ前世の知識を持つだけの餓鬼だ。
今はまだ無理だろう。
だが、いずれ鬼王は俺の手で始末する。
いや、そいつだけじゃない。
『古の魔物』も全て葬らなければ、また俺のせいで人々が死んでしまう。
それだけはゴメンだ。
転生した俺の望みは、このまま消え去ることだ。
しかし、そんなことをすれば、やはり紛い物とは言え、家族は悲しむだろう。それに、俺が解いてしまった魔物達によって、人々の被害もあるまま。
それでは駄目だ。
例え、俺が惨めに過ごすことになったとしても、それだけは許せない。
このままでは駄目なんだ。
また繰り返すことになってしまう。
「………向き合わないと…」
俺は影でもいい。
喜べなくてもいい。
報われなくてもいい。
ただ周りの者達が、笑って過ごせたら、それでいいんだ。
でも、今の俺なんかに出来るのだろうか。
曲がりなりにも前世の俺は、【救世神】とも【邪神】とも呼ばれた存在だ。
王の称号を持つ存在が、どれほどの力を持っているのか、想像は出来る。
俺には力が足りない。
力を持たなければ、また全てを失ってしまう。
弱者はいつだって奪われる側だ。
―――弱者に正義を語ることは出来ない。
「クトゥ!!」
「…………?」
うじうじと悩んでいた俺の背後から、不意に声を掛けられ振り返る。
そこには、兄であるシェヴァスターが、小さなからだでトテトテと此方に駆け付けていた。
「どうしてここに?」
「クトゥがでていくのみたから、おいかけたんだ!」
…やはり、鈍ったもんだなぁ。
誰にも気付かれずに出てきたつもりだったけど、5歳の子供に見付かっていたなんて。
しかも、途中で人混みの中を通っているのに。ここは流石は我が兄、と思うべきなのだろうか。
やはり、今の俺は弱すぎる。
「このあたりはあぶないから、はやくかえるぞ!」
「あ…うん」
シェヴァはそんな思考をしていた俺の手を引っ張り、元来た道を戻っていく。
しかし、この辺りは危ないのか…いや、普通に考えて危ないか。
現代でも小さな子が1人でうろうろしているのは危険なのに、人拐いや暴力が飛び交うこの世界で、危険がないわけがない。
ましてや親が領主。
優しい父親だと信じているが、クレイだって人間なんだ。恨みの1つや2つあるだろう。
その矛先が息子に向かっても、何ら不思議はないのだから。
「クトゥ、てをはなすなよ!」
帰り道の途中にあった、人混みの中を進んで行く。
それでも、全くはぐれる気がしなかった。シェヴァの握るその手によって、とても離れることは出来なさそうだ。
…あぁ、こんなにも小さな手なのに、俺よりもとても大きく感じられる。
いや、物理的な意味ではなく、心と言えばいいのだろうか。とても暖かく感じられるんだ…。
―――頭の中にとある女性の姿がちらついた。
『―――ほら明! しっかり手を握って!』
その日も確か、今のように俺の手を離さぬよう力強く握り締め、暖かさを、安心感を与えてくれた。
あてもなく、金もなく、心折られ、幽鬼のように不安定だった俺に親切にし、癒してくれたあの日のことを。
『…どうして、こんなにしてくれるんだ…?』
『人を助けるのに、理由なんて必要?』
俺の疑問に、曇りのない太陽のような笑みを見せて、答えてくれたあの時のことを。
壊れ掛けていた俺を救ってくれた、素敵な女性だった。
一生を掛けて守りたいと願った、今は亡き俺の恋人―――。
「…………」
俺は頭をブンブンと振り、儚い過去の思い出を奥底へと仕舞い込む。
イカンイカン、まさか兄に手を握られ、昔の恋人のことを思い出してしまうなんて。
こんなことで一々感傷に浸っていては、強くなんかなれない。
「クトゥ?」
「何でもない」
キョトンとした様子を見せ、シェヴァスターは俺を見つめてくる。
昔の恋人のことを思い出していた、なんてことを言ったところで通じないだろうし、そもそも意味が通じたところで、訳が分からないだろう。
が、そんな俺の思考は、すぐに壊されることとなる。
「大変だぁぁぁぁぁぁ!!」
しばらく進んだところで、突然辺りを見渡す為の見張り台から、警鐘が鳴らされたのだ。
「また魔物が出たぞぉぉぉぉぉぉぉ!!」
つい先程、鬼王による直接的な被害はないと説明したと思うが、あくまでも直接的な被害は、である。
鬼王はとても強大な魔物だ。
故にその縄張りから追い出される魔物は、後を絶たない。そして、追い出された魔物たちが向かう先が、ここだ。
不和な魔大陸と隣接し、尚且つ頻繁に魔物の襲撃が起こる地。
それがヴァールハイト領の現状だった。