第五十三話 「マリアの過去」
氷漬けのエボルタと俺たちを乗せた馬車は、近くの町へ向かって走り出す。
迷宮内の魔法道具も回収したかったが、空が赤く染まってきたので断念した。
報酬分の魔法道具は、後日、リックの実家の使いの者が回収した後に分け与えてくれるそうだ。
「何やってるの?」
「デッキレシピを確認してるんだ。
しかしアジア版ってペラペラでシャッフルし難いな……模擬戦闘スタンバイ」
俺の命令に反応したデッキが宙に浮き、自動的にシャッフルされる。
こう言う時、符術士って便利だな。
この薄いカードを手でシャッフルしようと思ったら、多重スリーブは必須だろう。
「そのデッキも使えるの!?
ホント、あなたって何でもありね」
「初期のカードが多いけどバランスは悪くないし、迷宮にあったカードで調整すれば面白いデッキになりそうだ」
「ますたー、いじめっこのデッキ使うの?」
「安心しろ。フローラは全部抜く」
「いじめっこ居ないの? よかった」
魔女シリーズは相棒が自身と同名のカードなので、数枚足りない枠を埋めるのには便利だ。
連携攻撃で合計AP10000になるのも悪くない。
しかし、フローラは使う気になれなかった。
能力の微妙だけじゃなく、会話した時の印象の悪さも理由のひとつだ。
「エドヴァルトのデッキを使うつもりなら、止めといた方がいいわよ。
賞金首のデッキは軍の調査機関に送る決まりがあるの」
「そうなのか?」
ちょろまかした場合は……面倒な事になりそうだな。
「ギルドで渡せば、後はやってくれる筈よ」
「仕方がない。これは諦めるか。
じゃあ、そろそろ……マリアの事を教えて貰おうか。
具体的にはエボルタと戦っていた理由だ」
「その理由を語るのには、私の幼かった頃まで遡るわ」
「安心しろ。お前は今でも十分幼児体型だ」
「蹴るわよ?」
「ごめんなさい。続きをどうぞ」
「私はこの国の北部にある国境に最も近い町、マウルで生まれ育ったの」
「マウル……聞いた事が有るような無いような」
「地図の北端の辺り、赤い斜線で覆われてる地域よ」
あぁ、あの謎の赤い所か。
以前に訊いた時は知らないと言われた気がするが、それも訳アリっぽいな。
「あの赤い部分って、王都より広くなかったか?」
「あの辺りは立入禁止区域なの。マウルはその一部よ」
「立入禁止?」
「順を追って話すわね。
今は立入禁止区域に指定されているけど、昔は普通の田舎町だったの。
父は軍属の駐留騎士。母は符術士。
兄弟は居なくて、ひとりっ子だったわ」
「お母さんが符術士か」
そう言えばマリアのデッキは親の形見だと聞いたな。
つまり、マリアのお母さんはもう……。
「そんな悲しそうな顔しないでよ」
「えっ? そんな顔してたか?」
「してた……でも、ありがとう」
「お、おう」
「話を戻すわね。
私の両親は庭園で野菜を育てたり、たまに町に入り込んでくる野生動物を退治したり、田舎なりに平和に暮らしていたの。
母の家系は太古からの封印を守る、幻想の守護者の一族と呼ばていたわ」
「太古からの封印って何だ?」
「ごめんなさい。よく知らないの。
勇者アレフによって悪魔が封印されたという昔話よ。
おそらくは比喩でしょうね。
悪魔というのは、宗教的もしくは政治的な対立で討ち取られた、敵側のトップだと推測されているわ」
桃太郎みたいなものか?
あれも鬼の正体は海賊で、桃太郎は政府から派遣された役人と言う説を聞いた事が有る。
マリアの故郷を拠点に暴れていた盗賊団か何かを、勇者アレフが懲らしめたと言う話だろう。
「その勇者アレフってさ、カードのユニットのアレフかな?」
「どうかしら?
同じ名前だし、お供に犬を連れていたり、共通点はあるけど……。
アレフと同じ英霊のミスティなら何か知ってるかも?」
「ミスティ。俺と契約する前の事って覚えているか?」
「んーとね。ミスティ、ずっと狭くて真っ暗な所に居たの。
それでね、そこから助けてくれたのが、ますたーなの。
それから毎日ミスティと遊んでくれて……だから、ますたー大好き!」
「……だそうだ」
ミスティに説明を求めたら抱きつかれた。
これは何も知らないと考えて良さそうだ。
「符術士がアレフのデッキで、悪魔と呼ばれる存在と戦ったのかも知れないわね」
「憶測の域を出ないな」
「そして母の使っていたのが、そのアレフを軸とするデッキ。
幻想の姫君と呼ばれていたわ」
「それってマリアと同じ二つ名だな」
「ええ、この二つ名は代々受け継がれてきたものよ。
男は幻想の守護者、女は幻想の姫君。
もっとも、私の場合は正式に受け継いだモノじゃないのだけど……気が付いたら、そう呼ばれていたわ」
「その二つ名、あまり好きじゃないって言ってたな」
「そうね……でも、今はそんなに嫌いでもないわ。
それに、あなたの二つ名よりはよっぽどマシだものね」
「ごもっとも」
「田舎なりに平和な毎日だったわ。
昼間はスクールで学問を学び、夜に母から魔術を教わるのが当時の私の日課。
この国の子供としては普通の生活だったと思う。
でも……十年前に戦争が起こったの」
「それも少し聞いた事がある。
北の国が領土目的で侵攻してきたんだっけ?」
北カトリアがどんな国かは知らないが、南カトリアは裕福な国だと思う。
治安もしっかりしているし、国営のギルドのお陰で、俺のような身元の怪しい異世界人ですら最低限の生活は出来ている。
中には盗賊に身を落とすような者も居るが、町中でホームレスを見かけるような事はない。
経済的に厳しい状況にある国が、裕福な隣国に目を付けたと言う所か。
「最初は国境付近で小競り合いが起こる程度だったわ。
応戦のため、父が家を空ける期間が長くなった事を除けば、普段と変わらない毎日が続いた。
でも開戦から数ヶ月後、ついに奴らは私たちの町へやって来たの」
「大体分かったぞ。その中にエボルタが居たんだな」
「結果的にはそうなんだけど、私がそれを知ったのは数時間前よ」
「じゃあ、何でエボルタを追って行ったんだよ?」
「待って。順を追って話すから」
「あっ、はい」
「北の軍勢の中に一人の符術士が居たの。
ローラント・ハルトマン。
後に不死の静寂と呼ばれる事になるバケモノよ」
「聞いた事がある名前だな」
エボルタの言ってたハルトマンのおっさんってやつか。
あいつもバケモノと言ってたな。
それ以前にも何度か聞いた気がするが……。
「符術士の相手は符術士が務める。
マウルで唯一の符術士であった母は彼に決闘を挑んだの。
私には部屋から出ないように言いつけて……。
でも私は言いつけを守らなかった。
子供だったのよ。
外に出た私の見たものは黒いローブの男と、それに向き合う母の姿だったわ。
不思議な事に召喚戦闘は行われていなかった。
何が起こっているのか理解出来ないまま、母に話し掛けようとした時、視界が真っ白な光に包まれたの。
そして視力を取り戻した時……母の上半身は消えていた」
「えっ?」
何だかいきなり突拍子のない話になってきたぞ。
上半身が消えるってなんだ?
刀でばっさり斬られたとか?
でも、マリアのお母さんって符術士だよな?
だったら、普通の刃物は通じないはずだし……。
「言葉通りよ。腰から上が丸々無くなってたの。
不思議な事に血は一切出ていなかったわ。
これは後から知ったのだけど、ローラント・ハルトマンの使う魔術はあらゆる物質を消滅させる特殊なものよ。
範囲内にあるものは有機物、無機物、生き物か否かを問わず、全てがこの世から消し去られるの」
「にわかには信じ難い話だが……それが事実なら確かにバケモノだな」
一瞬バカバカしいと思ったが、マリアの真剣な表情を見て考えを改める。
重力を操ったり、あらゆる攻撃を無効化する幼女が居るんだ。
全てを消滅させるおっさんが居てもおかしくはない。
「最初は何が起こったのか理解出来なかった。
私は下半身だけになった母に何度も呼びかけたわ。
でも、何度呼びかけても返事は帰ってこない。
……当たり前よね。
やがて恐怖と悲しみに包まれた私は、逃げる事すら考え付かず、その場で大泣きしたわ。
どのくらい泣いていたのかしら?
泣き疲れて気が付いた時、私はアリスに抱かれてマウルを脱出していたの」
「ちょっと待った。
アリスって……まさか?」
「ええ、あなたも良く知っているアリスよ。
彼女は私の両親の仕事仲間なの。
魔装武術の使い手として結構有名らしいわよ」
「魔装武術って何だよ?
てか、アリスさん……何歳?」
「魔装武術ってのは魔力で筋力を一時的に増幅させる技術よ。
難しくて体得者は少ないのだけど、使いこなすと大抵の野生動物なら素手で狩れるそうよ。
歳は……分からないけど、十年前と見た目は変わってないわね」
なるほど。魔装武術についてはなんとなくイメージできた。
彼女の強さについては身に覚えもある。
しかし年齢はショックだ。
若く見積もっても……考えるのはよそう。
大切なのは美貌とおっぱいだ。
「その後、マウルには二千人もの軍隊が派遣されたけれど、戻ってくる者は一人も居なかったそうよ」
「それもハルトマンってやつの仕業か?」
「確認した者は居ないけど、おそらくそうでしょうね。
でも被害を被ったのは南カトリアだけじゃなかった。
彼の仲間であった北の軍勢も巻き添えになったそうよ。
ともあれ、マウルの惨劇と呼ばれるこの出来事がきっかけで休戦協定が結ばれた」
「味方も巻き添えかよ……」
「その後はあなたも知っての通り。
アリスはアグウェル冒険者寮の寮長に就任し、そこで私の第二の人生が始まったの。
そして十三歳の誕生日に、アリスから母の形見であるデッキを受け取ったの。 その日から私は符術士になった。
そして同時に人生の目標が出来たわ。
ローラント・ハルトマンを殺し、両親の仇を討つ」
「……っ!? マリア?」
「軽蔑してもいいわ。
エドヴァルトに近付いたのも、不死の静寂の情報を得る為よ。
結果的に彼が父の死に関わってる事を知って、召喚戦闘になったの」
「経緯は分かった。
でもマリア……お前おかしいよ」
「おかしくなんかないわ。
あのバケモノは私から家族を奪ったのよ!
私の……かけがえの無い家族をっ! 二人ともっ!」
俺の右手がマリアの頬を目掛けて振り払われた。
掌と頬のぶつかり合う音が空気を震わせる。
「そんなに家族が大事か?」
「何よ! 打たなくても良いじゃない!
家族なんだから、大事に決まってるでしょ!」
「だったら、家族が心配するような事はやめろ!
いいか……俺もお前の家族なんだ。
だから、無茶はして欲しくない」
「え……ご、ごめんなさい。
……ありがとう」
無意識の内に放った平手打ちの所為か、赤くなったマリアの頬を一筋の涙が伝う。
「ますたー、女の子を泣かせたらメーッ! だよ」
「あっ……つい。ごめん」
「ううん……いいのよ」
長々と続いた会話はそこで途切れる。
無言の乗客を乗せたまま、馬車は近くの町を目指して走り続けていた。