第一話 「異世界」※
鬱蒼と生い茂る木々の隙間から、青空が顔を覗かせている。
どれくらいの間、気を失っていたのだろう?
上半身を起こし、辺りを確認する。
所々、痛みは残るが、動けない程ではない。
気絶する前に動けなかったのは、パニック状態に陥っただけのようだ。
「森の中……だよな?」
電車の中で事故に巻き込まれ、意識を失った。
おそらくだが、爆発により電車は高架橋から転落、大惨事となったはずだ。
何故、まだ生きている?
改めて自分の身体を確認する。
そこで初めて、自分の服装が学生服でない事に気付いた。
真っ黒な布地が首から足元まで、俺の身体をすっぽりと覆っている。
手を回すと、首の後ろの辺りにフードが付いている。
コートだろうか?
それにしては少々見窄らしい。
まるでRPGで魔法使いが着ているローブの様だ。
ローブの左胸の辺りには内ポケットがあり、そこに真っ黒なカードが入っていた。
「なんだこれ?」
クレジットカードの類にしては、磁気ストライプも、ICチップも見当たらない。
よく分からないが、ポケットに戻しておく事にした。
ローブの下は無地のシャツとズボン、靴はスニーカーからブーツに変わっていた。
そのどれもが黒で統一されている。
唯一、ベルトだけが茶色で浮いている。
制服のポケットに入れておいた、財布と携帯電話は見つからなかった。
状況が全く分からないが、俺の中でカードの次に大事な命が助かったんだ。
この機会を無駄にする訳にはいかない。
とにかく人の居る場所を探そう。
立ち上がり、五十メートル程先の、けもの道らしき場所へと歩き出す。
そこで見覚えのあるものを発見した。
「ハムスター?」
道端で毛並みの良い、ネズミのような小動物が何かに齧り付いている。
餌は……黒い鞄の様な形をしているな。
サイドには、白い毛玉のようなモノを象ったストラップが付いて……。
「って! それ、俺の通学鞄じゃねーか!」
俺は身体の痛みを忘れて駆け出した。
鞄の中には命よりも大切なものが入っている。
囓られてキズを付けられる前に取り返す!
鞄に向って勢いよくスライディングする。
突然の襲撃に驚いたのか、ハムスターは視界から姿を消していた。
「良かった。中身は無事だ」
鞄の中のカードとペンケースを確認して安堵する。
ちなみに、教科書は教室の机の中に入れっ放しなので、鞄には入っていない。
服に付いた泥を払い落とし、あてもなく歩を進めようとした時だった。
「っ! ……いってえ!」
右手に激痛が走る。
何かが噛み付いてきた様な感覚。
視線を移すと同時に戦慄する。
俺に喰らいついている物の正体、それは全長一メートル程の巨大ハムスターだった。
さっきのハムスターか?
しかし、こんなに巨大だっただろうか?
「くそっ、離せよ。バケモノ!」
左手と足を駆使して引き剥がそうとする。
だが、俺が攻撃を加える度に、げっ歯の食い込みが深くなり、右手が流血で真っ赤に染まる。
堪らず膝をついた。
まずいな……出血量が多いのか?
ひょっとしたら、俺の本当の身体は電車の中で既に息絶えていて、死ぬ直前に意味の無い夢を見ているんじゃないか?
ネガティブな思考が頭を過り、地面に突っ伏す様に倒れ込んだ。
薄れゆく意識の中、空を薙ぐような大きな音と共に風を肌に感じる。
「おい、兄ちゃん大丈夫か?
返事がねえな」
「ラルフ、代わって。
白の契約者、マリア・ヴィーゼの名において命ずる。
この者を癒やしたまえ。
治癒魔術!」
何やら中厨二病的な台詞が聞こえると共に、右手の痛みが消え、薄れかけていた意識がはっきりしてくる。
瞼を上げると少女が俺の右手を握っていた。
肩口まで伸ばしたストレートヘアに、クリッとした丸い瞳、美人と言うよりはカワイイと言う表現がよく似合う。
髪の毛の色が透き通るような青色なのが特徴的だ。
意外と不自然さは感じなかった。
「もう大丈夫よ。
治癒魔術を使ったから」
俺の右手からそっと手を離し、少女が微笑む。
少女が立ち上がると、細くて綺麗な脚と、その先に大切な部分を保護する布地が視界に入り込んできた。
「……白か」
思わず、そう呟いた瞬間……蹴られた。
「この変態!
せっかく親切で助けてあげたのに信じらんないっ!」
「不可抗力だ!
俺は倒れてたんだから、そんなミニスカで立ち上がったら見たくなくても見え……ブッ!」
「見るな!」
立て続けに二発目の蹴りを喰らい、地面と接吻させられる。
「まあ、落ち着けって。
助けた相手がたまたまロリコンだった。
運が悪かったんだ」
何故かロリコン認定までされた。
泣きたい。
巨大なハムスターを撃退し、俺を救けてくれたのは、熊のような大男と中学生くらいの少女の二人組だった。
「俺はラルフ・オスバルト。
見た目通りの仕事をしている。
よろしくな」
ラルフは革製の鎧を身に纏い、身長ほどもある大きな剣を背負っている。
見た目通りの仕事と言うとコスプレイヤーになるが、鍛えられた肉体がそうではない事を証明している。
ネコに似たお供を連れて、モンスターを狩るゲームのキャラをイメージする。
「マリア・ヴィーゼよ」
少女は面倒臭そうに一言だけ名乗る。
「俺は和泉……ユーヤ・イズミ」
苗字を先に名乗ろうとして言い直した。
「ユーヤか、珍しい名前だな。
もっとも、デカチュー程度にやられる奴はもっと珍しいけどな」
「たすかりました。
ありがとうございます。
すごいな、傷跡ひとつ残っていない」
巨大なハムスターに噛まれた右手の傷は完治していた。
少し前まで大量に血を流していたのが嘘のようだ。
剣と魔法とモンスター。
非日常の連続が、異世界に来てしまったのだと実感させる。
何故か言葉は通じるのが、不幸中の幸いだ。
「恩をセクハラで返す様な人だと知ってたら助けなかったのに」
「だから、アレはわざとじゃないって!
それに、まな板は趣味じゃない」
「まな板っ!?」
マリアの顔が紅潮していく。
ヤバい……地雷を踏んでしまった。
蹴られるのを覚悟したが、マリアは俺を無視するように踵を返した。
「ラルフ、行くわよ」
「お、おう。
じゃあな、ロリコンの兄ちゃん」
「ま、待って下さい。
道に迷ったんです。
付いて行ってもいいですか?」
こんな危険な世界で一人になるのはマズい。
慌てて二人を引き止める。
もっとも、迷ったのは道ではなく、時空レベルで迷子になっているのだが。
「構わないが、俺達は仕事に向かう所なんだ」
「……好きにすれば」
二人の後ろを数歩離れてついて行く。
途中、野生動物に幾度か遭遇したが、全てラルフが一撃で倒してくれた。
鍛えられた肉体を持つ戦士風の大男と、治癒魔術が使えるとは言え、町娘にしか見えない少女。
この不思議な組み合わせでする仕事が気になったが、二人は教えてくれなかった。
森の中を一時間程歩いた所で二人が足を止める。
「確か、ここら辺だったと思うが」
「あそこじゃない?」
マリアが指差した先には、天然のものと思われる洞穴が見えた。
「兄ちゃん。
ここから先は危険だから隠れてな」
「分かりました。
じゃあマリアも一緒に」
「嫌よ。あなたと一緒の方が危険だわ」
「それ、どう言う意味だよ!」
「こっちに来ないでっ!」
勢い良く突き放されて尻もちをつく。
何も突き飛ばす事はないだろうに、随分と嫌われたものだ。
その時、ヒュンッと音をたてて目の前を風が通過する。
直前まで俺が居た場所に木の矢が刺さっていた。
「え? うわあああっ!」
悲鳴をあげながら近くの大木の影に隠れる。
恐る恐る矢の飛んできた方向を確認すると、洞穴の近くに人影が見えた。
その手に持っている物は、銃と弓を組み合わせた様な形をした武器……クロスボウだ。
クロスボウは普通の弓と違って素人でも正確な射撃と威力が出せる。
使い方によっては他人の生命を奪うことも出来る凶器だ。
「ヒャハハハハーッ!
先生の言った通りだぜ!」
世紀末を舞台としたマンガの雑魚のような台詞を吐きながら、モヒカンがクロスボウの狙いを定める。
そのターゲットは……。
「マリア! 危ない!」
俺は声に出して叫ぶ!
……が、身体は恐怖でその場から動けなかった。
ヒュンッ!
クロスボウから矢が放たれる。
俺は思わず目を逸らした。
ほんの少し前、俺の生命を救ってくれた恩人が、目の前で殺されようとしている。
こんな事なら、もっと誠実に謝っておくべきだった。
後悔で心が押し潰される最中、コンッと小気味良い音が聞こえた。
「おう、大丈夫か?」
「何ともないわ」
ラルフが守ってくれたのだろうか?
俺はマリアの無事を確認して安堵する。
だが、それも束の間、クロスボウから新たな矢が放たれる!
そして、マリアに直撃する瞬間!
矢は弾かれて地面に転がった。
「は?」
あまりの異常さに言葉を失う。
先程の小気味良い音は、マリアの身体が矢を弾く音だったのだ。
全ての矢を避ける事なく、その身で受けながら、マリアがモヒカンとへと歩み寄る。
「ひぃっ……兄貴!
手を貸してくれ!」
モヒカンの声に応じて、洞穴から続々と無精髭を生やした男達が現れる。
棍棒、ナイフ、青龍刀、斧……様々な凶器を持った男達が襲い掛かってくる。
だが、そのどれもが少女の柔肌にかすり傷ひとつ付ける事が出来なかった。
「女の子ばかり狙う下衆にはお仕置きしないとな。
おーい、俺も居る事を忘れてんじゃねーぞ」
ラルフが男達へ向かって大剣を振り下ろす。
一振りで数人が吹き飛ばされ意識を失う。
同じ動作が数回繰り返された後、静寂が訪れた。
「何だこれ? チートかよ」
敵じゃなくて良かった。
異世界の基本イベントとも言える、盗賊退治は難無く終了。
俺は最強の二人の元へ駆け寄る。
「まだ来るんじゃねえ!」
ラルフが俺に静止を促す。
突如! その背後に二頭身の真っ赤なドラゴンが出現した。
ラルフは振り向きざまに大剣を振るう!
狙うはドラゴンの首。
しかし、斬撃は目標に到達する前に静止、ドラゴンの吐いた高熱の炎で飴のようにぐにゃりと曲がる。
「おいでなすった。マリア、後は任せるぜ」
ラルフは使い物にならなくなった武器を捨てて身を翻す。
「白の契約者、マリア・ヴィーゼの名において命ずる。
偉大なる英霊よ、その力を解放せよ。召喚!」
ラルフと入れ替わる様に、マリアがドラゴンの前に躍り出て呪文を唱える。
詠唱が終わると同時に、小さな仔犬が召喚される。
あいつ、召喚魔法も使えるのか。
「でも何故に柴犬?」
「見かけに騙されちゃイケないぜ、兄ちゃん。
まぁ、ゆっくり見物しようじゃないか」
いつの間にかラルフが隣まで来ていた。
仔犬がドラゴンの周りを駆け回る。
その様子は着ぐるみとペットがじゃれ合っている様にしか見えない。
何故だろう?
あの二頭身のドラゴン、どこかで見た事がある気がする。
「キュアアアア!」
ドラゴンが悲鳴の様な鳴き声をあげる。
仔犬が尻尾に噛み付いたのだ。
うっすらと涙を浮かべながら、ちびドラゴンはあっさりと姿を消した。
「よくやったわ。イイ子ね」
マリアが屈んで仔犬の頭を撫でる。
あの位置だと仔犬からはパンツが丸見えのハズだが、俺の時とは態度が大違いだ。
「わしの可愛いドラゴンちゃんを苛めたのは貴様か?」
洞穴から小太りの男が姿を現す。
「あなたが最近盗賊団に雇われた符術士ね」
マリアはベルトに付けられたポーチから、何かを取り出して小太りの男に突きつける。
「ほう、ギルドの犬か。
あいつらに符術士を派遣する余裕があったとはな」
「白の契約者、マリア・ヴィーゼの名において、汝に決闘を申し込むわ」
「決闘だと?
小娘が……嘲笑わせる。受けて立とう」
マリアが男に突きつけている物、それは五十枚程の紙の束だった。
その束が光に包まれて右側上方へと移動する。
「あれはデッキか!?」
カードゲーマーの本能がそう思わせる。
対戦相手となる小太りの男側にも、同じようにカードの束が宙に浮いていた。
お互いのデッキが自動的にシャッフルされ、五枚のカードがそれぞれの左手へと移動する。
その後、宙に浮いたそれぞれの山札から、一枚ずつが二人の間に伏せられたまま移動した。
「「英霊召喚!」」
二人の掛け声と共に伏せられたカードが表向きになり、実体化する。
マリア側に現れたのは白い毛玉につぶらな瞳とたれ耳がついたゆるキャラもどき。
《迷犬ポチ》白属性/レベル1/AP4000/HP5000
俺が今朝当てたカードだ。
対して小太りの男側に現れたのは、全身が炎に包まれた巨大なドラゴンだった。
「紅竜王……フィアンマ!?」
初期配置リーダーユニットがランダムで決まる、独特のゲーム性。
そして何よりも、俺のよく知っているユニット達。
それは、俺が三年間青春を費やしたTCG、『フェアトラーク』そのもの。
俺が辿り着いた世界。
それは剣と魔法とカードゲームの世界だった。