第九十一話 「マリア発つ」
マリアはパンを一気に口に押し込んだ後、ミスティの手を引いて寮を出る。
俺は片手で抱き抱えられる状態になり、危うく落とされる所だった。
行き先はギルドの近くにある広場だ。
他の町との行き来をする乗り合い馬車は、ここに停車する決まりとなっている。
「何でこういう時に限って、王都行きの馬車がないのよ」
王都とアグウェルを往復する乗り合い馬車は三日に一便しかない。
王都へ向かう次の便は明日らしい。
悠長にそれを待っていれば、ジャスティスに先を越されるだろう。
彼は俺を不死の静寂と思い込み、殺す気でいる。
そうなったら、俺は元の身体に戻れなくなってしまう。
何としてでも先に俺の身体を見つける必要がある。
元に戻る方法と言う問題も残っているけど、それは後で考えよう。
「仕方がないわね。
ミスティ、あっちへ行くわよ」
「どこへいくの?」
「王都へ行く馬車を探すのよ」
「でも、そっちはお店だよ?」
「いいから!」
マリアは商店街へ向かって走りだした。
いくら商店街でも馬車は売ってないと思うのだが……。
仮に売っていたとしても、マリアもミスティも馬に乗れない。
疑問を抱きつつも、ミスティと共にマリアの後を追う。
と言っても、今の俺は自力で動けないからミスティ任せだけどな。
マリアは立ち並ぶ商店には目もくれず、脇道へと入っていく。
どこかの店に駆け込むのかと思ったが違うようだ。
そのまま裏口へ抜けると、三台の馬車が止まっていた。
商人らしき男たちが忙しそうに荷物を積み込んでいる。
「へぇー、こんな場所あったんだな」
「おウマさんがいっぱいいるね」
「すみません。この中に王都へ行く方は居ますか?」
マリアは馬車に近づき、男たちに声を掛けた。
なるほど。
乗り合い馬車がないから、仕事で王都へ行く馬車に同乗させて貰うつもりだな。
「私はこれから王都へ向かうが、なんだね? 君たちは」
「良かった。私たちも一緒に乗せて下さい! お願いします!」
「王都へ行きたいのなら、乗り合い馬車があるだろう」
「それじゃ間に合わないのよ。急いでいるんです」
「無理無理。この荷物を見れば分かるだろ」
荷車には大きな箱がぎっしりと詰め込まれていた。
さらにそれらが崩れ落ちないように、ロープでしっかりと固定されている。
とても人が乗るような余裕はない。
「じゃあ、それ全部買うわ!
とりあえず、荷物はすぐそこの冒険者寮まで運んで。
私たちの乗車料も合わせて、このくらいでいいかしら?」
「いや君ねぇ……って、これ全部一万ガルド紙幣じゃないか!?」
どうするのかと思ったら、マリアの奴、懐から紙幣を出して商人に押し付けやがった。
しかもあれ……十数枚は有るぞ。
どんだけ現金持ってんだよ!?
そんなに金持ちだったのなら、半年前、数万ガルド貸してくれても良かったのに……。
「エレイア古代迷宮で稼いだ報酬全部よ。
足りないのなら、カードで支払うわ」
「い、いや……十分です。
お買い上げありがとうございます!
お二人を王都まで送ればいいんですね」
大量の荷物を一旦寮へ運び、アリスへ押し付けた。
彼女は驚いていたが、中身は小麦粉らしいので、きっと美味しいパンを焼いてくれるだろう。
こうして、荷物の代わりに俺たちを乗せ、馬車はアグウェルを出発した。
◆◆◆◆
激しく揺れる荷台の上で、マリアはデッキの調整をしている。
マウルで召喚戦闘が行われる可能性は低いと思われる。
だが、新しいカードが手に入ったのだからデッキを強化しない理由はない。
良い心がけだと思うぞ。
「くっ……見えない。
どんなカードがあるのか気になる」
「ねぇねぇ」
「ん? どうしたの?」
「ますたーがカード見たいって言ってる」
「はぁ……ぬいぐるみに見せても意味無いでしょ。
でも、そうね。
あいつだったら、きっと興味津々で覗きに来るわよね」
はい! 興味津々です!
マリアの母親が現役時代に使っていたカード、めっちゃ気になります!
属性は白だろうな。
そして枚数が少ないから、今のマリアのデッキをサポートするカードが大半だろう。
となると、種族は《犬》か。
俺の記憶してる限り、該当するカードはそんなに多くないな。
でも、俺が知らない未来のカードの可能性もあるのか。
あぁっ! 気になる! 見たい!
「ふぅ……ミスティ、おなかすいちゃった」
「それじゃあ、お昼にしましょうか」
「うん! いただきまーす」
バスケットからサンドイッチを取り出し、二人は食事を始めた。
今朝、アリスが急ごしらえで作ってくれた物だ。
「ますたーも食べる? おいしいよ」
「ぬいぐるみが汚れるからやめなさい」
「はーい」
美味しそうではあるが、今の俺に食事は必要ないし、そもそも食べる事が出来ない。
てか、マリアがカードを片付けちゃったじゃないか。
まだ一枚も見てないのに……。
ま、王都までの道のりは長い。
食事が終わればチャンスはあるか。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま。
ふわぁ……ミスティねむくなっちゃった」
「着いたら起こしてあげるから、昼寝してていいわよ」
「うん。おやすみなさーい」
お腹がいっぱいになれば眠くなる。
馬車の上で出来る事なんてほとんどないし、ゆっくり休めば……。
「おいっ! ミスティ!
俺を枕にするなあぁっ!」
「むにゃ……ますたーは……ミスティがまもるの」
「うん。守ってくれるのはありがたいけど、頭の下はやめて。
おーい、ミスティ。聞こえて……ないな」
どうやらミスティは夢の世界へ旅立ってしまったようだ。
そして、食事を終えたマリアは再びデッキの調整を始める。
くっ……見たい。
新しいカードが見たいぞ。
身体は動かせないが、根性で視線を集中させる。
視界の隅にマリアの姿が映った。
あと少し……。
見えた!
ピンクと白のストライプ!
……って、俺が見たいのはそっちじゃねぇ!
もう少し上、彼女が持っているカードを……ぶへっ。
視界が闇に包まれ、体全体に重圧が掛かる。
これは、ミスティが寝返りを打って、俺にのしかかってきたな。
「おい、ミスティ起きろ。
このままだとマリアの胸みたいになってしまう」
一応声を掛けてみるが、熟睡しているミスティからの反応はない。
結局、そのままの状態で一時間以上の時を過ごす事となった。
◆◆◆◆
「ふわぁ……」
「おはよう。よく眠れた?」
「うん。わっ、ますたーがぺったんこになってる」
「大丈夫。そんなの横から叩けば直るわよ」
「ぐはっ」
ようやく重圧から解放されたと思ったら、まりあにビンタされた。
おかげで元に戻ったけど……酷い。
「そろそろ王都に着くわよ」
進行方向には見覚えのある高い壁がそびえ立っていた。
俺が押し潰されている間に随分と距離を稼いだらしい。
門の前にはいつものように衛兵が……七人も居る。
いつもは三、四人なのに、今日はやけに多いな。
「ほら、早く入って」
「えっ? 身分証明は?」
「そんなの良いから急いで入りなさい!」
「はっ、はい!」
大きな門が開かれ、急かさせるように馬車は王都へと入る。
そして、俺たちが中に入った直後、門は再び閉ざされた。
通常なら、もう少し時間を掛けてギルドカードなどで身分の確認を行う筈だ。
いつも、ミスティの身分証明で時間を取られるんだよな。
だが、今日はその手の確認作業は一切なし。
何やら様子がおかしい。
「何かあったのかしら?」
「亡霊……と言っても知らないか。
魔術も剣も効かない未知の野生動物が現れたそうだ」
「百人以上の傭兵が傷だらけで逃げ帰って来てよぉ。
そのバケモノが王都へ攻めてくるかも知れないって」
「おいっ! 喋りすぎだ」
「す、すみません」
どう言う事だ?
マウルで軍を襲っていた亡霊━━つまり、俺のデッキのユニットが王都を攻めてくるって事か?
何故、そんな事になっているんだ?
「ともかく、安全が確認されるまで、しばらくは王都からは出られない。
民衆の安全は我々が守ります。
しばらく王都でゆっくり観光でも楽しんで下さい」
「ちょっと待って。
王都から出られないって、そんなの困るわ」
「お気持ちは分かりますが、そう言う決まりです」
参ったな。
王都ディアナハルは全体を重厚な壁に覆われている城塞都市だ。
マリアとミスティでも強引に突破するのは難しいだろう。
しかし、まさか王都に閉じ込められる事になるとは思わなかったな。
「隊長、俺……帰っていいですか?
千人も出て行って帰ってきたのは百と少し。
死にたくない……怖いよぉ」
「馬鹿者!
民の前で泣き声とは、貴様、それでも兵か!
それ以上言うと職を失うと思え!」
「職よりも命の方が大事ですよぉ」
おいおい、下っ端っぽい奴が愚痴り始めたぞ。
ここの警備、大丈夫なのか?
「はぁ……ダメそうね。
とりあえず街へ行くわよ」
「うん。おウマのおじちゃん、ありがとー」
「まさか、こんな事になるとはね。
迷惑掛けたわね。ごめんなさい」
「お代は貰ってんだから、気にすんなって。まいどありー」
「ばいばーい」
マリアは外へ出るのを諦めて街を散策する事にしたようだ。
と言っても、アテは全くないので適当にぶらぶらしている。
このまま時間だけが無駄に過ぎ去りそうだ。
何の解決策も思い浮かばないまま、三十分ほど歩き続けた時の事だ。
こちらへ向かって、勢い良く駆けて来る金髪の少女の姿が見えた。
「おおっ! 見覚えのある格好だと思ったら、ミスティではないか」
「ロッテちゃん! こんにちは」
「ミスティのお知り合い?」
「カンドーのサイカイじゃが、お話してるヨユーはないのじゃ
ミスティもこっちへ来るのじゃ!」
「ふぇっ? どうしたの?」
「わらわは今、おわれておるのじゃ!」
金髪の少女━━ロッテはミスティの手を引き、建物の影へと身を忍ばせるのだった。