おまえなんか嫌いだ
一通の手紙があった。
わたしを残して去っていった男が残したものだ。
おまえなんか嫌いだ。もう二度と会うこともないだろう。
俺がこれから歩む道におまえはいらない。俺は新しい生活を送るのだ。それにはおまえが邪魔になる。
今まで言わなかったが、俺はおまえなんか嫌いだ。
容姿もそれほど見栄えがするわけでもなく、取り柄と言ったら若さくらいだが、そんなものはすぐによぼよぼのよれよれだ。
初めてデートした海の見える観覧車。
慣れない化粧はけばけばしく、ピンクのひらひらのワンピースにエナメルの赤い靴なんてどれだけ少女趣味なのかと思ったものだ。
おまえの着飾ってきた姿があまりに滑稽で、笑いをこらえるのに精一杯だった。
おまえは頭も悪いから、俺は話を合わせることに苦労したものだ。
くだらない有名人の話、ドラマの話、ファッションの話。
俺が洒落た店に連れて行っても、場末の屋台に連れて行っても、いつもへらへら笑って、うまいうまいと言っていたおまえの、そのだらしのない顔と感想の貧弱さに辟易したものだ。
俺がおまえに言い寄ったのは、おまえの家が金持ちだったから。
逆玉狙いで、おまえに魅力があった訳ではない。
それをどう勘違いしたものか、自分に魅力があるとでも思ったのか。俺に見合う女だとでも思ったのか。
図々しいにも程があるというものだ。
その家も、俺と一緒になると言ったら縁を切られたし、その財産も当てにならなくなったことは誤算だったがな。
ワンルームのアパートで貧乏暮らしをしなくてはならなくなったし、飯も酒もろくなものが買えなくなった。
働いても着る物すらまともに買ってやれない俺のことを、おまえは甲斐性がないと心の中では思っていたのだろうよ。
小さなテーブルを二人で囲んでみすぼらしく食事をすることもなくなると思うと、心の底からせいせいするというものだ。
それに、おまえみたいなお人よしが鼻に突くような奴は見たことがない。
毎日毎日俺の世話を焼き、そのくせ自分に自由がないなどと思っていただろうさ。
目にクマができ、肌からハリツヤがなくなっていく。髪だってぼさぼさでいつ切ったかももう判らない。
それを見せつけるようにして、さも俺のせいでおまえの時間が無くなっているとでも言うような態度には、もううんざりだ。
俺はおまえの前から消える。
おまえを解放してやる。
だから俺を探すな。二度と俺の前に現れるな。その顔を見せるな。
救いがあるとすれば、まだおまえは若いということだ。
俺のことは忘れて、新しい人生をやり直せ。
俺はおまえなんか嫌いだ。きっとおまえには、その若さに騙されてでも好きになってくれるやつが現れるだろう。
だからせいぜいそいつと幸せになることだな。
俺の病気がもう治らないことは本人が一番よく知っている。
残った時間もそれほど長くはない。
ベッドの上で書いている文字が、ミミズののたくったようなものにしかならない。
だからどこまで伝わるか判らないが、いいか、俺の後を追ってくるな。
おまえを嫌っている男のことなど忘れてしまえ。
俺はおまえなんか大嫌いだ。
そこで手紙は終わっていた。
何度も読み返し何度も涙した、その跡が残っている手紙を、わたしは丁寧に折りたたんだ。
結局、わたしに言い寄ってきた男はいても、全て断ってあなたの苗字をそのまま使い続けてやったわ。
今のわたしみたいに、あなたも病院のベッドの上で同じ天井を見ていたのかしら。
あなたは追ってくるなと書いていたけれど、その言いつけももう守れそうにないわね。
あちらであなたを見つけたら、わたしが若い頃にあなたと別れてからおばあちゃんになるまでの話、倍の時間をかけて話してあげる。
それと、あなたは嘘がとっても下手だったっていうこともね。
よくあるストーリーではあるかと思いますが、何か感じるところがございましたら、ご感想をお寄せいただけると嬉しいです。
※2016.04.25 日間総合83位をいただきました。ありがとうございます!