第十四話 「闇の魔女ミスティ」
ニコの無事を確認した俺は、時折金属音の聞こえる方向を見つめ、ハンスを探す。
広大な畑の一部で大きく穂が揺れる。
直線距離にして百メートルくらい先か。
畑を突っ切れば直ぐだが、実際は道のりに遠回りしなければならない。
俺やニコに、これ以上の被害が及ばないように、引き離してくれたのだろう。
「ハンスはあっちか」
「あっちにいるお友達を、たすければいいの?」
「あぁ」
「わかった」
ポンッと言う音と共に、ミスティの抱いているぬいぐるみが姿を消し、代わりに彼女の右手にピンク色の杖が出現する。
杖の先にはうさぎの頭部を象った飾りが付いている。
まるで魔法少女のステッキのようだ。
「じゃあ、ミスティ先に行ってるね」
そう言ってミスティはあぜ道を駆けて行く。
小柄の身体と長いスカートからは想像も出来ない速さだ。
遅れを取らないように後を追うが、徐々に離されて行く。
やがて畑の中に、一際大きいウリブーの姿を見つけた。
その巨体には所々切り傷が刻まれ、身体を赤く染めている。
ハンスの剣による傷だろう。
これなら勝利は時間の問題か……と思ったが、突如その巨体が畑の中に向かって突進した。
麦の穂が大きく揺れ、金属音と共に一本の剣が宙に舞う。
「まずい! ミスティ!」
「うん!」
俺からの距離では間に合わない。
魔法道具の短剣を使えば攻撃は届くが、ハンスを巻き添えにしてしまう。
実力は未知数だが、俺よりも近くに居るミスティに頼る他なかった。
「えーい!」
ミスティがステッキを下から上に振り上げると、ウリブーの巨体が軽々と宙に浮き、二階程の高さで静止する。
ウリブーは必死に四本の足をジタバタと動かしているが、抵抗も虚しくその身体は地上には届かない。
まるで見えない糸で吊るされているかのようだ。
「ねぇねぇ、ブタさん。
どうして、このお兄ちゃんをいじめるの?」
ミスティが宙に浮いたままのウリブーに話し掛けている。
おれはその隙に、畑の中で倒れているハンスの元に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「イズミか……無事だったんだな。
悪い、一撃で仕留められなかった」
ハンスは思ったよりも軽傷だった。
持ち前の戦闘技術で被害を最小限に留めたのだろう。
「ねぇ、ますたー」
「何だ?」
安堵するも束の間、ミスティが話し掛けてきた。
「このブタさん、何も悪くないよー」
「は?」
「んーとね。
ごはん食べに来たら、子供がいじめられたから怒ってるみたい」
「虐めてたんじゃない。
そいつの子供が罠に掛かっただけだ」
「わな?」
「この辺りの畑は農家の人達のものなんだ。
農家の人達が大切に育てた作物を、勝手に食べるのは悪い事だろ」
「そっか」
落とし穴の罠に掛かった子供を見て、その周りに居る俺達を攻撃してきた。
理屈は分かる。
「じゃあ、ブタさんにはおしおきしないとね」
ミスティが掲げていたステッキを振り下ろす。
すると宙に浮いていたウリブーの巨体が地面に叩きつけられ、まるで膨らみすぎて破裂した餅のように潰れていく。
プギィ……とか細い鳴き声が聞こえる。
まだ息はあるようだが勝敗は明らかだ。
ミスティは、原型を留めない程ぺっちゃんこに潰れていくウリブーに向かって、何やら頷いている。
「ねぇ、ますたー」
「今度は何だ?」
「ブタさんがね、もうこの辺りには来ないから許して、だって。
ここが畑だって知らなかったみたい」
「そう言われてもな……」
本当にこの辺りから立ち去ってくれるのなら、農家の被害は減るだろう。
だが依頼内容が討伐である限り、俺達が報酬を貰えない可能性がある。
流石に死にかけた上にタダ働きは勘弁して欲しい。
「秘剣 月円斬!」
俺が返答に詰まっていた、その時であった。
月明かりに照らされた刃が弧を描き、ウリブーの巨体から真っ赤な血が噴水のように吹き出す。
ぺしゃんこに潰れていた巨体は元に戻り、支えきれなくなった頭部がゴロンと転がり落ちた。
弾き飛ばされた剣を拾い、ハンスが反撃に出たのだ。
「どうして……?
ブタさん何もわるいことしてないよ!
どうして、いじめるの!?」
真っ赤に染まったウリブーの死体を見つめ、ミスティはハンスを問い詰める。
彼女の顔は涙で覆われていた。
「……仕事だからだ」
「おしごとって何?
弱い者いじめがお兄ちゃんのおしごとなの!?
だって、ブタさんミスティと約束したんだよ!
ここの食べ物は食べないって!
なのに……どうひて、ころひしゃうの?」
しゃくり上げた所為か、最後の方は呂律が回っていない。
居ても立っても居られなくなり、俺は二人の間に割り込んでミスティを正面から抱きしめた。
「ごめん」
「……まぅたー?」
「俺が……舞い上がっていた所為だ。
こんなの初めての経験で、映画やアニメで使い魔を使役するヒーローのような気分になって……ミスティの気持ちなんて考えてなかった」
カードのユニットである事や、不思議な魔術で失念していたが、彼女はまだ幼い。
こんな小さな女の子にとって目の前で行われる殺生が、どれほどショックな出来事であったか。
そして、彼女にその殺生を行わせようとしていた自分に対する怒りと後悔で胸が詰まる。
「本当にごめん……ブタさんにも悪い事しちゃったな」
ミスティは何も答えない。
俺の腕の中でじっとしている。
「イズミ、その奇妙な魔術を使うガキは何だ?」
数瞬の沈黙を破ったのはハンスだった。
質問に答えるのは簡単だが、今はそういう気分になれない。
「悪い……先に戻ってゼップさんに伝えてくる。
後で全部答えるから」
「……分かった。約束だ」
「ミスティ、行こう」
彼女は黙ったまま、俺の腕の中でコクリと頷いた。
◆◆◆◆
「すみませーん」
ミスティを連れてゼップの家まで戻った俺は玄関のドアをノックする。
近くに居たのか、ドアは直ぐに開かれた。
「随分とお早いお帰り……その子は?」
「依頼された仕事は終わりました。
すみません、この子を休ませてあげたいので、部屋を貸して頂けませんか?」
「分かりました。理由は聞きますまい」
ゼップはミスティを見て、一瞬眉をしかめたが、直ぐに寝室を一部屋あてがってくれた。
ベッド以外には何もない小さな部屋だ。
「では、畑の様子を見てきますじゃ」
「ありがとうございました」
ミスティをベッドに横たわらせ、俺はそのベッドを背もたれして床に座り込んだ。
服にシワがついてしまうが、着替えはないので我慢してもらおう。
「ますたー」
「ん?」
「……ありがとう」
「俺は何も感謝されるような事してないぞ」
「そんなことないよ」
むしろ、礼を言わなければならないのは俺の方だ。
ミスティが居なければ、俺は死んでいただろう。
なのに、そんな彼女を俺は……。
「あのね、ますたー。
ミスティね、ずっとね、ますたーとお話したかったの」
「……そうか」
再び自己嫌悪に陥ろうとしていた俺を、ミスティの声が現実へと連れ戻す。
「だから、今日はすっごくうれしかった。
ますたーのお名前をきいて、ますたーのお友達をたすけて……」
「分かった。今日は疲れたろ。
もう、子供は寝る時間だぞ」
俺はミスティの話を中断して寝かしつける事にした。
これ以上語らせると、辛い出来事を思い出してしまうかも知れないからな。
「ねぇ、ますたー。手にぎっててくれる?」
「こうか?」
「うん、ありがと」
差し出された左手を両手で優しく包み込む。
その柔らかくて小さな手は、ほのかに温かみを帯びており、彼女が現実に存在する事を強く認識させる。
俺は彼女が小さな寝息をたてるまで、その手を握り続けた。
◆◆◆◆
ミスティが夢の世界に旅立った頃、ハンス達が畑から帰って来た。
気を失っていたニコも一緒だ。
「ごめんなさい。ボクがしっかりしてれば直ぐに終わったのに」
「そう自分を攻めるな」
「はーい」
「それより、イズミ。話してくれる約束だったよな」
「しーっ!
寝付いたばかりなんだ。
場所を変えよう」
ミスティが目を覚ましていないのを確認して廊下に出た。
そこで俺が符術士になった経緯と、ミスティについて簡単に説明する。
「すごいや! ユーヤお兄ちゃんは符術士だったんだ!」
「にわかには信じられない話だが、あの魔術を目にするとな」
「まだカードバトル……召喚戦闘だっけ?
それをやった事がないから微妙な所だけどな」
だが、俺の祈りに応じて召喚された少女はミスティと名乗り、その見た目は《闇の魔女ミスティ》のカードイラストと一致する。
戦闘時に出した魔法のステッキも、イラスト違いのプロモカードで見た事がある。
「帰ったら、お姉ちゃんに訊いてみたらどうかな?」
「そっか、身近にプロが居たな」
マリアに教えてもらえば、多くのユニットを召喚してのリアルなカードゲームを楽しめる。
こちらの世界に来て以来、夢見ていた事が早くも叶うかも知れない。
何しろ、もう丸三日もカードゲームで対戦していない。
そろそろ禁断症状が出てもおかしくない頃だ。
「それはそうと、ゼップさんが更地になった畑を見て悲鳴をあげてたぞ」
「え?」
「いや、あれイズミがやったんだろ?」
「ほう……あなた様でしたか」
「うわっ!」
いきなり背後から現れたゼップに驚き、思わず悲鳴をあげてしまった。
「被害は甚大ですが、あなた方が居なければ、いずれ野生動物にやられていた事ですじゃ。
わしからは何も言いますまい」
「申し訳ありませんでした」
結構、広範囲を更地にしてしまったような気がするが、意外にも責められなかった。
ミスティの件と言い、この人は懐が広い。
歳を取ったらこんな老人になりたい。
「皆さん、お疲れでしょう。
寝室の用意が出来ましたのでお休み下さいじゃ」
「ありがとー」
「感謝する」
「ありがとうございます」
三者三様の言葉でお礼を述べ、寝室へ向かった。
三人用の寝室が用意されていたが、俺は掛布団だけ借りて、ミスティのベッドの隣で雑魚寝する事にした。
廊下で少し騒いだ為、ミスティが目を覚ましていないか心配したが、彼女は幸せそうな表情をして眠っていた。
「なんだか、妹が出来たみたいだな。
おやすみ、ミスティ」
異世界での初仕事を終えた俺は、小さな相棒の隣で眠りにつくのであった。