第四十五話 「出発の朝」
アリス先生の指導の元、南カトリアで使われている文字の勉強が始まった。
以前、独学で真似て書こうとした時は上手く書けなかったのだが、不思議な事に一日勉強するだけで一通りは書けるようにまで成長する。
それはまるで、記憶の底に眠っていた知識を掘り起こしているような感覚だった。
きっと先生の教え方が上手いのだろう。
文字を勉強しつつ、プロキシの製作も同時進行で行なっている。
カードを見ながら翻訳した方が良いのだが、カードを出すと叱られるので俺の記憶が原本だ。
今まで手伝ってくれたニコには悪いが、一人で作った方が圧倒的に製作ペースが速い。
まるで日本語をローマ字表記にしているような感覚だ。
このペースなら一週間もあればデッキが完成するな。
「先生。このテキストにおかしな部分は有りませんか?」
「拝見しますね」
翻訳したプロキシを先生に添削してもらう。
日本語に近い文法とは言え、若干の差異は存在する。
そう言った細かい部分を修正する事により、俺の作るプロキシは本物に近付く。
「イズミさん。ヤマフダって何でしょうか?」
「そこから説明しないといけませんか?」
「はい。お願いします」
いつの間にか先生と生徒の立場が逆転していた。
何故だろう……デジャヴを感じる。
外出禁止の身分ではあるが、寮内での生活は普段と変わりなく、こんな感じで充実した毎日が続いた。
唯一、借金の利息だけが心残りだ。
そんな平和な生活が終わりを告げるのは、四日目を迎えた午後の事であった。
「ユーヤ! 中に居るんでしょ?
居るなら開けてくれる?」
それはドアをノックする音と共に訪れた。
突然の来訪者。それは敵……ではなくマリアの声だ。
俺は勉強を中断して、ミスティにドアを開けさせる。
そこには大きな包みを持ったマリアが立っていた。
「良かった。アリスもここに居たのね。
明日一日、こいつを借りたいんだけど、良いかしら?」
そう言ってマリアは俺を指差す。
模擬戦闘のお誘いだろうか?
思えば、あの事件以来、一戦もやってないな。
「あら? デートのお誘いですか?」
「デ、デデデデ……そ、そんなんじゃないわよ!」
アリスの冷やかしに対し、マリアは露骨なまでに戸惑いを見せる。
いい加減慣れろよな……煽り耐性なさすぎだろ。
面倒な事になる前に軌道修正してやるか。
「その包みは何だ?
胸を大きく見せるグッズか?」
「違うわよ! 失礼ね!」
「イズミさんはマリアちゃんの慎ましいバストが好きだから、誤魔化さずにありのままでいて欲しいそうですよ」
「え? そうなの?
だ、だったら……って何言わせるのよ!」
おかしいな? 俺にまで飛び火した。
マリアは顔を真っ赤にして俺を睨みつけている。
何も言わせるつもりはないのだが……とりあえず謝っておこう。
「……俺が悪かった。
で、その包みの中身は何?」
「未知の野生動物を狩る為の魔法道具よ」
確か、符術士と同等の耐性を持つ野生動物だったな。
魔法道具程度で何とかなるのか?
でも考えてみれば、俺が使っているウィザクリの魔法カードもこの町の骨董品屋で買った物だ。
あそこで買った魔法道具なら何とかしてくれそうな気もする。
「明日、エレイア古代迷宮に行く事になったわ。
リックの同意は得たから、後はあなただけよ」
「そうですね。
イズミさんもお勉強ばかりじゃ飽きるでしょうから、気分転換に行って来たらどうですか?」
「え? 俺は外出禁止じゃないんですか?」
「それは今日でお終いにしましょう」
「へ?」
「マリアちゃん相手に冗談を言えるくらい元気になったのなら、もう大丈夫でしょう。
明日はお弁当を作りますね」
こうして俺の外出禁止令はあっさりと解除された。
今になって思うのだが、罰と言うのは建前で、俺の精神状態を考えての命令だったのかも知れない。
「明日えんそく行くの? やったー!
ますたー、おやつ買って」
「この前、マリアに買ってもらっただろ?」
「……食べちゃった。ごめんなさい」
「仕方のないやつだな」
おやつを買った直後に、遠足が無期延期となったのだから仕方のない事か。
いつになるか分からないのに、我慢しろとも言えないしな。
「ミスティちゃん、私と一緒にお買い物に行きましょうか」
「おやつ買ってくれるの?」
「はい。なんでも好きな物を言ってね」
「えっとね……じゃあ、プリン!」
「プリンはギルドの食堂でしか売ってないし、そもそも持っていけないだろ」
「えーと、えーと……じゃあ何でもいい!」
「じゃあ、お店で見て選びましょうか」
「うん!」
「お弁当の材料を買うついでですので、気にしないで下さいね」
「何から何まで、すみません」
「お気になさらず。
それでは、行ってきますね」
「ますたー、またねー」
アリスとミスティが買い物をする為に出て行く。
「明日の朝食後にリックが迎えに来るから、準備しておきなさいよ」
「おう!」
続いて、マリアも立ち去り、急に一人の時間が訪れた。
俺も古代迷宮に挑む準備をするか。
と言っても、必要なのはメインウェポンであるウィザクリのデッキと、ミスティのカードくらいだな。
フェアトラークのカードもデッキ毎持っていくか。
符術士と同じ耐性を持つ野生動物相手なら、役に立つかも知れない。
よし、準備は万端だ。
ただ、数日ぶりにリックに会うのが、少しだけ怖かった。
◆◆◆◆
翌朝。
朝食を終えた俺は寮の入り口でリックを待つ。
俺の隣では弁当箱を持ったミスティがソワソワしている。
マリアはまだ来ていない。
何をしてるのかは知らないが、女の子は男より準備に時間がかかるものらしい。
やがて一台の馬車が目の前で停止した。
久しぶりに見ると、改めてその立派さに心を奪われる。
乗り合い馬車やギルドの馬車では、どんなに飾り付けても相手にならないだろう。
思えば、これもリックが貴族であるが故かも知れない。
そんな立派な馬車を引く馬から一人の男が降り立ち、俺に向かって手を振る。
「おっはよー」
「おはよう、リック。
その……この前は悪かったな。
体調とか、何ともないか?」
「この通り。すこぶる元気だよ。
てか、符術士くん……いや、ユーヤくん。
ボクは自分の意思であの美少女の魔符に触れたんだよ。
だから、あの件についてキミが責任を感じる事はない!
次に僕に謝るような真似をしたら怒るよ」
「リック……ありがとう」
生死の危険に隣合わせたと言うのに、原因を作った俺を庇ってくれる。
お陰で、この数日間、悩んでいたモヤモヤが一気に吹き飛んだ。
「それにしてもズルいよ。
符術士は魔符に触っても何ともないのに、僕は触れないなんて……。
僕もミスティちゃんの魔符でケツスラとかしたかった」
「言っとくけど、ケツスラとかしたら、それで呪われても助けないからな。
つーか、仮に呪われないとしても絶対にするな!」
リックの台詞を聞いたミスティが慌てて俺の背後へと隠れる。
それも仕方のない事だろう。
何故ならケツスラとは、カードを尻の割れ目に挟んでスラッシュする行為だからである。
ケツでスラッシュするから、略してケツスラ。
性格の悪いプレイヤーが、ダブった高額カードをショップに売る前に、嫌がらせ目的でやったのが始まりと言われている。
そのあまりにも強烈なインパクトから、ネット上でカードゲーマーの定番のネタのひとつとなった。
そして気が付けばそれは、女の子のイラストの描かれたカードに対する歪んだ愛情表現として定着する。
実際にカードをケツに挟んだ写真を、ネットで公開する変態も居たな……。
あの精神的ブラクラの破壊力は凄まじく、軽くトラウマになるくらいだった。
もしも俺のカードでケツスラなんてされたら、相手がリックでも半殺しは確定だ。
「そんな怖い顔しないでよ……冗談だからさ。
それよりさ、コレ見てよ」
「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ!」
突っ込みつつも、リックが差し出してきた物を受け取る。
それは小さな紙の束。
一瞬、デッキかと勘違いしたその紙の一枚一枚には、それぞれ異なる女の子のイラストが描かれていた。
「暇だったから、宿で描いてきたんだ。
どう? 魔符の代用品に使えそうかな?」
俺はデッキホルダーから作成途中のプロキシを一枚だけ取り出す。
移動中に作業が出来るかも知れないと考えて、持って来た物だ。
それをリックのイラストに重ね合わせてみる。
━━完璧だ。
彼ののイラストはカードのレイアウトを考慮し、テキスト欄等で主要な部分が隠れないように描かれている。
しかも、これだけの種類があれば、元のユニットに近いイラストを選ぶ事も容易だろう。
俺が作った文字だけのプロキシを切って、上から重ねれば完成だ。
「リック。お前凄いよ」
「お役に立てそうで何より」
「でも、このバナナを咥えて涎を垂らしてるイラストはボツだな」
「なんでっ!? おやつを舐めてるだけなのにっ!」
「普通、バナナは舐めないからっ!」
男同士の下品な雑談。。
正直、朝っぱらから外で話すような内容じゃないが、何故だかとても楽しい。
「待たせたわね」
リックと猥談で盛り上がっていたら、寮からマリアが現れた。
俺は慌ててリックの描いたイラストをホルダーの中に片付ける。
もし、これがマリアに見られたら……考えると恐ろしい。
横目でマリアの様子を伺ってみる。
どうやら、俺の隠した物には興味がなさそうな雰囲気だ。
そこで彼女の格好が普段と違う事に気が付く。
今日の彼女は指輪をはめているのだ。
右手の全ての指と左手に四つ。
合計九個もの指輪。
まるでドラマに出てくるセレブのおばさんみたいだ。
「おはよー、マリアちゃん。それは魔石かな?」
「魔石? あの指輪の事か?」
「魔術を使用する際に、注ぎ込まれる魔力を調整して、威力を高める魔法道具よ。
属性別に複数用意したわ」
「へぇー。そんなに便利な物なら、空いてる指にもはめればいいのに」
「な、何言ってんのよバカ!
左手のく……この指は特別なの!
で、でも……あなたが買ってくれるのなら、特別にはめてあげてもいいわよ」
「ちなみに幾らくらいするんだ?」
「属性や純度にもよってバラつきがあるけど、最安で五千ガルドくらいだね」
「高っ! そんなモノ、流石に買えないぞ」
なるほど、分かったぞ。
全ての指に魔石をはめてないのは、予算不足で買えなかったんだな。
だからって俺に強請るなよ。
「べ、別に魔石じゃなくてガラス細工の指輪でも……」
「は? そんな物が欲しいのか?」
「何でもないっ!
ほら、さっさと馬車に乗りなさい」
「ミスティが一番に乗るーっ!」
ミスティが馬車へと駆けて行き、俺とマリアがそれに続く。
目指すはエレイア古代迷宮。
目的は新しいカードの入手。
迷宮での出来事が俺の人生を大きく揺さぶる事になるとは、この時はまだ誰も気付いていなかった。
ちなみにケツスラは作中のオリジナル用語ではなく、特定のカードゲームのプレイヤー間で使われている、実在するTCG用語です。
良い子はマネしちゃダメだよっ!




