第六十四話 「別れ」
翌朝。
いつものようにミスティのぬいぐるみ攻撃で目を覚ます。
どうやら、悩んでいるうちに眠ってしまったようだ。
この町に残り、今の生活を続けるか。
王都に引っ越して、魔導研究所で働くか。
結局、決められないまま一晩が過ぎた。
こんな状況でマリアと会うのは少し気まずいが、空腹には逆らえない。
少し重い足取りで食堂へと向かった。
食堂の入り口手前でマリアと鉢合わせする。
「おはよ……」
「おはよう。
はい、これ。あなたにあげるわ」
「あ、あぁ……ありがとう」
ぎこちなく挨拶を交わした後、何かを手渡された。
長方形の紙の束がふたつ。
そのうち、ひとつは細長い。
もうひとつは右下に仔犬のイラストが描かれている。
……何だこれ?
「何、不思議そうな顔してるの?
見ての通り、封筒と便箋よ」
「はぁ」
「行きたいんでしょ?
どうせ止めても無駄でしょうから、好きにすると良いわ」
「あんなに反対してたのに、一体どうしたんだ?」
「私なりに色々と考えたのよ。
その代わり、王都に着いたら手紙を出しなさい。
私も返事を書くから、住所も忘れずにね」
「え? 面倒くさ……」
「何ですって?」
「いや、書きます! 書きます!」
何だかよく分からない内に、マリアと文通をする事になった。
「そう……やっぱり、行くつもりなのね」
「あっ……」
やられた。誘導尋問だったか。
そうだな……正直な所、俺は魔導研究所に興味がある。
いつまでも悩んでいる訳にもいかない。
そろそろ自分の意思をハッキリさせよう。
「気にしないで。
ニコちゃんの事は正直諦めかけているし、寮もギルドの支援があるから潰れたりしない筈よ。
町の平和はラルフや他の冒険者が守ってくれるわ。
それから、えっと……」
マリアはまくし立てるように、自分の考えを話してくる。
そのどれもが、俺には言い訳にしか聞こえなかった。
「なぁ……良かったら、マリアも一緒に行かないか?」
「えっ!? それって、私とけっけけけけっこ……」
俺の申し出が予想外だったのか、マリアがニワトリになった。
二人で王都に引っ越せば、俺もマリアも新しい対戦相手が出来る。
冒険者ギルドもあるから、マリアも仕事には困らないし、良い考えだと思うのだが……。
「あー……ダメか。
これだとアリスさんが一人きりになっちゃうな」
「そ、そうよ!
あなたの気持ちは嬉しいけど、私たちにはまだ早いと思うわ!」
「早いって、何の事だ?」
「なっ、何でもない。
とにかく、私はこの町に残るわ。
私まで居なくなったら、符術士じゃないと解決出来ない依頼が出た時に困るでしょ」
「そうか……」
符術士にしか解決出来ない依頼とは、半年前の盗賊退治などか。
同様の事件が頻繁に起こるとも思えないが、マリアの言う事にも一理ある。
「ほら、アリスが待ってるわ。
朝食にしましょう」
食事の席でマリアとのやり取りをアリスに伝えると、笑顔でお祝いしてくれた。
春になれば新人冒険者が入寮するから、気にしなくてよいとの事だ。
それが根拠あっての話なのか、強がりなのかは分からなかった。
ともあれ、これで王都行きを止める理由は無くなったと言える。
符術士とカードについて研究する専門の機関。
俺にとって理想的な職場からのスカウトに胸が踊る。
昼には迎えが来るので、急いで荷物をまとめる事にした。
と言っても、そんなに多くはない。
カードに着替え、プロキシと、それを作る為の文房具くらいか。
衣類を除けば通学鞄に納まるな。
近所に野生動物討伐に行くのと大差ない。
「ますたー、コレ」
「ん? おっと、いけない」
マリアから貰ったレターセットを忘れる所だった。
「あのね、ミスティもおてがみ書きたい!」
「あぁ、マリアも喜ぶだろう。
王都に着いたら、一緒に書くか」
「うん! お絵かきしてもいい?」
「もちろん」
「やった! じゃあね、ますたー描く!」
そこはマリアの似顔絵じゃないのか?
と思ったが、何でもいいか。
元気でやってる事が伝われば、それでいいだろう。
◆◆◆◆
荷物をまとめ終わった頃、ルッツが返事を聞く為にやって来た。
魔導研究所からのスカウトに応じる旨を伝える。
「意外だな。今回は断わられると思ってたぜ。
どうやって、まりっぺを説得したんだ?」
「いや、特に何も……」
「何も……ねぇ。まぁいい。
明日の朝九時の乗り合い馬車で出発する」
「えっ? 送ってくれるんじゃないのか?」
「俺みたいな傭兵が馬車を持ってる訳ないだろ。
明日また迎えに来る。
それまでに荷物をまとめて、知り合いに別れの挨拶をしときな」
確かに別れの挨拶もなしに引っ越すのは失礼だな。
荷物は既にまとめてあるし、午後は知り合いの所を廻るとするか。
「分かった」
「おう。それと、今夜はまりっぺを抱いてやれ」
「はぁ? 何だよそれ」
「しばらく会えなくなるんだ。
あいつを女にして……ぐっはぁ!」
ルッツが吹っ飛んだ。
いや、通りすがりのマリアに蹴り飛ばされたと言うべきか。
彼女の蹴りは一般的な冒険者の攻撃よりも早いからな。
「今、ものすごく失礼な会話が聞こえたんだけど、気のせいかしら?」
「気のせいだと思う。
ひっ、昼飯食べてくる!」
逃げ出すように寮を飛び出した。
マリアを抱けとか、恐ろしい冗談だ。
下手をしたら蹴り殺されかねないぞ。
きっと、普段から女に言い寄られていると、感覚が狂うのだろう。
外に出たついでに、町中を巡り、別れの挨拶をする事にした。
最初は食事をかねてギルドにある食堂へ向かった。
「いらっしゃいませ。
おや? 今日はお一人ですかニャ?」
「あぁ……いつものやつ。
それとプリンをあるだけ持ち帰りたいんだが」
慌てて出てきたので、ミスティを置き去りにしてしまった。
だが、寮にはアリスとマリアも居るし、大丈夫だろう。
念のため、プリンをお土産にして、ご機嫌を取ることにした。
食べ切れない分は旅のおやつにするつもりだ。
「いつものやつにプリンをあるだけですニャ……全部ですか!?」
「あぁ、実はな……」
シンディに引っ越しの事を話すと、何故かギルドの職員総出で祝福された。
この国の軍は志願制であり、一般の冒険者が軍の関連機関からスカウトされるのは、かなり珍しいそうだ。
これをきっかけに、アグウェルを拠点として活動する冒険者も増えるのではないか、とも言っていた。
この町に冒険者が増えれば、アリスの寮に入寮する者も増えるだろう。
続いて、武器屋に行き、ラルフに別れを告げる。
最近、疎遠になっていたが、彼は俺にとって命の恩人だ。
「よく分かんねぇけど、兄ちゃんも偉くなったなぁ。
ともかく、この町の平和は俺に任せな!」
そう言って、彼は大きな声で笑った。
ラルフの本業は武器屋だが、単独で盗賊を一掃出来る程の実力者でもある。
彼が居るなら、この町は安泰だな。
こんな感じで、その日の午後は過ぎていった。
骨董品屋の婆さんに冷やかし扱いされた事を除けば、皆が祝ってくれた。
なんだか、むず痒い。
◆◆◆◆
そして翌朝。
最後の食事を終えて、寮を出る。
「今までお世話になりました」
「おねえちゃん、またねー」
「時々は帰って来て下さいね」
「お弁当を作ったから、馬車の中で食べなさい」
「げっ! ……ありがとう」
マリアの弁当と聞いて、思わず拒否しそうになった。
彼女の料理は一度しか食べた事がないが、ハッキリ言って不味い。
「げっ! って何よ!」
「いや、何でもない。いただきます!」
「マリアちゃん、これを作る為に早起きしたんですよ」
「ちょっと、余計な事は言わないで」
「うふふふ」
「そっか……俺の為にわざわざ。
ありがとな、マリア」
「べ、別にあなたの為じゃないわ。
少し早く目が覚めて暇だっただけよ」
「それじゃ、行って来ます!」
味は保証出来ないが、気持ちは篭っているようだ。
弁当の入ったバスケットを受け取り、半年間過ごした我が家を後にする。
馬車の乗り場に行くと、ルッツが待っていた。
一般の乗客と共に乗り込み、アグウェルを出立する。
王都までは約五時間。
乗客を乗せた馬車はゆっくりと進む。
「ははははっ!
まさか、まりっぺが弁当を作るとはな。
で、昨夜はどうだった?」
「昨夜?」
「まりっぺを抱いたのか? って訊いてんだよ」
「そんな事する訳ないだろ」
あの蹴りを喰らって、よくそんな事が言えるな。
マリアの恐ろしさを知らないのか?
着替えに鉢合わせしただけでも、半殺しにされるんだぞ。
「マジかよ、勿体ねぇ……。
俺の見立てでは、あいつ、お前に惚れてるぞ」
「は? ねーよ」
俺とマリアの関係は、言わばカードゲームを愛する者同士の絆だ。
そもそも、俺は人生で一度も異性から告白された事はない。
ミスティは俺の事を愛してると言ってくれるが、それは恋愛感情とは異なるだろう。
……って、自分の人生を振り返って、少し情けなくなってきた。
「ますたー、おなかすいたぁ。
お弁当食べてもいい?」
「おっ、俺もひとつ頂くぜ」
「あぁ、二人で全部食べていいよ」
マリアには悪いが、俺は王都に着いてから外食で腹を満たすとしよう。
「おっ、こいつは美味え!」
「おいしーっ! ますたーも食べよ?」
「おいおい、嘘だろ?」
二人があまりにも美味しそうに食べるので、勇気を振り絞って一口だけ口に入れる。
その直後、半月前に口にしたゲテモノが嘘のような、幸福感が俺の口の中を支配した。
「何だこれ……美味しい。
本当にマリアが作ったのか?」
とても美味しいのだが、アリスの料理とは違う味付けだ。
マリアの上達っぷりに驚きを隠せない。
「まりっぺは良い嫁さんになるな」
「ミスティがますたーのお嫁さんになるの!」
「おぅ、魔女のお嬢さんも、このくらい美味い飯を作れるようにならなきゃな」
「うん! ミスティがんばる!」
ひょっとして、今夜からミスティの手料理を食わされるのか?
でも、ミスティなら、あっさり料理もマスターしちゃいそうだな。
他愛のない雑談を交えている内に、見覚えのある立派な壁が見えてきた。
検問を通過すれば王都ディアナハルだ。
これから、新しい生活が始まる。
俺の心の中は新生活への期待で溢れていた。