第八十八話 「ぬいぐるみになった符術士」
あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ!
俺は顔のないバケモノと召喚戦闘で戦っていた。
……と思ったら、いつの間にか、うさぎのぬいぐるみになっていた。
な、何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何が起こっているのか分からない。
そして今はミスティに抱かれた状態で空を飛んでいる。
どのくらいの時間をこうして過ごしたのだろうか。
太陽は西に沈み、夕闇が辺りを包もうとしている。
闇が空を支配し始めた頃、俺を抱いた幼女は大地へと降り立つ。
「し、死ぬかと思った」
地上に降りるまで恐怖で口も聞けなかった。
心なしか風圧で毛が大量に抜け落ちた気がする。
全裸で空中を高速移動するのはもう懲り懲りだ。
「ごめんね、ますたー。
もうだいじょうぶだよ」
着地したのも束の間、ミスティは休むことなく歩き始めた。
もちろん俺を両腕で抱き抱えたままだ。
随分と遠くまで来たと思うが、ここは何処だろうか?
周囲には石造りの建物がたくさん見える。
マウルとは異なり、それらに抉られたような痕はない。
廃墟ではなく、普通に人が住んでいる町だと思える。
「お前、空飛べたんだな……」
「うん。重たいモノをもちあげるのと同じ魔法。
おっきいますたーだとむずかしいけど、今のますたーならいっしょにとべるよ」
「なるほど」
言われてみれば、重力を操れるのだから、空を飛ぶことも可能か。
って、そんな事はどうでもいいんだ。
ミスティに訊かなきゃならない事がある。
「しかし……どうして逃げたんだ?
ひょっとして、怖かったのか?
……だったら、無理させてごめんな」
「ううん。ますたーはこわくないよ」
「いや、俺じゃなくてだな」
「お顔のないおじちゃん……おばちゃんかな?
どっちか、わかんないけど、あの人はキライ。
すごく、いやーな魔力を感じるの」
「虚無の魔王……か」
不死の静寂を自称する男の言葉を信じるならば、俺の知らない未来のカード。
あいつは見た目も不気味だったし、能力もインチキ染みていた。
嫌いと言う意見には賛同だ。
「って、話が逸れてるぞ」
「でもね、ハナコちゃんの大好きなおじちゃんは違うの」
「やっぱり、あのガイストは俺のデッキに入っていたやつなんだな。
で、仲間だから敵対したくないって事か?」
「それもあるけど、おじちゃんから、ますたーの魔力を感じたの」
「そりゃ俺のカードだからじゃないか?」
「でも、ダイフクから感じる魔力の方が大きいよ」
「なるほど……わからん」
今の俺はぬいぐるみであり、ガイストもまた俺である……のか?
ガイストに俺の魔力を感じたから逃げ出した。
しかし、あの場にはジャスティス達が居る。
逃げた所で同じではないだろうか?
移動に掛かった時間を考慮すると、既に戦闘が終わっていてもおかしくない。
どちらが勝ったのだろうか?
もしガイストが負けたら俺はどうなるのだろう?
「ねぇ、ますたー。どうして、ますたーはダイフクになっちゃったの?
……それともダイフクがますたーになっちゃったのかな?」
「こっちが知りたいよ……」
「おっきいますたーもかわいいけど、ダイフクのますたーもかわいいよ」
「お、おう……ありがとう」
かわいい……か。
慰めてくれているのだろうが、フクザツな気分だ。
結局、現状がどうなってるのかは分からないままだな。
不死の静寂を名乗る男が何かをした影響だとは思うが……。
「あら? まさか……人違いよね。
あの子がここに居る筈ないもの」
しばらく移動していると一人の少女と出会った。
下着が見えそうな程に短いミニスカートから覗く、細くて白い生足が艶かしい。
言っておくが、別にセクハラしているわけじゃないぞ。
スカートに目が行くのはミスティに抱っこされているからだ。
目線が低い位置にあるのだから仕方がないよな。
ミスティに目線を合わせる為か、少女がその場に屈みこむ。
残念ながら、綺麗な足とは異なり、胸の成長は期待ハズ……。
「げっ! マリア!?」
「あっ、お姉ちゃんだ。おひさしぶりー」
思わず「げっ!」とか言ってしまった。
マリアが居るって事はここはアグウェルか。
他の事ばかり考えていた所為か、半年間も過ごした町なのに気付かなかったぜ。
「嘘!? やっぱり、ミスティなの!?
王都に居るとばかり思ってたから驚いたわ」
「今さっき帰ってきたの」
「そう。元気そうで何よりね。
ところで、ユーヤは? 一緒じゃないの?」
「ますたーならココにいるよ」
ミスティは俺の身体を両手で持ち上げる。
マリアの顔がかなりの至近距離にまで近づいた。
ここまで近くで彼女の顔を見るのは初めてだな。
改めて見ると、彼女はとても整った顔立ちをしている。
顔と太ももとカードに対する愛情だけ見れば、かなりいい女だ。
「よ、よう……マリア。久しぶり。
しばらく会わない間にかわいくなっただろ? 俺」
「何を言っているの?
それはミスティの大切にしてるぬいぐるみでしょ?」
「うん。だから今はダイフクがますたーなの」
「意味が分からないわ」
マリアは怪訝そうな表情をする。
まぁ……普通はそういう反応だよな。
「俺も意味が分からないけど、本当なんだ。
気が付いたら、ぬいぐるみになっていた」
「うーん……ねぇ、ますたー。
ますたーの声はミスティにしか聞こえないみたいだよ」
「えっ?」
「そのぬいぐるみもあなたのマスターなのは分かったわ。
それで、ユーヤは何処に居るの? 教えてくれる?」
マリアは俺の存在を無視するかのように、ミスティに問いかける。
信じたくはないが、本当に俺の声は届いていないらしい。
「ミスティ、俺は居ない事にしろ。
何でもいいから適当に誤魔化すんだ」
「うん、わかった。
おっきいますたーはいないの。
ごようがあるから、明日かえってくるんだって」
「一人で帰ってきたの?
あのバカ。こんな小さな子を一人で帰すなんて……。
明日会ったら、とっちめてやらなきゃ」
「お姉ちゃんはここで何してたの?」
「私はユーヤに手紙を出してきた所よ。
あいつったら二週間ぶりに送ってきた手紙の内容がたった一行だったのよ。
ちょっとムカついたから、思いっきり悪口を書きなぐってあげたわ」
ちなみに手紙の内容は『もうすぐ新しいカードが手に入るぜ!』だ。
俺としては要点を一言にまとめたつもりだったのだが……。
その後、俺たちはマリアに連れられて冒険者寮へと帰って来た。
ここを離れていたのは一ヶ月とちょっとだが、それでも懐かしいな。
玄関を抜けると寮長のアリスが出迎える。
「おかえりなさい。マリアさん……とミスティちゃん?」
「ただいま、おば……お姉ちゃん」
「アリスさん、俺だ。ユーヤだ。聞こえるか?」
「お久しぶりねぇ。
イズミさんは一緒じゃないんですか?」
「あいつは明日帰ってくるらしいわよ」
「あらまぁ、それは寂しいですね。マリアさん」
「べ、別に私は寂しくなんてないわよ」
やはり、アリスにも俺の声は届かないようだ。
今の俺が会話できるのはミスティだけか……。
「あら? 何処で遊んできたの? こんなに汚しちゃって。
お風呂が沸いてるから入ってらっしゃい」
「おっきいおふろ? はいるはいるー」
「一人じゃ危なくないかしら?」
「それもそうですねぇ。
でも、私は夕食の準備がありますし……。
マリアさんお願いしますね」
「へ? 私? ……まぁいいわ。
ミスティ、一緒に入りましょ」
「うん! お姉ちゃんといっしょ! やったー」
ミスティは浴場へと全速力で駆けてゆく。
今日は長時間歩いたし、空も飛んだから、早く汗を流したいのだろう。
「ちょっと、廊下を走ると危ないわよ」
「はーい」
「ふぅ……やっと止まってくれた。
ミスティ、俺を抱いたまま走るのは止めてくれないか……。
身体が揺さぶられて、少し気持ち悪い」
「ごめんね。そうだ!
ますたーもいっしょにおふろにはいる?」
「ぬいぐるみなんか入れたらボロボロになっちゃうわよ」
「そっか。じゃあ、ますたーはここでまっててね」
身体がふわりと持ち上げられ、高台のような場所に置かれた。
久しぶりに地に足をついた気がする。
高さは地上から一メートルくらいか。
視線の位置が高いからか、ミスティに抱かれているよりも落ち着くな。
「ん……ホックが外れないわ。
ミスティ、ちょっと手伝ってくれる?」
「うん。でも、ちょっとまってて」
「昨日買ったばかりだけど、このブラはダメね。
サイズは少しゆるいくらいなのに、ホックだけは頑丈だなんて最低」
俺の目の前では下着姿の二人が何やら女子トークをしている。
……って、当たり前じゃん!
風呂に入るって言ってたじゃないか!
ここ、脱衣所だよ!
ヤバいぞ……マリアにバレたら半殺しにされる。
見たくもない生まな板を見て命を危険に晒すのは避けたい。
俺は全身の力を振り絞って、この場から逃げ出そうと努力した。
だが、どれだけ力を込めても俺の身体はぴくりとも動かない。
つーか、俺の足みじかっ!
そう言えば、このぬいぐるみの体型ってほとんど饅頭だったな。
まともに歩けるわけがないか……。
こうなったら腹をくくろう。
マリアの奴、胸は残念だけど、お尻はいい肉付きをしているからな。
まぶたがないから目を閉じる事も出来ないし、これは不可抗力だ。
……って、俺は何故マリアなんかに欲情してんだよ!?
落ち着け……不慮の事態にちょっと気が動転してるだけだ。
そうだ! ミスティに頼んで外に出して貰おう!
「おーい、ミス……ぶはっ」
ミスティに声を掛けようとした時、俺の視界が真っ白に染まった。
仄かに汗のような匂いもする。
「……おいっ、これパンツじゃねーか!」
俺の視界を遮った物。
それはミスティの脱ぎたてパンツだった。
ナイスアシストだ。
これでマリアに半殺しにされなくて済むぜ。
……と、前向きに考えられる訳もなく。
「ミスティ、お願いだ。このパンツを退けてくれ」
ミスティからの返事はない。
そして少し離れた場所から話し声が聞こえてきた。
「おまたせー。これをはずせばいいの?」
「お願い。ん、ありがとう」
「どーいたしまして。パンツもぬがせてあげるね」
「そ、それはいいわ。自分で脱ぐからっ!」
その後、二人が風呂からあがるまでの長い時間、俺はパンツを顔に乗せたまま過ごすのであった。
「おーい……誰でもいいからパンツを……」