1話 『望まぬ命』
何だろう…とても暖かく、居心地がいい。
これが、死の世界なのだろうか?
こんなに優しい世界だったのか?
光を感じる。
それに、声が聞こえた。
「あぁ、男の子よ…生まれたわよクレイ」
「よく頑張ったエリシア…!」
これは、俺の知ってる言葉だ。でも、日本語ではない――『イルズィ』の人族語だ。
いつの間にか抱えあげられていた俺の目の前には、二人の男女が目に写る。
男は短い茶髪で優しさを感じさせる、眼鏡が似合いそうな男。
女は藍色のロングで、誠実さを感じさせる色白の女。
(……まさか…そうなのか…?)
沸き上がった疑問はすぐに確信へと至り、混乱するであろう状況の中で、冷静さを保たせた。
日本から異世界であるイルズィに転移し、魔術にも魔王にも神にも会った俺だからこそ、直ぐに理解したのだ。
――転生したのだと。
(ゼーレの仕業か…?)
いくら考えてみても、こんな芸当が出来るのはアイツしかいないのだ。
【冥界神】ゼーレは死を操りし世界の創世主の一柱。
アイツならば、輪廻転生など容易く行える筈だ。
しかし、転生させた理由が何一つ分からない。
喧嘩別れした嫌がらせ、なんて線も考えられるが、現時点では何も分からない。
分からない。どうして俺を転生させたんだ。
まだ俺に生き続けろと言うのか?
やがて、冷静な思考は失い、混乱と後悔が胸に渦巻いていく。
やめてくれよ。
もう疲れたんだよ。
そもそも世界を滅ぼした俺に生きる資格なんてないだろ?
ふざけんなよ。
夢も希望も全部失ったのに、それでも生きるなんて酷な話でしかないじゃないか。
あぁ、クソッタレ。どうすればいいんだ?
また虚ろな日々を過ごせと言うのか?
そして、そんなゴチャゴチャした思考に飲まれていた俺を、恐らく両親であろう2人が不安げな顔で見ていたことに気付く。
…あぁ、うん。赤ん坊の俺が泣きもしないから不安なのか。
「オギャアァァ!」
やっぱり、俺は甘いよなぁ。
――――
ヘルクトゥール・モーゼ・ヴァールハイト。
それが生まれ変わった俺の名前だ。
父親の名前はクレイ・モーゼ・ヴァールハイト。
母親はエリシア・モーゼ・ヴァールハイト。
長男の兄もおり、名前がシェヴァスター・モーゼ・ヴァールハイト。俺の2つ上みたいだ。
両親の話に聞き耳を立てた結果、我が家が何処かの国のお偉いさんということが分かった。
まぁ、辺境地に飛ばされ、周りの貴族から疎まれてるらしいけど。
が、そんなことはどうでもいい。
どうして俺は、転生なんてしているのだろうか。そのことが、ただ、辛かった。
あの全てが狂った日から、俺の時間は止まったままなのだ。
自身が犯してしまった過ちが脳裏を過り、絶望が前へ進もうとする足を引っ張り、罪が己の存在を許してくれない。何をする気にもなれない。
家の中ではボーッと過ごしているだけ。
何処か悪い所があるのじゃないかと心配されているが、そんなのどうでもいい。
なのに、どうでもいいのに、俺はその心配に答えてしまう。
あぁ、鬱陶しい。
俺の心の中でグルグル、グルグルと廻り、でもアッサリと抜け出して。
ホント酷な話だよ。
もう何もしたくないのに、どうして俺はここにいるのか。
ボロボロで擦りきれて、ぽっかり穴の空いた心に、ずっと同じ問答を繰り返してしまう。
ヨチヨチと歩いてきたシェヴァスターに、ペチペチと頬を叩かれても反応出来ない。
不安げな表情を浮かべるクレイを見ても、何も出来ない。
ただ俺の姿を見守っているエリシアにも、何も感じられない。
あぁ、空虚だ。
何も思えないことが虚しい。
でも、何かが心の中にじわりと滲み出て、ズキッとしてしまう。
本来生まれる筈の子供を、奪ってごめんなさい。
ごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
そんな謝罪を何度も何度もしてしまう。
苦しい。
涙が溢れてくる。
どうして転生なんて。
あのまま死にたかった。
どうして。
「クトゥ」
エリシアが抱き締めていた。
頭を撫でられる。
気持ちいい。
暖かい。
でも、ごめんなさい。
「…………」
クレイが無言でこちらを見つめてくる。
そんな不安な顔をしないで。
でも、それは俺が原因なのか。
分からない。
俺はどうすればいいんだろう。
「トゥ! おれがあにだぞ!」
シェヴァスターが無邪気に駆け寄ってくる。
その姿が俺には眩しい。
どうして俺はこんなに思いつめているのだろうか。
嫌だ。苦しい。辛い。分からない。
「あぐ…ぐすっ…どうして…――?」
静かに泣き声を上げる。
俺には、もう笑う権利なんてないんだ。
怒りに飲まれ、皆の幸せを奪ってしまったんだから…。
罪は、償わなければならないんだ。
――――
不動 明からヘルクトゥールへと転生してから2年が経過した。
この頃に妹が生まれた。
名前はセシリア・モーゼ・ヴァールハイト。
あちこちをうろうろとハイハイで動き回る、元気で活発な子だった。
それに比べ、俺は何なのだろうか。家族に心配を与えたままで、変わることが出来ていない。
情緒不安定と言えばいいのだろうか。
突然泣き出したかと思えば、怒った表情を見せたり、不安な顔をしたり。
誰にもそうなる心当たりがないから、どうすればいいのか分かりもしない。
あやしたところで俺は不安定なままだ。
でも、無理なんだ…抑えられないんだ。
何かを考えることすら億劫になる。
生まれてきてごめんなさい。
未だにそんな気持ちばかり、溢れ出してくる。
「あーうぅ!」
「くとぅ、げんきない」
そんなことを考えていると、よくシェヴァスターとセシリアの二人がペチペチ叩いてくるのだ。
…子供は感情に敏感なんだな。
そのお陰で、まぁ、こんなことを考えてて悪いが、自殺なんて黒い考えが起きても、踏み留まれている。
「……ありがと」
ホント、どうしようもないなぁ、俺って。
子供に元気付けられてさ。
でも、仕方無いよな。
もう、俺には何もないんだから。
全てを失ったあの日に、自分で全てを壊してしまったんだからさ。
これは、自業自得なんだ。
そんな俺に、無垢な姿は眩しすぎるんだ。
俺なんかに構わず、もっと自分の為に生きていきなさい、可愛い兄妹たちよ。
「あぅあぅ!」
セシリアにペチペチ叩かれる。
それがとても、痛く感じられた。
――――
「お初目に掛かります。クレイ様よりお世話役を承りました、マダル・ファークライで御座います」
シェヴスターとセシリアが、いつものように、俺の感情に機敏に反応して慰めてくれていたある日、銀髪の執事姿のおじさんが、突然 挨拶してきた。
バーのマスターに居そうな渋い男で、それはとてもダンディな見た目だった。
しかし、いきなりこんなことを3歳児に申されても、訳が分からないと思う。
タイミングもよく分からない。
そんな疑問が浮かび上がるものの、すぐに興味を失い、大した感想を思うことがなくなる。
「ですので、遠慮なく私を頼って下さいませ」
「おせわやく?」
「あぅあー!」
「…………」
「おお、可愛い………天使はここに居られたか…」
彼はその場で、ニコニコと俺達3人を眺めながら、そんなことを言い出す。
…何言ってるんだキモいぞ。仕事しろよ。
それに、執事よりメイドの方がいいんだけど。なんてな。
「バイバイ」
「さよなら」
「あぅ!」
「はっ、それでは失礼致します」
適当に3人で手を振ったら、マダルは出ていった。
もしかしていちいち指示しないと動かないのだろうか?
まぁ、どうでもいいか。
いや、でも、こういうのも悪くないかな。
昔を思い出すよ。
(……あの頃は楽しかったなぁ)
なんて感傷に浸っても、過去には戻れない。過ぎ去った日々は、もう訪れないんだ。
でも、未来に希望もない。
辛いなぁ。
気が付いたら、また涙が零れていた。
あぁ…しっかりしないと。
皆が更に不安になっちゃうよ。
せめて、少しでも元気に振る舞わなきゃ。
皆がこんな俺なんかを心配させていることが、嫌なんだ。
でも、そうして振る舞おうとすれば思い出してしまう。
あの頃の幸せと共に、訪れた最悪の絶望を。
ホント、弱いなぁ、俺って。
いつまで縋ってるんだろ。
過去を振り切りたいのに、振り切れないよ。