第四十三話 「魔符の呪い」
「どうしました?」
応接室の入り口が開かれ、アリスが入ってくる。
俺たちの悲鳴を聞いて駆けつけてきたのだ。
俺は藁を掴む思いで彼女にすがり付く。
「アリス……さん。リックが……リックが死んじゃう!」
「これは……イズミさん、彼の消えてない方の手を握って下さい」
「え……?」
「早く!」
「は、はい!」
言われるがまま、リックの左手を両手でしっかりと握った。
リックを見た時の反応からして、アリスは何か知っている。
これで何とかなるとも思えないが、彼女に賭けるしかない。
「幻想の守護者の剣アリス・クリングベイルの名の元に。
彷徨いし英霊よ。汝の主の元へと還りたまえ。解呪!」
俺が手を握ったのを確認すると、アリスは俺たちの前でかがみ込み、詠唱を始める。
すると、暗黒の炎は勢いを弱め、少しずつリックの右腕が再生されていく。
まるで動画を逆再生しているような不思議な感覚だ。
何故、アリスがこんな魔術を使えるのかは謎だが、これでリックは助かるのも知れない。
後遺症が無ければ良いが……。
ニコが黙って見守る中、アリスは詠唱を続け、俺はリックの左手をしっかりと握り、無事を祈り続けた。
ゆっくりとだが彼の右腕は元の姿を取り戻していく。
既に手の甲までが復活している。
後は指を残すだけだ。
もう少しだ。頑張れよ、リック。
ロリイラストのカードに触って呪われるなんて……そんな、お前らしいけど情けない死に方……俺は認めないからな。
だが、リックの身体が完治すると同時に、俺の身体に異変が起こる。
彼の左手を握る俺の両手に、あの暗黒の炎が現れたのだ。
不思議と熱さは感じないが、今まで経験した事のない激痛が走る。
それだけではなかった。
痛みに耐えかねて手を離そうとしたが、身体の自由が効かない。
それもそのはず、気づけば俺の両腕は暗黒の炎に包まれ、既に消滅していたのだ。
考えが甘かったのか……。
時に生命までも奪うような強力な呪いが、そう簡単に解かれる事はないのだろう。
肉体の消滅と共に痛みは収まってきたが、それと反比例するかのように、身体中の感覚が失われる。
悲鳴をあげる事すらままならない。
かろうじて視線だけは動かせたので、可能な範囲で辺りを見回す。
ニコが口を大きく開いたり閉じたりしている。
何かを叫んでいるようだが、聴力まで麻痺したのか何も聞こえない。
アリスは解呪の詠唱を続けているようだ。
しかし、この状況は予想外だったのか、その表情には焦りが伺える。
……何だか眠くなってきた。
俺が身代わりになる事で、リックが助かるのなら、もうそれでいいや。
もし俺が死んだら、ミスティはどうなるのだろう?
ただのカードに戻っちゃうのかな?
最後に……もう一度会いたかったな。
………………。
…………。
……。
◆◆◆◆
「ねぇ、ますたー。こんなところで寝てると風邪ひいちゃうよぉ」
いつものように、ミスティが俺を起こしに来る。
もうそんな時間か。
俺はいつ眠りに就いたのだろう?
確か、プロキシを作ろうとして……そうだ。
リックがカードの呪いを受けて、アリスにそれを解いて貰ったんだ。
その時、呪いが俺に伝染って、そのまま意識を失った気がする。
しかし、何故カードの呪いが今頃になって俺に降り掛かるんだ?
そもそも符術士って、呪いに対する耐性があるんじゃなかったのか?
「ますたー、今日はえんそく行くの。
もう、みんな起きてるよ」
遠足? ああ、古代迷宮に行くんだったな。
そろそろ目を覚ますか。
瞼を開くと視界には一面の曇り空が広がっていた。
あれ? 何で俺は外で寝ているんだ?
色々と疑問を抱きつつも、上体を起こしてみる。
呪われていた時が嘘のように、身体が自由に動く。
よく分からないが、助かったらしい。
そのまま立ち上がろうとして違和感に気づいた。
いつもの服装じゃない。
だが、とても着慣れた服。
それは半年前まで毎日着ていた学生服であった。
隣には通学鞄も転がっていた。
すぐさま中身を確認し、愛用のデッキを見つけて安堵する。
それはそうと、ミスティの姿が見当たらない。
いつもなら『おはよ、ますたーはお寝坊さんだね』と微笑みかけてくれるのだが……。
「黒の契約者ユーヤ・イズミの名の元に。
闇の魔女ミスティよ、我の元に来たれ。召喚!」
カードを取り出して召喚を試みるが、ミスティが姿を現す事はなかった。
「おーい、ミスティ。ますたー起きたから出ておいでー。召喚。
……ダメか。
ひょっとして日本に戻って来たのか?
いや……どう見てもここは日本じゃないよな」
辺りには見た事もない風景が広がっていた。
俺が寝ていた場所は広大な更地、少し遠くには建築物らしきものが幾つか見える。
不思議なのは、それら全ての建築物が、何処かしら欠けているように見える事だった。
あるものは上半分が、別のものはこちらから見て右半分が、まるで巨大なスプーンでえぐられたかのように失われている。
また別の異世界にでも飛ばされたか?
ああいうデザインの芸術作品と思えなくもないが……。
ここでじっとしていても仕方がない。
俺は建築物らしきものの並ぶ場所を目指して歩き始める。
やがて、目的の場所へと辿り着いた。
建築物は石で出来た住居で、半分欠けている事を除けば、南カトリアでよく見かける一般的な民家に近い。
「ごめんくださーい。誰も居ませんか?」
比較的、欠損の少ない建物を選んで、入り口から声を掛けてみるが返事はない。
誰も居ないのか、それとも言葉が通じないのか。
不安を抱えながらも、俺は建物の中に入ってみる事にした。
不法侵入だが、この状況では仕方がない。
もし、住人と鉢合わせたら、素直に謝ろう。
ゆっくりと廊下を渡りつつ、一部屋ずつ中の様子を確認する。
最初の部屋はキッチンだった。
中央に大きなテーブルが置かれ、棚には小瓶が並んでいる。
埃は積もっていないので、最近まで使われていたのだろう。
たまたま留守なだけだろうか?
このまま引き返してもどうしようもないので、開き直って探索を続ける事にする。
次の部屋はピンクを基調とした家具が多く置かれた、可愛らしい部屋だった。
ベッドの上には仔犬のぬいぐるみが置かれている。
女の子の部屋だろうか?
ここはそっとしておいた方が良さそうだ。
ピンクの部屋を後にして、向かい側の部屋のドアに手を掛けた時であった。
身体に異変を感じて、思わずその場にうずくまる。
頭が……割れるように痛い。
『我……す力を……契約……』
何処からか声が聞こえた。
聞き覚えのある……半年ほど前に夢で聞いた声。
何故そう思ったのかは分からない。
だが俺の深層意識がハッキリと伝えてくる。
符術士になる直前に聞いたモノと同じ声だと。
━━この先に何かがある。
大きく深呼吸をする。
頭痛と恐怖を押さえつけながら、ゆっくりとドアを開き中を覗き込む。
その部屋は書斎であった。
左右の壁に大きな本棚が幾つも並び、中央には豪華そうなソファとガラス製のテーブルが据えられている。
他と大きく異なる所があるとしたら、部屋の奥側が消滅している事くらいか。
外から見えた多くの建物と同じく、この家も書斎の途中から先が存在していなかった。
境界線は緩やかな楕円を描き、そこから先は更地となっている。
その更地の中心に━━声の主は居た。
真っ黒なズボンに真っ黒なローブを羽織った黒尽くめの人物。
その服装故に、金色の髪の毛が際立って見えた。
━━似ている。
遠くて顔や性別はよく分からないが、その人物は南カトリアでの俺の姿にそっくりであった。
『違う……これでは奴には勝てない』
黒尽くめの人物は右手を振り上げ、その手に持っていた物を辺りにばら撒いた。
それらは地面にぶつかる前に霧となって消える。
ばら撒かれた物━━それはカードだ。
日本でも南カトリアでも、俺の人生の大部分を占めていた【フェアトラーク】のカード。
それを俺が見間違える筈はない。
少しでも自分に似ていると思ったのが間違いだった。
カードをばら撒くなんて許せない!
俺がカードゲームの楽しさを叩き込んてやる! とドアを大きく開いた、まさにその時であった。
『俺に……魔王を倒す力を! 異界の地より来たれ!
最強のデッキを……契約せよ! 英霊召喚!』
黒尽くめの人物が叫ぶと、その周囲に大量のカードが出現する。
そしてカードは暗黒の炎に姿を変え、召喚者の全身を一瞬にして包み込む。
それは一見、俺とリックを襲ったカードの呪いと同じ現象に見えた。
しかし、その暗黒の炎は対象を消滅させる事はなく、黒尽くめの人物を俺のよく知るものへと変貌させる。
漆黒でありながらも輝きを放つ鎧。
右手には黒きオーラを放つ大きな剣。
それは模擬戦闘で幾度となく俺を勝利に導いてくれたユニット。
《霊騎士ガイスト》
いや、ガイストのカードは全て俺の鞄の中にある筈だ。
━━なら、あれは何だ!?
得体の知れない不安から逃れる為、右手に持った鞄の中身を確認しようとする。
しかし、それは叶わない。
俺の通学鞄……正確にはその中にあるデッキが暗黒の炎となり、俺の右腕を包み込んでいたのだ。
炎は激しさを増し、俺の全身をその中へと捕える。
リックの時と同じく、強烈な睡魔が俺を襲う。
薄れゆく意識の中で、こちらへと振り向いたガイストの口元が不敵に歪むのが見えた。
………………。
…………。
……。
◆◆◆◆
目覚めると青い髪の少女が俺を見下ろしていた。
「良かった。目が覚めたみたい」
「おはよ、ますたー。
こんな時間からお昼寝なんて、ますたーはお寝坊さんだね」
「ミス……ティ」
隣では銀髪の少女が俺に微笑みかけている。
思わず愛しくなり、俺は上体を起こしてミスティを抱き寄せる。
その先にはソファに横たわるリックと、それを見守るアリスとニコが見えた。
「わゎっ。そんなに強く抱きしめたら、苦しいよぉ」
そう言いながらもミスティは笑顔を絶やさない。
彼女の柔らかい肌と温もりを腕の中で感じとり、これが夢ではないと実感した。
何故だか目頭が熱くなる。
「ますたー、男の子は泣いちゃダメだよ」
「……うん」
━━俺は帰ってきた。
生まれ育った日本ではなく、南カトリアへと帰ってきたのだ。