第九十二話 「王都脱出」
ロッテはミスティの手を引いたまま、建物の間の狭い路地を右へ左へと駆け巡る。
その後をマリアが追いかける。
かろうじて見失わずに付いてきているようだ。
どれだけ走っただろうか?
既に自分たちが何処に居るのか把握出来ない。
「はぁ……はぁ……こ、ここまでくればダイジョーブなのじゃ」
「ちょっと……何なのよ、この娘。
一体、誰に追われているの?」
そう……ロッテは追われていると言っていた。
王位継承順位こそ低いが、彼女はこの国の王女だ。
外は亡霊の襲撃に備えて警戒態勢が敷かれ、中では王女が何者かに追われている。
俺が不死の静寂の討伐に出ている間に、何かヤバイ事が起こっているのではないだろうか?
「ミスティ、俺の事は後回しでもいい。
ロッテを守ってやってくれ」
「うん、わかった。
んとね、この娘はロッテちゃん。
ミスティとますたーのお友達なの」
「そうなのじゃ。
そしてわらわはシツジにおわれておるのじゃ!」
「執事? どこかのお嬢様かしら?」
「今日にかぎって、シツジがすぐにヘヤにもどれとウルサイのじゃ。
まだジュギョウがおわったばかりで、こんなに明るいと言うのに……。
わらわはもっと遊びたいのじゃ!」
執事って……身内かよ!
本気で逃げてるから、悪党に追われてるのかと思って心配したじゃないか。
でも、事件性がなくてホッとしたぜ。
「はぁ……理由はそれだけ?」
「なのじゃ! ところで……おぬしはダレじゃ?」
「マリアおねえちゃんだよ」
「はじめまして、マリアよ」
「よろしくなのじゃ、ミスティのお姉ちゃん」
「ミスティのお姉ちゃんじゃないけど、よろしくね」
「ふむふむ。にしても、これは……わらわの勝ちじゃな」
「へ? 何の話かしら?」
ひと通りの自己紹介を終えると、ロッテは勝ち誇ったように胸を反らす。
彼女の視線の先にはマリアの……あっ!
「何も言っておらんのじゃ。
それよりもユーシャはどうしたのじゃ?」
「ますたーならココにいるよ」
「それはダイフクなのじゃ」
「ひょっとして、ユーシャってユーヤの事?」
「なのじゃ!」
「でも何でユーシャ?」
ごめんなさい。
俺の字が汚いから『ユーヤ』が『ユーシャ』に見えたそうです。
「ユーシャはユーシャなのじゃ」
「答えになってないわよ」
「そして、わらわはユーシャのドレイなのじゃ!」
「は? 奴隷っ!?」
「あっ、このバカ! 誤解されるような事を言うな!」
思わず叫ぶが、やはりロッテにも俺の声は届かないようだ。
つくづく、ぬいぐるみボディが恨めしい。
「そうなのじゃ! キセージジツもすませたのじゃ!」
「き、既成事実ぅ!?」
「ミスティもいっしょにキセージジツしたよ」
ミスティまでロッテに同意しはじめた。
こいつら、既成事実の意味分かってないだろ……。
「あのロリコンの変態、こんな小さな子相手に何やってんのよ。
後で一発ぶん殴ってやるんだから」
「ふぇっ? ますたーをなぐるの?」
「なぜじゃ? ユーシャはイイヒトじゃぞ」
いや、お前らのせいだからな。
今更、いい人とか言っても少し遅いよ。
「えっ? あなた、ユーヤに酷い事されたんじゃないの?」
「ユーシャはいつもシゴトをサボって、わらわとあそんでくれるのじゃ」
「そ、そうよね。
あいつが子供を奴隷にする訳ないわよね」
おっ! 一言多いけど、なんとか誤解が解けそうな雰囲気になったぞ。
流石はマリアだぜ。
しっかりしてるようで、どこかヌケてる。
「それで、ユーシャはどこにいるのじゃ?
いつもミスティといっしょなのに、今日はすがたがみえないのじゃ」
「ミスティたちはね、ますたーをたすけに行くの。
えっと、ダイフクのますたーじゃなくて、おっきいますたー。
でもね、へータイさんが、おそとにでちゃダメって言うからこまってるの」
「ミスティ、しゃべり過ぎよ」
「しゃべっちゃダメだった?」
「ダメじゃないけど……心配させちゃうでしょ」
「あっ、そっか。ごめんなさい」
出来れば黙っていて欲しかったが、喋ってしまったものは仕方がない。
隠し通すのも不自然だしな。
「よく分からんが、街の外に出たいのじゃな。
わらわについてくるのじゃ!」
「えっ? ちょっと、どこへ行くの?」
ロッテは再びミスティの手を引いて走りだす。
さっき全力で走ったばかりだと言うのに元気なやつだ。
「ここを降りるのじゃ。
足もとに気をつけるのじゃぞ」
「うぇっ? ここひょっとして下水?
……じゃなさそうね。臭くないわ」
案内されたのは人影のない場所だった。
そこでロッテは魔術でマンホールの蓋を外し、中へと降りて行く。
地下は長い通路となっていた。
道幅は大人一人がギリギリ歩ける程の狭さだ。
天井には照明が設置されており、壁には数字の書かれたプレートが飾られている。
「ここはまっすぐ、次は右なのじゃ」
分かれ道が多い地下道だが、ロッテは迷う事なく進んで行く。
おそらくプレートに書かれた数字が目印なのだろう。
俺だったら絶対に迷子になるな。
「着いたのじゃ」
「ここを登ればいいのね?」
一時間くらい歩き続けただろうか?
かなりの長距離を移動した気がする。
地下道の行き止まりにある梯子を登り、地上へと出る。
そこは草原のど真ん中であった。
少し離れた場所に巨大な城壁が見えるので、ここが王都の外なのは間違いない。
「すごい! 本当に王都の外だわ。
あなた、一体何者なの?」
「ふっふっふ。聞いておどろけ。
わらわはユーシャのドレイなのじゃ!」
「それはもういいわよ。
でも、ありがとう。お陰で助かったわ。
太陽があっちで今は十五時だから……あっちね」
「待つのじゃ」
歩き始めたマリアだが、背後からスカートを掴まれて歩みを止める。
「ちょっ、そんなとこ引っ張らないで。
パンツが見え……」
「わらわもつれて行ってほしいのじゃ!」
「ダメよ。危ないわ。
私たちは遊びに行くんじゃないのよ」
正直こうなる事は予想していた。
しかし、俺たちの目的地はとても危険な場所だ。
対魔導装甲で武装した兵士ですら一撃で倒すバケモノが居る場所に、幼い子を連れて行く訳にはいかない。
「わらわもつれて行ってくれなければ、ヘイタイさんにバラすのじゃ。
それはこまるであろう?」
「あなたねぇ……」
「それにわらわも符術士のハシクレ。
足手まといにはならないのじゃ」
符術士である事を証明する為か、精霊が実体化してマリアの周りを飛び回る。
こんな所で足止めされてる場合じゃないんだけどな。
「えっ? 何これ? 魔符の英霊?」
「ねぇ、マリアおねえちゃん。
ロッテちゃんはミスティが守るから、おねがい」
「ユーシャにはいろいろとオセワになったのじゃ。
このとおりなのじゃ」
「もう……しょうがないわね。
符術士なら普通の野生動物の攻撃は効かないでしょうし、いいわよ。
でも、絶対に一人では行動しない事。
はぐれると命の保証は出来ないわよ」
「ありがとうなのじゃ!」
「やったー! ロッテちゃんもいっしょだ」
「ちょっと、スカートを握ったまま動かないで。脱げるぅ」
結局、マリアが押し切られる形となり、ロッテも付いて来る事になった。
確かにロッテは符術士だけど、戦闘は出来なさそうだし、色々と不安だ
「ますたー、マリアおねえちゃんのパンツ見えなくてザンネンだったね」
「ミスティ、ぬいぐるみをマスターって呼ぶのは構わないわ。
でも、変態なところまでユーヤと同じにするのはやめて」
「なんじゃ? ユーシャはおなごのパンツが好きなのか?
ならば、あとでわらわのパンツをあげるのじゃ」
「んー? ますたーはパンツを見るのは好きだけど、もらっても喜ばないと思う」
「そうなのか? オトコゴコロはフクザツなのじゃ」
俺の話題で盛り上がりながら、徒歩で目的地へと向かう。
緊張感が全く感じられないが、無言で歩き続けるよりは良いかも知れない。
しかし、こいつら……俺がぬいぐるみなのを良い事に好き勝手言いやがって。
◆◆◆◆
西の空が赤くなる頃、俺たちは目的地へと辿り着く。
道中は盗賊や野生動物に襲われる事もなく、平和な道のりであった。
そして、ここで最後の壁にぶち当たる。
それは進入禁止地域を覆う、文字通りの巨大な壁だ。
不死の静寂を閉じ込める為に作られた壁は非常に強固であり、物理攻撃のみならず、魔術をも無効化する。
「参ったわね。十年前はこんな物なかったのに」
「これはすごいのじゃ。
おしろのかべよりもジョーブそうなのじゃ」
「んー……なんとかなるかも。
ロッテちゃん、ますたー……じゃない。ダイフクもってて」
「なにをするつもりなのじゃ?」
「せーのっ! ミスティぱーんち!」
ミスティは俺をロッテに手渡し、壁に向かって正拳突きを一発。
その姿は頼もしいと言うよりも微笑ましいと言った方がしっくりくる。
てか、ロッテ。耳を掴むな。ちぎれそうで怖い。
「むー、やっぱりダメかぁ」
「この分厚い壁がその程度で壊れる訳ないでしょ」
流石にこれはミスティでも無理か。
「これを壊すのなら、ただ殴るだけではいけませんわ」
「若様の忠実なるメイド、テレジア・ロタールの名のもとに。
英霊よ! その力を我が身に! 魔装武術!
危ないから少し離れて下さいまし。はあぁっ!」
「えっ? 今度は何? きゃっ!」
どこかで聞いたような女性の声が聞こえたと思うと、目の前の壁が大きな音を出して崩れ落ちた。
破壊不能と思われていた防壁を一撃で破壊する女性……一体何者なんだ?
乱入者の正体を見定める為、俺たちは恐る恐る後ろへと振り返る。
そこにはメイド服姿の女性が二人と、白銀の鎧を纏った騎士が一人。
あれは軍の正規兵に支給される対魔導鎧だ。
まさか、ジャスティスに追いつかれたのか!?
いや……違う。
この顔は━━。
「リック!?」
「ショーイではないか!」
「ロリコンのおにいちゃん!」
「なんとか、日が暮れる前に追いつけたようだ。
僕も力を貸させてもらうよ」