第七十四話 「エボルタからのプレゼント」
「エボルタ……あの状態で生きていたのか」
「符術士はそう簡単には死にませんよ」
エボルタは召喚戦闘に敗北して全身を氷漬けにされた。
まさか、あの状態でも生きてきたとはな。
「でもさ、あいつって結構大物の賞金首じゃなかったっけ?
俺なんかが行って大丈夫なのか?」
「魔符と魔法道具は全て回収しました。
あそこからの脱走は不可能です。ご安心下さい」
「そう……なんだ」
「仮に逃げ出そうとしても、あなたなら取り押さえられるでしょう」
こうして、半ば押し付けられるような形で、エボルタの食事の世話をする事になった。
一度、殺されかけた相手だ。
正直言って会いたくはなかったが、断りきれなかった。
少し怖いが、食事を運ぶだけだ。
別に戦闘をする訳じゃない。
何とかなるだろう……たぶん。
魔導研究所は周りの建物と比べると、非常に小さな外見をしている。
しかし、その実体は地下八層に及ぶ巨大な施設だ。
事務所のある一階は、あくまで入り口に過ぎない。
そして、その最下層。
国内最高峰のセキュリティと結界が何重にも施された密室に、呪われし雪風エドヴァルト・ヴォルフが収監されている。
パンと野菜だけの質素な食事を載せたトレイを持って、最下層へと向かう。
長い階段を降り、魔法陣の施された扉を潜る。
いくつもの扉を潜った奥に、一際大きい頑丈そうな扉を見つけた。
ここがエボルタの新居だろうか?
ハンスの収容されていた所とは異なり、他に部屋や檻の類は見当たらない。
一フロアを丸々こいつの為に使うとは、かなりの高待遇だな。
どうやっても動きそうにない大扉の下の方に、小さな引き戸を見つけた。
丁度、食事を載せたトレイが収まりそうな大きさだ。
思い切って開いてみると、中には空の食器の載ったトレイが置かれていた。
持ってきた食事と空のトレイを交換する。
「エ、エボルタさーん。ご飯ですよー」
声を掛けてみたが、返事はない。
まぁ、いいか。
俺の仕事はここまでだ。
腹が減ったら勝手に取って食べるだろう。
「待ちな」
そのまま引き返そうとした時、扉の奥から俺を引き止める声が聞こえた。
聞き覚えのある低い声……エボルタに間違いない。
「戸を閉めてくれ。
そっちが開いてると、こっちから開けられない仕組みなんだ」
「あ、あぁ……すまない」
内側にも引き戸があり、こちら側と同時には開けない仕組みのようだ。
無駄に凝ったセキュリティだな。
こんな小さな所から脱走するのは無理そうだが……。
「ちっ……相変わらず貧相な食事だぜ。
今度、こっそり肉でも持ってきてくれ」
「いや、俺にそんな事言われても……」
「ケチケチすんなよ。
俺様を捕まえて、たんまりとあぶく銭が手に入ったんだろ?」
「な、何でそれを!?」
「くっくっくっ……俺様の事をエボルタなんて変な呼び方をするのは一人しか居ねぇからな。
なぁ、這い寄るロリコン」
しまった……まさかそんな事で特定されるとは考えもしなかった。
でも、こいつの本名長くて言いづらいんだよな。
「まぁ、そんなに緊張するなよ。
この中じゃ魔術も使えねぇし、魔符も取り上げられちまった。
フローラが居れば脱走出来るかも知れねぇが、呼んでも反応がねぇ……お手上げさ。
ところで、何でてめぇがここに居る?」
「成り行きでここで働く事になったんだ。
今日からお前の飼育係だ。
……よろしくな」
「くっくっくっ……再会を祝って俺様からプレゼントをやろう」
「プレゼント?」
嫌な予感がする。
以前のように特殊な弾丸をプレゼントされては溜まったものではない。
俺はトレイを足元に置き、後ろに数歩下がった。
いつでも反撃出来るよう、ウィザクリのデッキを左手に構える。
「あの眼鏡には気を付けな。
この忠告が俺様からのプレゼントだ」
「どういう意味だよ?」
だが、エボルタからのプレゼントは俺の想像とはかけ離れたモノだった。
奴の言う眼鏡とはジャスティスの事だろう。
俺の知人で眼鏡を掛けている人物は他に居ない。
しかし、彼に気を付けろと言う理由が分からない。
「あいつは胡散臭ぇ。
そもそも偽名を使う奴なんか信じられるか?」
「あー、変わった名前だとは思ってたけど、やっぱりリングネームだったのか」
エボルタの方がよっぽど胡散臭いのは置いといて、これは少しスッキリする情報だった。
前々からプロレスラーみたいな名前だとは思っていたが、本名じゃないと言われると納得だ。
「リングネームってのは良く分かんねぇが、ジャスティスもササキもここらじゃ聞いた事のない響きだ。
どう考えても本名じゃねぇよ」
「ジャスティスは正義って意味だ。
ササキってのも俺の祖国じゃ珍しくない」
「ふーん……正義ねぇ。
俺様には独善にしか見えねぇけどな。
くっくっくっ……」
正義がツボにハマったのか、エボルタは楽しそうに笑いだした。
俺には何が面白いのかさっぱりだ。
「もっと具体的に言ってくれよ」
「悪いな。俺様も詳しくは知らねぇ。
ただ……俺様の勘が告げるんだよ。
あいつは何か企んでいるってな」
「なんだよ、それ……逆恨みじゃないのか?」
「どう捉えるかは、てめぇの好きにしな」
何か理由があっての忠告かと思ったら、ただの勘かよ……。
こいつ、俺とジャスティスを仲違いさせたいだけなんじゃないか?
話を聞いて時間を無駄にした気分だ。
「もういい……俺は行くぞ」
「あぁ、今度来る時は肉と酒を頼んだぜ」
「知るかよ」
床に置いたトレイを拾い、一階へと引き返す。
次からは無言で引き返そうと心に誓う。
引き返している途中、軍人手帳の通信機能を通じてジャスティスからの指令を受け取った。
『一階の休憩室で待機』
何ともシンプルな指令だ。
結局、簡単な仕事をして、すぐに休憩する事になるのか。
なんか想像してたのと違うなぁ。
俺のカードへの愛と知識が役立つ職場だと期待してたのに……。
途中で担当の職員に空の食器を渡し、一階にある休憩室の扉をノックする。
「失礼しまーす」
「あっ! ますたー、おかえりなさい」
「あれ? ミスティ、いつの間に実体化したんだよ」
「んとね。ロッテちゃんが帰ってすぐだよ。
ねぇ、ますたー。お風呂にする? ご飯にする? それとも……」
「よーし、それじゃあ、ミスティをいただくとするか。がおーっ」
「きゃーっ」
「ハッ!」
ふと冷静になり、辺りを見回す。
いかんいかん。
つい、自室に居るつもりでミスティと遊んでしまった。
幸い、休憩室には俺たち二人だけのようだ。
廊下にも誰も居ないのを確認して安堵する。
「えっと、ミスティ。ここはお仕事をする場所だから静かにしておこうか」
「はーい」
休憩時間とは言え、初日から騒いでいるのがバレると流石に不味い。
遊びたい年頃のミスティには悪いが、大人しく次の仕事を待つことにしよう。
休憩室は六畳ほどの小さな部屋だ。
職員の数からすると窮屈な部屋だが、おそらく各フロアに同じような部屋が複数あるのだろう。
部屋の中央には丸テーブルと椅子、そして壁側に本棚が設置されている。
俺は本棚から帯に『カトリアの歴史』と書かれた本を手に取り、椅子に腰掛けた。
本の内容が役に立つとは思えないが、暇つぶしにはなるだろう。
アグウェルには本屋がなかったので、この世界の本に触れるのは初めてだ。
意外と装丁はしっかりしていて、日本の物とも遜色ない。
あえて違いを述べるとしたら、活字が使われていない事くらいか。
本の内容は天地創造の神話から始まる。
この辺はどこも変わらないな。
地域によって内容に違いはあるが、神様が大地を創る所から人類の歴史が始まる。
これは異世界でも共通のようだ。
『この世界は、炎の神フィアンマと氷の神コンゲラートの闘いから産まれたと伝えられている。
コンゲラートの身体の一部が天界から溶け落ち、大海が出来た。
次にフィアンマの身体の一部が天界から降り注ぎ、幾つもの火山となった。
火山は次々と噴火し、やがてマグマは冷えて大地となる。
一年間に渡り闘いを続けたフィアンマとコンゲラートは、女神エステルの仲裁により和解する事となった。
その時、下界に落ちたエステルの涙が雨として降り注いだ。
天界からの雨水を含んだ大地は緑に覆われた。
これが植物の始まりである。
次に動物が出現し、最後に人間が創られた』
よくある地味な天地創造だな。
これなら地球の神話の方が、よっぽど狂っている。
少し気になったのは神々の名前だ。
フィアンマ、コンゲラート、エステル。
これらは全て【フェアトラーク】に同名のユニットが存在する。
ひとつだけなら偶然と言えただろうが、三体全てだと、そうは思えなくなる。
しかも、フィアンマとコンゲラートはカードの設定上でもライバルだった。
何か関係が有るのかも知れない。
『天地創造の後、神々と人間の共存する時代がしばらく続く。
小さないざこざは幾度かあったが、人類は繁栄した』
この辺りになると、カードと同名の登場人物はかなり少なくなる。
序盤の一致は偶然だったのだろうか。
『人口が増え、生活が豊かになると、神々と人間を対等だと考える者が増えてきた。
やがて彼らは神々の怒りを買い、地上は業火によって滅ぼされる。
神々は天界へと帰り、地上にはわずかな植物と小動物だけが生き残った。
しかし、人類は滅びていなかったのだ』
うん……知ってた。
こう言うのは王道だよな。
謎の安心感がある展開だ。
ちなみに生き残った人々は神と人間の間に産まれたハーフや、その子孫と言う設定らしい。
こうやって、人間は神様の血を受け継いでいるんだと主張するのも神話の基本だな。
『生き延びたとは言え、文明を失った人類の生活は楽なものではなかった。
狩猟と農耕を軸とした原始的な生活が、数百年に渡って続く事となる。
とは言っても、全く進歩が無かった訳ではない。
この時代もゆっくりと技術は進歩しており、特に生活に関わる狩猟具と農具はこの時代に目覚ましい進化を遂げている。
狩猟具と農具の改良は武器の発展へと繋がり、やがて戦国時代が訪れた』
「ねぇねぇ、ますたー」
「ん? なんだ?」
「ミスティにもご本よんで」
俺が読みふけっていたから、ミスティも本に興味を持ったようだ。
しかし、この本を朗読しても詰まらないだろう。
「うーん、これはミスティには難しいかな」
「ミスティね、こっちの本がいい」