第九話 「寮生活」
「ねぇ、ユーヤお兄ちゃんは魔術士?
何処から来たの?」
「ニコ、行儀悪いぞ」
「気にしなくても良いですよ」
「ほら、アリスお姉ちゃんも良いって言ってるよ」
「……仕方ないな」
食事中にも関わらず、ニコが色々と訊いてくる。
口の中のものを紅茶で流し込み、適当に答える事にした。
「俺は魔術は使えないんだ。
ギルドで魔力はあるから魔法道具を使うのが良いって言われたけど、詳しくなくて困ってる」
「そうなんだ。
魔導イタチの毛皮のローブを着てるから、魔術士かと思っちゃった」
「魔導イタチ?」
「尻尾が三つあるイタチで、風を操る危険な野生動物だ」
「その毛皮で作られた衣類は、簡単な攻撃魔術なら無効化する能力があるのよ」
「へぇー」
「呆れた……知らずに着てたの?」
ハンスとマリアから魔導イタチについて説明を受ける。
このローブはこっちに来た時から、何故か学生服の代わりに着ていた物だ。
元々、俺の物じゃないから、そんな良い物とは知らなかった。
「ユーヤお兄ちゃんって外国から来たんでしょ。
どんな国?
ボク、外国って行ったことないから知りたいな」
「日本って言う国なんだけど」
「聞いた事のない国名ですねぇ」
「俺も知らない」
「なんの変哲もない小さな島国ですよ」
マリアがこっちを睨んでいるのが見えたので、適当にはぐらかす。
「「ごちそうさまでした」」
「お粗末さまでした」
「これを粗末だなんてとんでもない!
今から明日の朝食が楽しみですよ」
「お世辞でも嬉しいわ。
明日もまごころ込めて作りますね」
お世辞じゃないんだけどな。
こんな美味い料理が食べられるのに、ここを出て傭兵に志願する奴が居るなんて信じられない。
◆◆◆◆
楽しい夕食の時間の後は、自室に戻ってのんびりする。
特にする事もないので、今朝買ったカードでデッキの調整でもやるか。
幸い、この世界でも符術士ならカードゲームの対戦相手になってくれる可能性があるしな。
手近な所でマリアでも誘ってみよう。
「まず主力となる《霊騎士ガイスト》と、長年愛用してきた《闇の魔女ミスティ》は四枚。
新しいバーストは強いけど、四積みすると普通のバーストが入れられなくなるから、三枚にするか」
カードを弄っていると、今朝の召喚戦闘を思い出す。
ユニットが実体化して戦う様子は、凄く迫力があってワクワクした。
……片方はほとんど犬だったけど。
信じ難いが、シンディの話によると、俺は魔法道具さえあれば宮廷魔術師並の能力を発揮出来るらしい。
なら、俺にもユニットの召喚が出来ないだろうか?
《霊騎士ガイスト》のカードを右手に持って、腕を手前に差し出す。
「えっと、確かこんな台詞だったはず。
黒の契約者、ユーヤ・イズミの名において命ずる。
偉大なる英霊よ、その力を解放せよ。召喚!」
………………。
…………。
……。
何も起こらない。
恥ずかしさで顔が熱くなる。
しばらく立ち尽くし、冷静さを取り戻すと尿意を催してきた。
そう言えば、こっちに来てから一度もトイレに行っていない。
確か廊下の突き当たりにあったはずだ。
カードをテーブルに置き、トイレに直行した。
ノックをして、誰もいない事を確認してからトイレに入る。
幸い、便器の形状は日本のものと大差ない水洗式トイレだった。
ベルトを外し用を足す。
「ふぅ……」
違和感に気付いたのは、一息ついてズボンを上げようとした時だった。
何だこれ?
毛が……黒くない?
純血の日本人であるはずの俺の体毛が黒ではなく、ブロンドになっていた。
慌ててベルトを締めた後、髪の毛を数本抜いてみる。
茶髪……と言うか、金髪に近いな。
一体どうなってんだ?
どこかに鏡はないだろうか?
自分の顔を確認したかったが、トイレの中に鏡はなかった。
軽く手を洗い、鏡を求めて寮内を彷徨う。
やがて、食堂で洗い物をしているアリスを見つけて声をかけた。
「すみません! 寮の中に鏡ってありませんか?」
「鏡なら、バスルームの脱衣所にありますけど」
「ありがとうございます!」
「あ、イズミさん」
アリスが俺の名前を呼んでいるが、無視してバスルームへと廊下を駆け抜ける。
今朝、家を出る前は確かに黒髪だったはずだ。
歯磨きの時に鏡を見たから間違いない。
異世界に来た時に、身体に異変が起こったのかも知れない。
ハァ……ハァ……。
廊下の端から端まで全速力で走った為、息が上がる。
勢い良くバスルームのドアを開ける。
「あっ……」
「えっ……?」
その時、俺の視界に飛び込んで来たモノ。
それは鏡ではなく、下着姿のマリアだった。
腕を背中に回し、上下お揃いの純白のブラを外そうとしている所で、一瞬時間が止まる。
「な、ななな、何、堂々と見てんのよ! この変態!」
顔を紅潮させたマリアが左手で胸を押さえたまま、脱衣籠を投げ付けて来る。
俺は、それを見事に顔面でキャッチして、退散するのであった。
◆◆◆◆
「誠に申し訳ありませんでした!」
そして俺は女性陣二人に責られて、廊下で土下座をさせられている。
昼間の件はマリアにも否があると思うが、今回は完全に俺が悪い。
この世界にもブラジャーが存在した事とか、マリアの胸にブラジャーは必要ないんじゃないか? とか、色々思う所はあるが、火に油を注ぐのは目に見えてるので口には出さない。
ひたすら反省して赦しを乞う。
「入寮初日から、女の子のお風呂を覗く人は初めてです」
「しかも、私の下着姿を見てハァ……ハァ……って言ってたのよ。キモッ」
いや、それは走ったから息を切らしてただけなんですけど……。
土下座しつつ、チラッと上を見上げるとマリアがこちらを睨みつけていた。
間違いなく軽蔑の視線だ。
反論するのは辞めておこう。
ちなみに今のマリアはパジャマ姿だ。
土下座から見上げてもパンツは見えない。
彼女のパジャマには子犬のイラストが散りばめられている。
デッキも犬軸だったし、どんだけ犬好きなんだよ。
「お風呂の時間については、説明しましたよね?」
「はい。伺っております」
「マリアちゃんはかわいいから、イズミさんが欲情する気持ちは分からなくもありません。
ですが、寮内では風紀は守って貰わないと困ります」
ちょっと待て。
誰がこの幼児体系に欲情したって?
全力で否定したい……が、ここで更に立場を悪くする訳にはいけない。
「ちょっと、ちゃん付けはやめてよ」
「あら、ごめんなさいね。マリアさん」
「大体こいつは、昼間も私にセクハラしてきて……」
ヤバい。
マリアが過去語りを始めた。
アリスの好感度が下がっていく。
なんかもう髪の毛の色とかどうでも良くなってきた。
早くこの状況から抜け出したい。
こうして俺の異世界生活一日目は、消灯時間まで土下座させられて、終了したのであった。
◆◆◆◆
『……に力……よ……欲……契約……』
微かに声が聞こえる。
くぐもった声だ。
何を言っているのかよく聞き取れない。
『待…………ぞ……こそ……が求……』
また聞こえた。
音程から男性の声だと思われる。
声のする方向へ向かおうとしたが、筋肉痛で足が動かない。
森の中を長時間移動したのと、冒険者ギルドでの体力測定が祟ったようだ。
移動するのを諦め、両手を暗闇の中に伸ばす。
恐怖は全く感じない。
俺の推測では、これは符術士としての契約イベントだ。
謎の声の主との契約は、マンガやゲームにおける主人公覚醒イベントのテンプレだからな。
何やらフサフサしたものが手に触れる。
これが謎の声の主だろうか?
両手を上に動かすと左右対称に突起物が二つ確認できた。
フサフサした二つの三角形。
まるでネコミミのような……。
そこまで考えた所で視界が明るくなる。
「夢か」
昨日は消灯時間まで土下座させられて、意気消沈したままベッドに突っ伏したんだっけ。
符術士には憧れるが、そう簡単にはなれないと言う話だし、そもそもネコミミの時点で……。
「これは夢じゃなさそうだな」
俺の目の前に真っ白なネコミミがあった。
正確に言えば、ネコミミのついたフードを被った少年がスヤスヤと眠っている。
「って、いつの間に俺のベッドに忍びこんだ!?」
「ん……おはよ……あれ? お兄ちゃんじゃない?」
ネコミミ付きローブを着た少年、ニコが俺のベッドで添い寝をしていた。
上半身だけ起こして見つめ合う俺とニコ。
「ここ……どこ?」
「ここは103号室。俺の部屋だ」
「ボク、どうしてここに居るの?」
「それはこっちが聞きたい」
どうやらニコも状況が飲み込めていないようだ。
お互いに何が起こっているのか分からない為、話が進まない。
しばしの沈黙の後、バタン! と大きな音をたて、俺の部屋のドアが開かれる。
「ここに居たのか。
お前、ニコに何をした!?」
「いや、何もしてねーよ」
「本当だな?」
ドアを開けた少年、ハンスが腰の剣に片手を伸ばしつつ、俺を問い詰めてくる。
シングルベッドに二人向き合う青年と少年。
知らない者が見たら愛し合ってるように……見える訳ないだろ!
そもそも、俺にショタの趣味はない。
「もし、ニコに変な事をしてたら、その時は……」
ハンスがゆっくりと右手を引く。
腰に着けられた鞘から鈍く光る金属がちらりと見えた。
「お兄ちゃん、落ち着いて」
「ニコは黙ってろ。
理由はこいつから……ウッ」
剣が完全に引き抜かれるかと思われた時、ハンスは膝から前のめりに突っ伏した。
「寮内での武器の使用は禁止ですよ」
彼の背後にはにこやかに微笑むメイドが立っていた。
「皆さん、そろそろ朝食のお時間ですから、食堂に集まって下さいね」
「はーい」
「……はい」
素手でハンスを気絶させたように見えたが……。
いや、そもそもハンスが倒れるまでアリスの存在に気が付かなかった。
触れてはいけない部分を垣間見た気がする。