怖がり令嬢は不感症王子の溺愛から逃れられない
王城にある、王太子という地位に相応しい豪奢な自室。
どの家具も選び抜かれたもので、それだけで所有欲を満たすようなものばかりだ。
金色の髪に透き通るような青い瞳。見るものすべてを虜にしたという母に生き写し、いやそれ以上だと誰もが魅了される姿。
賢王だと言われた祖父から受け継いだ才覚を持ち、第三王子でありながら王太子に抜擢された輝かしい経歴。
しかし、そのすべてがエラルドにとって何の価値もなかった。
エラルドは、持っていた手紙をゆっくりと開くと、何度も読み返した文字を指でそっとなぞった。
「ネラリア……本当に、また君に会える」
こぼれた言葉は、甘く響く。
鏡台の上にある魔道具の箱を開ける。そこには部屋に不釣り合いな小さな薄汚れた熊のぬいぐるみが入っていた。
エラルドはそのぬいぐるみを、大事に手にし、微笑んだ。
これだけが、この王城でエラルドにとって価値のあるものだった。
*****
「王都って話には聞いていたけれど、本当に怖いところだったのね。こんなすべての場所に悪霊が居るなんて、思わなかったわ……」
ギリアラード王都、その華やかな王城の一室で、私は震える手で悪霊を祓う魔法陣を織り込んだ祈符を握りしめた。
王都に来てからというもの、視える悪霊の数に圧倒されっぱなしだった。
スタラートは田舎だけあって、悪意が少なかったんだ……。
生前悪意をたくさん残したものだけが、悪霊に変わる。だから、これだけの数の憎しみが生まれ、そのまま死んでいったという事だ。
こんなにたくさんの悪霊を視るのも初めてだし、悪霊から発せられる悪意を感じくらくらとする。
王都なんて、子供の時におじい様が叙勲される時に来た以来だ。
その時も確かに悪霊は居た気がするけれど、小さかった私は初めてのお友達ができて楽しかった記憶が圧倒的であんまり覚えていない。
まさかこんな所だったとは。
帰りたい。
「ふふっ。帰りたいのかな? 感情がすっかり顔に出ているよ」
おかしそうな笑い声に顔をあげると、いつの間にかエラルド殿下がすぐ近くに立っていた。
「エラルド殿下」
エラルド殿下は、今回の私の依頼主だ。
正確には陛下からおじい様にお声がかかったのだけれど、おじい様はなぜか私に行くように伝えてきた。
王族の依頼は緊張感もあるし、更に一人での仕事は不安だったので断ろうと思った。しかし、おじいさまの優しい笑みと信頼に背中を押され、田舎であるスタラートを出たことのなかった私は少しだけきらびやかな王都に憧れて、単身祓い師として王城を訪れた。
……たぶん、騙されてた。
「ネラリア。私が一緒に居るだろう? 安心していいよ大丈夫だ」
「大丈夫じゃありません……。私は王命で呼ばれたとはいえ、私は辺境の祓い師です。刺激が強すぎるんです」
「陛下が認めた祓い師だろう?」
「……それはおじい様です」
エラルド殿下は高い背をかがめて私の顔を覗き込むようにして、甘い声で囁く。
こんな田舎者の私に、エラルド殿下はとても優しい。
王城を案内してくれたり、食事に誘って緊張を解いたりしてくれた。
雲の上の人間である王太子であるエラルド殿下は、とても気安くまるで昔からの知り合いのように私を扱ってくれる。
でも。
「駄目です」
「なにが駄目なのかな?」
不思議そうに首をかしげるエラルド殿下だが、問題は別にある。
「都会も怖いですが、エラルド殿下が一番怖いです! あなたがこの国で一番悪霊に憑かれてます!!!」
肩に置かれた手を払い、思わず私は叫んだ。
そう。
私への依頼はエラルド殿下に大量に憑いている悪霊を祓う事だった。
視たこともない量の霊を後ろに引き連れ、エラルド殿下は何でもないように過ごしている。
エラルド殿下が近づくという事は、悪霊がそのまま近づくという事だ……。
私はエラルド殿下から距離を取った。
「えー」
不満そうな声で、でもどこか楽しそうにエラルド殿下は声をあげた。
エラルド殿下は第三王子であり、絵師がこぞって描きたがるほどの美形であるらしい。
甘い声に美しい笑顔。優雅な所作は誰でも恋に落ちてしまうと噂されている。
姿絵を見れば、その噂も本当かもしれないと思う。
しかし、私にはその姿は霊に覆われてもやもやと霞んで見える。特に顔はほぼ見えない。
無駄に整っているらしい顔で微笑まれても、もやもやが多すぎて恋に落ちる所ではない。
はっきり言って、怖い。
「私にはさっぱりわからないけどなあ」
「どうしてそんななんにも感じないんですか? 後ろにずらっといますよ……私も祈符がなければ倒れそうです。それに特に強い悪霊が一体いて、エラルド殿下の顔がほぼ見えないです」
……視えて祓えるから祓い師なんだけど、視えるのはやっぱり怖すぎる。
悪霊って結局お化けだ。
怖いに決まっている。
「君に私の顔がはっきり見えていないのは残念だ」
「それは問題ありません。問題は多すぎる悪霊です」
「君は祓い師なんだし、私には無害なんだから、別にいくら憑かれたって関係ないだろう?」
「殿下にはなくても私にはあります! それに悪霊は無害じゃありません」
「なら、ネラリアが祓ってくれれば問題は解決だね。君の事を怖がらせるのは当然本意じゃないから、私も君の為に努力するよ」
「甘い声で言ったって駄目です! 不感症王子!」
「そんな悪口を言うのはネラリアだけだな」
エラルド殿下は私の言葉に、ただ嬉しそうに微笑んだ。
多分、エラルド殿下は田舎者が珍しいのだろう。
相手は王子様だし依頼主だから、と何とか不敬にならないようにしたいと思っているのに、からかわれると素が出てしまう。
ううう、不感症王子はふざけているタイプの人間だ……。
でも、こんなに憑いているのに、エラルド殿下が何も感じないのは本当にすごい。
通常悪霊がここまで近くに来たら何かしらの影響がでる。
この量いれば、精神に異常が出て自分を失ってもおかしくないはずだ。
「皆、気味悪がっていますよ。エラルド殿下と親しくなる女性が、全員幽霊を視るようになるって」
「誰がそんな噂を? それを言わせないだけの権力が私にはある」
「それに、呪われ王子って呼ばれてますよ」
「強そうじゃないか」
「引く手あまたな好条件でしかない殿下に、一向に女性が寄ってきていません」
そうなのだ。
本人に影響がなくても、この量の悪霊が居て何の問題も起きないはずがない。
その証拠に地位も能力も見た目も所作も、何もかもが完璧なエラルド殿下が、成人を迎えてまだ婚約者が決まっていない。
どう考えても、異常事態だ。
こんな優良物件を逃してなるものか、幽霊ぐらい大丈夫だと言っていた女性が、王子が親しくなった最後の女性らしい。
彼女は部屋に引きこもり、社交界からは離れたいと言っている。エラルド殿下とはもう会いたくない、と。
今では、誰もエラルド殿下の婚約者に名乗りをあげようとしなくなってしまった。
これは由々しき事態だと、王都から遠く離れたスタラートに王命で祓い師が呼ばれたのだ。
それに白羽の矢が立ったのが、私だ。
「それの何が問題なんだ?」
「あなたはこの国の王太子なんですよ……! 大問題です」
「王子とはいえ第三だし、このままであれば王太子の座は譲ってどこかの領土は継ぐことになるとは思うけれど、それだけだ」
「私みたいな片田舎に住んでいる人間にすら、エラルド殿下が優れた人だという事は伝わってきているんですよ。駄目です」
「……このままにしておけば、唯一近づける君と、結婚するしかない。もちろん私はそれでもかまわない。結果は同じだからね」
エラルド殿下はまっすぐに私を見て、微笑んだ。
霞んで見えるだけ良かったかもしれない。
認めたくないけれど、くっきりはっきり見えたら、別の意味でドキドキしてしまうに違いないから。
私にはよく見えないから大丈夫だけど。
「……精一杯、祓います!」
エラルド殿下は、何故か私みたいな祓い師にも甘い言葉をささやいてくる。でも、祓い師として育てられた私はドレスも着たことがないし、貴族のような美しい所作もない。
王子の前に出るという事で化粧や髪は綺麗にしてもらったけれど、祓い師の衣装をまとった私は男か女か区別すらつかないに違いない。
それだけ王子は女性に飢えているのかもしれない。
きっとそうだ。
だから私みたいな女にも、優しい眼差しを向けてくるのだ。
……こんな状況は、凄く可哀想だ。選ぶ権利があるどころの人じゃないのに。
婚約者さえできれば、王になるのに何の問題もない人間なのだ。
私は彼に婚約者ができるように来た、祓い師だ。
どんなに会話が楽しく、何故か彼に親しみを感じてしまっていても。
……間違えては、いけない。
*****
今日は悪霊を祓う日だ。
祓うには危険が伴う為、対象者とふたりで行うのが望ましい。けれど、相手はエラルド殿下だ。そういうわけにはいかないらしい。
私は今日は祓い師の正装を着て、銀色の髪をおろしている。少しでも悪霊と通じやすくなるために肌の露出は多く、宝石を身に着けている。
この衣装が不敬にならないといいけれど。
緊張する私は、護衛に先導され広間に通された。
王宮の中でも特に豪奢な部屋で、壁には美しいタペストリーがかけられ、周囲には豪華な調度品が並んでいる。
そして、周囲には貴族たちが並んでいた。こんなに人がいるとは思えないぐらい、静かだ。
その場の豪華さとは裏腹に、冷たい空気が漂っている。
「こちらです。エラルド殿下がお待ちです」
護衛の言葉に促され、部屋の奥に目を向ける。
そこには、王の隣に座る、エラルド殿下の姿があった。
彼の顔色は悪く、どこか物憂げな様子だ。
こんな日だ、かれもきっと緊張しているのだろう。
「ネラリア……来てくれてありがとう。今日も一層素敵だね。でも露出が多いんじゃないかな」
私に気づいたエラルド殿下は、優しい笑顔を浮かべた後に、からかう言葉を口にした。
けれど、その笑顔の奥に悲しみのようなものが見えて心配になる。
「これは祓い師の正装なんですよ。普段からこれというわけにはいきませんが、悪霊と通じやすくなるのです。今日はエラルド殿下を祓う日なので、正装となっています」
すぐ近くに王が居るので、言葉遣いも気を付ける。いかにエラルド殿下が気安く話してくれていたかにも気が付いた。
いつものように軽口をたたかないようにしないと。
エラルド殿下はさっきみたいにからかってきそうで、危ない。
「本当にこの衣装じゃなきゃ駄目なの?」
エラルド殿下が、いつもの口調でこそりと囁いてくる。
「はい。成功を、確実なものにするために」
「こんな姿を、皆に見せるのは本当に不愉快だ」
急に真剣な顔になったエラルド殿下は、じっと私の姿を見た後に、するりと頬を撫でた。
途端、私の頬はかあっと熱くなる。
い、ま、何を……。
そう考えたと同時に、今度はぞわりとした悪寒が背中をめぐった。
これは、普通の令嬢が受けたら怖がるのは当然だ。
エラルド殿下は、ずっとこうやって好意的な行動をするたびに、女性に逃げられてきたのだ。
私はすうっと冷静になる。
「ありがとうございます。あなたの為に、頑張ります」
「……手が、震えてる」
「ええ、実はちょっと怖いんです。でも安心してください。絶対に、祓ってみせますから」
気がつかれてしまった。
悪霊は怖い。でも、この人の優しさを、無にするような悪霊は祓う。
こんな気遣いをして、心から心配だと伝えてくれるエラルド殿下の隣に、誰もいないなんておかしい。
エラルド殿下は困ったように頷くと、視線を窓際にむけた。
「……実は、祓う前に見てもらいたいものがある」
軽い口調でエラルド殿下が言うと、その場に緊張感が走ったのがわかった。
なんだろう。
できるだけ平静を装いながらも、その場の空気に驚きを隠せなかった。
エラルド殿下は窓際の小さなテーブルに歩み寄り、その上に置かれた小箱を手に取った。その仕草は慎重で、どこか神経質な様子さえ感じられる。
箱の中には何かが入っているらしく、エラルド殿下はそれを開けて見せようとはしない。
「この中に……ずっと私が大切にしているものがあるんだ。だけど、最近になってこれを手にすると、何か……不穏な気配を感じるようになってしまって」
エラルド殿下は憂えた様子で、そっと箱を撫でる。
その瞬間後ろの悪霊がぞわりと蠢いたのを感じぞっとする。
……悪霊が、喜んでいる?
「その箱の中には、何が入っているんですか?」
聞きたくないけれど、聞かないわけにはいかない。
私の問いに、エラルド殿下は少し躊躇した後、箱を慎重に開けた。
中から現れたのは、精巧に作られた小さな人形だった。
金の髪に華やかなドレスをまとったその人形は、一見して普通のものに見える。
しかし、一目でそれがただの人形ではないことが感じ取れた。エラルド殿下の後ろに居る悪霊のドレスと似ている。
「この人形は、エラルド殿下のものなんですか?」
「うん、母が亡くなる前に私にくれたものだ。ずっと大事にしていたんだけど……最近、これを手にすると、まるで何かに囁かれているような感覚がするんだ」
エラルド殿下の言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。思わず後ずさりした。
「……この人形、言いにくいのですが悪霊の元凶な気が、します」
私の言葉に、エラルド殿下は頷き苦笑を浮かべた。
ここに持ってきている段階で、気が付いていたのだろう。
エラルド殿下の隣の王は、諦めたようにため息をついた後、私をじっと見つめた。
「やはり、君にはわかるんだね。この人形が、私の息子の邪魔をしているのか……」
「……残念です」
何が残念なのか、誰も言葉にはしなかった。
エラルド殿下の母が、悪霊の正体だ。
周りに居る弱い悪霊たちは、彼女に引き寄せられているのだろう。
きっと、生前から人を引き付ける力があったんだ。
エラルド殿下は私の前に人形をもって、歩いてきた。そのまま、私はその人形を受け取った。
ぐっと圧がかかる。でも、私は祓い師だ。
これぐらいの圧に、負けるわけにはいかない。
「……大丈夫? 君も、他の令嬢と同じように何も感じないわけじゃないんだろう? 怖がりなのに」
「いえ、大丈夫です。……ただ、祓うとこの人形も壊れてしまうかもしれません。思い出のものなのに……ごめんなさい」
「いいんだ。私には、もっと大事にしているもの……ぬいぐるみがあるんだ。それに、君が祓ってくれるならすべて問題ない、君を信じている」
その言葉はとても真剣で、エラルド殿下が本当にそう思っていることが伝わってきた。
「どうしてなんですか? 初めて会ったのに」
「本当に、そう思う?」
からかうような口調で、それでもその目の奥は真剣で。
ぎゅっと握られた手には、緊張を感じる。
……確かに、見覚えがあった。
私は、正直に白状することにした。
「……もしかして、とは思ってました」
最初は怖くてよく見えなかったけれど、彼の後ろに居る強い悪霊にはなんとなく見覚えがあった。
これだけ強い女性の悪霊はまれだ。
女性の悪霊は相手に執着しているために、基本その人から離れることもない。
おじいさまが叙勲したあの日。楽しい思い出をくれた彼は、エラルド殿下だったのだ。
私の告白に、エラルド殿下は嬉しそうに笑った。
「良かった! もう、覚えていないんだと思っていた!」
「……でも、あなたが王族だなんて思いもしなかったです」
「私も、君が誰だかわからなかった。……でも、あの時君に会えたのは、本当に良かった」
「いえ、今こんな事になっているなんて、本当にすいませんでした。私がもっと強い祓い師だったら良かったです。それかあの時、おじいさまに頼んであげればよかった。あの時はそんな事、思いつきもしなかった」
幼くて、私があげた祈符で彼を護れると思っていた。
「いや、大丈夫。……実を言うと、君と会いたかったんだ。あの日から、ずっと」
「え……?」
なんだかエラルド殿下の言葉が甘く響いて、こんな時なのに頬が熱くなり恥ずかしくなる。
王もいるというのに、集中しなければ。
ぎゅっと目をつむって冷静さを取り戻そうとしている私に、ふっと笑い声が聞こえた。
目を開ければ、エラルド殿下が目を細めて私を見ていた。
「いや、それは後でだな。……今は、母上を、頼む」
「お任せください」
そうだ。
まずはエラルド殿下を、エラルド殿下のお母さまを楽にしてあげなくては。
祓い師として。
祓い師の魔法は普通のものと違う。
祓い師独特の魔法陣に、清めた符を使う。
私は祈る気持ちで魔法陣を描き、まっすぐに悪霊を見つめる。
彼女がエラルド殿下のお母さま。
生前は美しかったのだろう。だが、血まみれで、色の失われた目でこちらをじっと見ている。
ただただ憎しみのこもった魔力が、こちらに突き刺さってくる。
今は、正気を失っているように思える。
通常で祓ってしまえば、彼女はすぐにでも塵になってしまう。
それでは、あまりにも酷い。
息子が好きで、心配で。
それで、きっとこんな風になってしまった。
私も、エラルド殿下が心配です。好きなんです。
同じ気持ちです。
「このまま祓う事にはなりますが……次につなげることはできます。次はきっと、きっと、もっと好きな人を見守れるように……」
魔法陣に、魔力を込めた酒をかける。
魔法陣は、明るい黄色にひかり、辺りをぼんやりとした温かいもので包んでいく。
エラルド殿下のお母さまにも、その光は届く。
浄化の光は彼女を苦しめ始めた。周りの弱い悪霊は次々と消え去っていく。
私はじっとそれを見つめて、彼女の力が弱った瞬間に近寄り、魔力を込めて祈符を貼りつけた。
そのまま祈符に魔力を流すと、彼女は苦しそうに手を伸ばした。
エラルド殿下に向かって。
私は目を離さずに、札に魔力を流し続ける。
悪霊の魔力が逆流してきそうになるのを、必死で押し戻す。
これが終わったら、楽になるから……受け入れてください。
札はじわじわと溶け、エラルド殿下のお母さまも一緒に溶けていく。
ゆっくりと、ゆっくりと、輪郭が失われていく。
……そのまま、エラルド殿下のお母さまは、輪廻の輪に消えていった。
「……次は、きっと大丈夫です」
祈りは届いただろうか。
エラルド殿下と、きっとエラルド殿下のお母さまのことが好きだった王の祈りも。
「これは……見事だ」
「ネラリアは天才と呼ばれていたギリア殿の孫ですから。ギリア殿は自分を超える能力があるだろうと言っていました」
「まさか、これほどまでとはな」
「ええ。本当に優しい、素晴らしい心のこもった祓い師です。……彼女は聖女ですよ」
「そのようだ。……エラルド、本当に良かった……。妃については本当に、悪かった」
「大丈夫です。それよりも……」
エラルド殿下と王が、祓われたのを感じたのかほっとした雰囲気で話している。
あっという間にも思える短い時間だったけれど、魔力は驚くほど消費した。
頭がぼんやりとして、目がちかちかとしているが、エラルド殿下にお母さまの事を伝えなくては。
私はぐっとお腹に力を入れ、二人を見つめた。
「終わりです。……お母さまは輪廻の輪に入れました。浄化はできませんでしたが、塵にもなりませんでした。……あ」
エラルド殿下に説明している間に、魔力不足でぐらりと視界が揺れた。
「ネラリア! 大丈夫か」
大丈夫です、と答えようとした言葉は声にはならなかった。
そのまま力が入らなくなり立っていられなくなった私は、ふわりと大きい身体に抱きとめられる。
「お疲れ様、ゆっくりとお休み、ネラリア」
優しい言葉と体温に安心を覚え……そして、そのまま視界は暗くなっていく。
「これで良かったのか、エラルド」
「ええ、もちろん。完璧でした父上。この恩は、今後の活躍で返すこと誓いましょう」
「……ああ、期待している」
陛下とエラルド殿下の言葉が聞こえた気がしたが、それもすべて暗闇に飲み込まれていった。
「とんだ、茶番だったな……あれに執着するなど、馬鹿な妃よ」
*****
起きたら聖女になっていた。
ちょっと何を言っているかわからないと思うが、私もだ。
「……どうしてそんなことになってしまったんでしょうか。私は祓い師で、お母さまを祓わせていただきました。聖女じゃありません」
目が覚めた時。
ベッドに横たわる私を、にこにことエラルド殿下が見つめていた。
そして祓いが終わった後、私は聖女として扱われることになったと伝えてきた。
全く意味が分からない。
「実際、聖女みたいなものだろう? 私の母上を輪廻の輪に戻してくれたんだ。悪霊になったものは塵になるしかないと聞いていたのに」
「……それは、おじいさまの教えのおかげです」
「ああ、ギリア殿にも感謝している。……とてもね。本当にありがとう」
目をつむって、心からお礼を告げてくれているようなエラルド殿下を見て、私も嬉しくなった。私の技術が役に立てて、嬉しい。
「でも、聖女にされるのとは、まったく違う気がするのですが……」
「母上が悪霊になってしまったというのは、あの場に居た貴族全員が知っている。母上を救ってくれた君を聖女とするのは、自然なことだ」
「祓い師じゃ駄目なんですか?」
「王都の人間は祓い師については理解がないが、逆に聖女だと言えば問題ない」
自信満々の顔で言うエラルド殿下の言葉が理解できない。
何が問題ないというのか。
私は聖女じゃない。
職業に貴賤はないというが、聖女は最上位の職業だという事ぐらいは私でも知っている。
「私は祓い師で、聖女なんて凄い人じゃないのは、エラルド殿下が一番ご存じですよね!?」
「当然、君の聖女ともいえる程に素敵なことは一番ご存じだよ」
「ありがとうございます?」
なんだか全くかみ合わない。
エラルド殿下もそう思ったようで、困ったように眉を下げた。
そして、ゆっくりと、その場で跪いた。
「えっ、何をしているんですか!」
そのままエラルド殿下は私の手を取り、ゆっくりと唇を落とす。
ふわふわとした感触が、夢のようで、さらに混乱が進む。
一体どうしたことかとエラルド殿下をみると、彼は本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
「ネラリア。……君が好きなんだ。聖女になって、私と結婚してほしいんだ」
「えっ……け、結婚……!?」
もやもやがなくなって、エラルド殿下の顔がまっすぐに見れてしまう。
その顔は甘く熱がこもっていて、これが本当の気持ちだという事を私にしっかりと伝えてくる。
「ああ、そうだ。私は問題がなくなったから、結婚もできるしきっとこのまま王にもなる。お買い得だと思うのだけど」
「お買い得どころじゃありません! ……ただの祓い師の私が、エラルド殿下と結婚するのは無理です」
悪霊が居なくなったエラルド殿下。つまり、もう女性は近づけるということだ。
……その中で私がエラルド殿下と結婚するなんてことは無理だ。
祓う前からわかっていた。
悪霊につかれたままであれば、この選択肢が通ったかもしれない。
それでも、祓わないなんて選択肢は選べなかった。
「そのお言葉は、本当に嬉しいです……。それだけで、私は本当に幸せです」
私は、彼の手を握る。
ごつごつとした手は、あのころと違って大きくて、温かい。
このぬくもりを、忘れないよう、ゆっくりと確かめるように指をなでる。
「そんな事をされると、何かが我慢できなくなるのだが」
何故か赤くなって目をそらされるが、でも、これを逃したらもう私に彼に触れるようなことはできない。
ひと時だけ、見逃してほしい。
エラルド殿下はぎゅっと目をつむり、その後私の手をそっと外した。
ぬくもりがなくなり、私は苦しくなりそうになりながらも微笑む。
「ありがとうございました、エラルド殿下」
「立場なら、関係ない。聖女の君となら結婚できる。この国は案外信心深いんだ。その為に、あの場にたくさんの人間を呼んだ。君が聖女にふさわしいことを見せつける為に」
「えっ」
「君が私のものになるなら、何でもいい。聖女に祭り上げるぐらい造作もない話だ。だから、私のものになってくれネラリア」
名前を呼ばれ、そう甘く囁かれてしまえば、どうしていいかわからなくなる。
「は……祓い師が村から減ってしまうのは、おじい様が許さないんじゃないかと」
「当然、問題ない。そんな手を打たずに私が君にプロポーズすると思っているのか?」
私の精一杯の反撃は、あっという間に流された。
おじいさまが、許可を?
それっていったい、いつからそんな話になっていたの?
ぐるぐると色々な疑問が頭の中を回り、エラルド殿下のいたずらそうな微笑みを見て、私はつい叫んでいた。
「……不感症腹黒王子!」
「不感症じゃないところは、これから存分に見せてあげるよ」
私の心からの叫びに、くすりと笑ってエラルド殿下は私の肩をなでた。
「!!! そういう意味じゃありません!」
私ははっきり見えるようになったエラルド殿下に、すっかりドキドキとしてしまうのだった。
……こんなやりとりを嬉しいと感じてしまう私は、祓い師としてエラルド殿下をずっと一生護ろうと思った。
たとえ聖女と呼ばれたとしても。
*****
ついに彼女を手に入れた。
自分でも驚く程浮かれた気持ちで、彼女の髪を撫でる。
ふわりとした手触り。
あの時、触りたかったものが、今自分の中にある。
それが、こんなにも幸福なものだとは思わなかった。
いや、自分の中に幸福という感情があるということを、そもそも知らなかった。
こういう気持ちになるものなのか。
知らず微笑みながら、私は彼女と初めて会った日のことを思い出していた。
「あなた、悪霊がついているわ。私、悪霊が見えるの。おばけみたいなもので、悪意があって影響力を持つものを、悪霊っていうの」
「……君は?」
叙勲式に参加後、私は一人裏庭に来ていた。
この時間は警備の人間以外誰も居ない。
特に問題もなく王子としての役割を果たした私は、ひとりになりたくなった。
悪意も欲望も羨望も熱狂も、向けられ慣れているとはいえ人数が多すぎた。
まだすべてをやり過ごすには経験が足りなかった。
そこで出会った、不思議な衣装をまとった年下と思われる少女。
赤い頬に緊張した面持ちをして、私をまっすぐに見つめた。
「私、祓い師なの。まだ見習いだけど、悪霊を祓うお仕事なのよ」
「僕にはそんなもの見えないよ。ねえ君、震えてるけれど、大丈夫なのか?」
「……大丈夫。私、視えるのは怖いけど……でも大丈夫。悪霊が付いているなんて、驚いたでしょう? 視えなくても、あなたの方がきっとこわいだろうから、私は大丈夫なの」
残念ながら私は全く怖くなかったけれど、彼女が気丈にそういうので頷いておく。
「今、祈符をつくるから待ってて。……こんなつよいものが憑いている人が、居るだなんて思わなかった……」
ぼろぼろと涙を流し、手を震わせながら、彼女は見たことのない魔法陣を展開した。
王になる為の教育として高度な魔法も習っていたが、それらとは全く違う形。
青く光り見たこともない記号が並ぶ魔法陣は、綺麗な空気をまとっているように感じる。彼女はごしごしと自分の涙をぬぐい、その涙をぬいぐるみにつける。
そのまま彼女は、自分が手に持っていた小さなぬいぐるみにその魔法陣を定着させたようだった。
震える手で、彼女は私の手にぬいぐるみを載せた。
「これは……?」
「これは祈符替わり。あなたに憑いている悪霊はつよすぎて今の私じゃ祓えないの。でも、少し影響をなくすことなら、私にもできると思う。怖いと思うけど、大丈夫だよ。心配しなくて、いいんだからね」
よっぽど自分の方が怖がりながらも、祈符を持つ私の手を温かな手で包んだ。
「悪霊がつくと、どうなるんだ?」
「あなたについている悪霊は一つだけじゃないけど、その中でもあなたの事が凄く好きな悪霊がいるみたい。……あなたの事を好きな女の子を、嫌ってる。でも、祈符を身につけていればあなたに憑いている子は、悪さをできなくなる。これをどこでもいいから身に着けて」
わたしの事を見るのも怖いのか、下ばかり見ている。
綺麗な銀色の髪の毛が、ふわりと揺れている。そっと髪をとり、こっそりと口づける。
彼女は気が付いた素振りもない。
自分の行動に驚きつつも、私はそ知らぬふりをして彼女を心配する言葉をかける。
「君は大丈夫なのか?」
「わ、私は祓い師だから……。視えてもとりつかれたりなんてしない」
「影響はないのか?」
「うん、私は近づいても大丈夫だよ。私には何も起こらないから、安心してね。それに、これを持っていればきっと大丈夫。怖くないからね。」
ぎゅうぎゅうと握る手は必死に私に安心を伝えようとしていて、愛おしい気持ちになる。
「君は、祈符がなくても大丈夫なんだな……」
「祓い師だからね! いつか大きくなったら祓ってあげる」
涙交じりでにこりと笑った顔は、本当に可愛かった。
ずっと見ていたいと思った。
でも、今はその時期じゃないともわかった。
「ありがとう。期待してる。……君は初めてできた女性の友達だね。一緒に遊んでくれるかな」
私の誘いに、彼女は飛び上がるように喜んで手を差し出した。
「もちろん、いいよ! 同い年位の子が居なくて寂しかったんだ。あっちに面白そうな場所があったから一緒にいこう!」
彼女の手を握る。お互いの名前も名乗らずに、私達は友達になった。
驚くほど楽しい時間だった。
私は部屋に帰って、彼女が作ってくれたぬいぐるみの祈符をゆっくりと観察した。
手作り感のある人形は、こんな所にまで連れてきていたから彼女の大事なものに違いない。もしかしたら、手作りなのかもしれない。
「彼女以外寄ってこないだなんて、驚くほどに親切な悪霊じゃないか」
私は人形を見つめながら独りごちた。自然と口角があがる。
小さいころから何でもできた。誰もが自分を褒め称えた。
周りは皆、出来が悪く見えた。
期待されそれにすべてこたえてきた自分は、欲しいものは何でも手に入った。
だから、何も欲しいとは思わなかった。
きっとこのまま、王になって、結婚して子供を持って、その子供に後を継がさせる。
父が歩んだものと同じ、人生の先が既に見えていた。
……欲しいものができるなんて。
「彼女を手に入れるまで、しっかり憑いて煩わしい誘いを遠ざけてくれ、母上」
ぬいぐるみから手を離すと、多数の人影が現れた。
私はその中でも特に力の強い女に笑いかけた。
血みどろで、ただ邪魔だとしか思えなかった彼女に、初めて感謝した。




