第十五話 「帰還」
「ますたー。ねぇ、朝だよ。起きてー」
俺の身体が左右に揺らされる。
不快感はない。
むしろ優しい振動が心地よいくらいだ。
昨夜は短い間にいろんな事があった。
その疲れをとる為にも、もうしばらくこの揺れに身を任せていたい。
「ねぇ、起きてってばー。
むぅ……こうなったら、えいっ!」
ポムッ!
俺の顔にふわふわした物が押し付けられる。
柔らかくて気持ちがい……息が出来ない!?
俺は慌てて、顔に押し付けれたふわふわの物体を、両手で跳ね除ける。
「ゲホッ!」
「あ、起きた。ますたー、おはよー」
「おはよう。じゃねーよ!
死ぬかと思ったぞ!」
謎のふわふわの正体はミスティのぬいぐるみだった。
俺の顔より一回り大きなそれは、俺の呼吸器を遮るには十分だった。
「ねぇ、ますたー。
ミスティお腹空いちゃった」
「そうだな」
昨夜の差し入れ以来、何も食べてないからな。
ん? カードのユニットって食事とかするのか?
「イズミ、起きてるか?」
コンコンとドアがノックされる。
この声はハンスだ。
俺は軽く返事をしてドアを開ける。
っ! 雑魚寝した所為か、背中が痛む。
「どうした? なんだか猫背になってるぞ」
「床で寝たから背中を痛めたらしい。
直に治ると思う。いててて」
「ベッドで寝ないからだ」
「ミスティを一人にする訳にはいかないだろ」
「寝室のベッドなら余ってただろ」
「ボクとお兄ちゃんは一緒のベッドで寝たからね」
「へ?」
寝室に用意されたベッドは三つ。
ニコとハンスが二人で一つのベッドを使用したから、残り二つを俺とミスティで使えば良かったらしい。
って、こいつら兄弟で添い寝してんのか!?
それで部屋を間違えたニコが俺のベッドで寝ていたのか。
いやいや、同じベッドで寝るような年齢じゃないだろ。
「朝食を御馳走してくれるそうだ」
「みんな集まってるよ。ボクたちも行こう」
「ご飯?」
朝食と言う単語に釣られて、ミスティが寄ってくる。
「初めまして。キミがミスティちゃんだね。
ボクはニコ。よろしくね」
「ミスティだよ。
ねぇ、お腹空いたー。
ますたー、はやく行こうよ」
「はいはい」
◆◆◆◆
ハンスの後に続いて向かった先は、キッチンではなく家の外だった。
広い庭に幾つものテーブルが並べられ、大人から子供まで多くの人達が周りを囲んでいる。
「何だこれ? 何かのお祝いか?」
「おお、皆さんもいらっしゃいましたか」
人だかりの中からゼップがこちらへやって来る。
「近所の方々に、昨日の獲物を運ぶのを手伝って頂きましてな。
お礼も兼ねて、手料理を振る舞っておりますのじゃ。
ささ、皆さんもどうぞ」
俺達にスープの入ったお椀が手渡される。
様々な野菜と昨日の獲物、ウリブーの肉が入った具沢山のスープだ。
いや、スープと言うか豚汁だな。
「坊主があいつを殺ったのか?」
「たいした事はない。一撃で仕留めた」
「あの切り口は普通じゃないと思ったが一撃か!
若いのに凄いんだな」
「お兄ちゃんは強いんだよ!
この前もね……」
ハンスとニコが農家のおじさんに囲まれている。
実際はミスティが押さえている所を横取りしただけなのだが、結果的にハンスがとどめを刺した事には違いないか。
釈然もしない所もあるが、口出ししてもイライラが増すだけなので無視しよう。
俺は昨夜の戦闘には関わらなかったふりをして、数日ぶりに食する和風の味を堪能する。
屋内で靴を脱ぐ習慣、風呂、味噌、カトリアの文化は日本的な物が多いな。
お陰でホームシックにならずに済む。
「ますたー、これおいしい!」
「あ、あぁ……美味しいな」
「まだまだ沢山ありますから、たーんと召し上がって下され」
「おじちゃん、ありがとー」
ミスティは幸せそうに二杯目の豚汁を啜っている。
昨日あんなに大泣きしてまで庇おうとした、ウリブーの肉だと分かっているのだろうか?
気になるが、おそらく知らぬが仏と言うやつだろうな。
◆◆◆◆
豚汁をたらふく御馳走になった後、俺達はアグウェルへと帰還する。
ミスティも小さな足で俺達に着いて来る。
カードに戻せば楽なのだろうが、戻し方が分からない。
ミスティに訊いても『ますたーと一緒がいいの』と駄々をこねるばかりで戻る気はない。
まあ、いい。
ミスティが疲れた時は俺がおんぶすればいいか。
召喚に関しては分からない事だらけだ。
帰ったら、マリアにカードゲームでの対戦を挑んで、ついでに色々教えてもらおう。
◆◆◆◆
「お仕事、お疲れ様です」
町に入る前に門番にギルドカードを見せる。
先日とは異なり、アグウェルの冒険者ギルドで作成したギルドカードだ。
特に問題もなく、あっさりと門を通過する。
不思議な事にミスティについては何も訊かれなかった。
◆◆◆◆
冒険者ギルドにて依頼の完了報告をする。
「農業組合より、お話は伺っております」
報酬の一万ガルドはトドメを横取り……じゃない、トドメを刺したハンスが四千、俺とニコがそれぞれ三千ずつに分配した。
現金ではなく口座に振り込まれる。
異世界での初給料だ。
手続を終え、立ち去ろうとした時だった。
「イズミ・ユーヤ様、お待ち下さい」
ギルドの職員に俺だけが引き止められる。
「何ですか?」
「イズミ様に、農業組合から損害賠償請求が届いております」
「へ?」
「およそ十反の範囲において、作物が被害にあった件と伺っております」
心当たりはある。
昨夜、俺の魔法道具による攻撃で更地になった畑の事だ。
ゼップは許してくれたのかと思っていたのだが、組合を通して請求出来るから、あの場では何も言わなかったのか。
「総額二十六万ガルド、分割でのお支払いも可能ですが、いかが致しましょうか?」
「二十六万!?」
もの凄い大金だ。
貯金を使い果たしても、三分の一しか返せない。
「作物の被害だけでしたら数万で済んだのですが、土地そのものが使い物にならなくなったそうでして、復旧に必要な費用が二十万以上だそうです」
「俺達は知らないぞ。イズミの自業自得だ」
「ユーヤお兄ちゃん、頑張ってー」
「お、おう」
「ますたー、がんばって! 応援してる」
ハンスとニコの協力は得られそうもない。
何故かミスティも二人に同調してるが、多分意味は分かっていないだろう。
「分割でお願いします。なるべく一回の支払いが安いので……」
「毎月月末に一万ガルド、口座から引き落としさせて頂きます。
年利として一割が上乗せされますので、合計で五万ガルド程追加されますが、よろしいですか?」
利息まで付くのかよ。
借金なんて初めてだから、年利一割が多いのか少ないのか分からない。
訊いたとしても、良心的と言われるのがオチだろうな。
「冒険者寮の寮費と合わせて、毎月二万ガルドを口座にご用意下さい」
今回の報酬が三千ガルド。
毎月七回は同じような依頼をこなさなければならないのか。
生活費も考えると必要なお金は更に増える。
「イズミ様は符術士になられたと伺いました。
符術士の冒険者、それも男性となれば引く手数多。
この程度すぐに稼げますよ」
何処で聞いたのか、俺に関しての情報はギルドの職員にまで伝わっていた。
門番がミスティについてスルーしたのは、この件を知っていたからか。
「はぁ……これから頑張ろうな、ミスティ」
「うん! がんばるー」
「ご活躍、期待しております」
こうして俺は初給料をゲットした直後、借金地獄に落とされた。
借金返済の為、危険な仕事も受けなくてはならないだろう。
「はぁ……とりあえず帰るか」
「ますたーのお家?」
「寮だから、俺の家って言うとちょっと違うけどな」
ともあれ、直ぐに次の依頼を探す気力もなかったので、寮へ帰る事にした。
それに、アリスとマリアにミスティを紹介したいからな。
◆◆◆◆
「ただいまー」
ニコが元気よく寮の入り口の扉を開く。
丸一日ぶりの帰還だ。
一晩離れただけなのに何だか懐かしい。
自室に戻る兄弟と別れ、俺はマリアを探す事にした。
と言っても、俺は彼女の部屋を知らないし、外出している可能性もある。
アリスを探して聞いた方が早そうだ。
だが、そんな心配は杞憂にすぎなかった。
食堂で雑談を交わしているアリスとマリアを発見した。
俺が食堂に足を踏み入れると、こちらに気付いたアリスが小さく手を振る。
「あら、イズミさん。おかえりなさい。
早かったのね。
そちらの女の子はどなたかしら?」
「い、いくら小さな女の子が好きだからって、誘拐はダメよ!
衛兵に突き出さなきゃ!」
「誘拐してきたんじゃねーよ!」
マリアの俺に対する認識の酷さに泣けてくる。
いきなり小さな女の子を連れて帰ったら、怪しまれても仕方がないが、いくら何でも誘拐と言う発想はないだろ。
「お姉さん達に自己紹介しなさい」
「うん! わたしミスティ。よろしくね!」
「ミスティちゃんね。私はアリスよ」
「私はマリアよ」
「アリスおばちゃんと、マリアおねーちゃん」
「おば……アリスお姉さんと呼びましょうね」
いつも落ち着いているアリスが、少しショックを受けている。
俺から見ると年頃の美女だが、ミスティからだとおばちゃんになるらしい。
小学生の視点だと、俺のような若造でも大人に見えるらしいからな。
「それで、その子は一体何なのよ?」
「ミスティはね、ますたーのお嫁さんなの!」
ミスティが、ぬいぐるみを抱えてない方の腕で俺の左腕を抱き、そう宣言した。
いつの間にか俺は既婚者になっていたらしい。
「あなた……そんな小さな子に嫁とか言わせて楽しいの?」
「俺が言わせてるんじゃねーよ!」
マリアに哀れむような目で見られた。
これは精神的にキツい。
まだ、変態と罵られる方が幾分かマシだ。
「説明するから、ちょっと待ってろ」
腰のデッキホルダーからデッキを取り出し、そこから一枚のカードを探して二人に見せた。