処女を失い、婚約も破棄されました
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どうぞよろしくお願いいたします。
――『純潔』
それは、穢れなく清らかなこと。つまり、私欲・邪念がない心の持ち主である。
それからもう一つ。結婚するまで性関係を持たないことである。
これは、古くから社会規範や宗教的教義の中で重んじられてきたことではあるが、ここクラスルム王国では後者において貴族女性には絶対的要求事項となっている。
何故なら、生まれてくる子が万が一にも他人の子であってはならないからで、決してそのような事がない証明でもある。
庶民の間ではそこまで厳格ではないが、身分が高い者や権力を持つ者の根底にあるものは、家系と血筋を重んじる概念のためである。
それゆえ、庶民は陰で身分の高い者女性を妖精様などと呼んでいるという噂もあるようだ。
実際、身分の高い者ほど優れた魔法が使え、魔法は妖精の賜物とも伝えられているので、あながち根拠のない呼び方でもないようだ。
さらに魔力は子供に引き継がれる。
つまり、優れた魔力を持つ者同士の夫妻から生まれた子供は優れた魔力があり、強大な魔法が使える。
いわゆるサラブレッドの交配理論が成立しているので、人間はこぞって高みを目指しているのである。
ただ、男性の魔力はまず女性の体内に宿り、いずれ生まれてくる子に引き継がれる。
そのため貴族女性は、婚約時に男性の魔力が宿っていない事、つまり処女を相手に証明しなければならい。その後結婚し、夫の魔力を宿されるのである。
――遥か昔、人間の魔力は皆同じであったが、優れた者同士の交配によって魔力が集約され、今の魔力階級社会が出来上がったと言い伝えられている。
☆――…‥・☆――…‥・☆――…‥・
「――という事は知っていますわね? シーク」
「はい。お母様」
来客の一行が屋敷を出た後、シークが客間に呼ばれ、母親のメーシー・トゥバーンにあらためてクラスルム王国の道徳概念を聞かされていた。
改めてそのような話をする母を、シークは不思議に思って首を傾げた。
母の左隣に座っている父、ハイゼン・トゥバーンが、表情を変えずに母に変わって話の続きをする。
「シーク、喜びなさい。お前と王国の第三王子ハインツ様との縁談がまとまったぞ。一ヶ月後、婚約の儀を行う事になったので準備をしておきなさい」
「え? 私が王子と婚約ですか!?」
「そうだ。これで我がトゥバーン家も安泰というものだ」
「そうよ。光栄な事ですよ」
トゥバーン家は貴族の中でも外務大臣の秘書官的な役職で、外交官を務めている。地位的には上の下辺りの立ち位置である。
シークの両親にとってはこの上ない縁談で不満などなかった。
「シーク、何か問題でもあるのか?」
「いえ、ありがたいのですが、ソージー姉様を差し置いて……」
シークが母の右隣にいる姉のソージー・トゥバーンをチラッと見る。
ソージーは、表情一つ変えずに黙って聞いている。
「二人の魔力は同じだ。だがソージーは攻撃魔法、シークは治癒魔法が優れている。王子がお選びになったのは治癒魔法だ」
攻撃魔法を得意とする王国騎士団トップレベルの第三王子と治癒魔法に優れたシークに生まれる子は、攻撃と治癒の両刀使いになる可能性がある。
父の言葉に政略結婚の算段を感じたシークは、それ以上細かく聞こうとはしなかった。
少なくとも貴族社会の結婚とは、自分のためではなく家のためである。そして、自分がその渦中にいることを改めて認識させられたのであった。
「ねぇ、シーク、隣のセキの町で魔獣に襲われた人達の治療に行くことになっていたわよね?」
「はい。来週からなのですが……」
セキの町は日が暮れてから夜明けまでの間、森に魔獣が姿を現すようになっていた。
最近は町の手前までやってくるようになり、襲われる者が後を絶たなかった。
もちろん王国騎士団も魔獣駆除にあたっているのだが、手を焼いている状態で、治癒魔法が優秀なシークも救護隊のメンバーに指名されていた。
「明日から行ってきなさいよ。婚約したら自由に外に出る事も難しくなるのよ。今のうちにトゥバーン家の娘として出来る事はやっておくべきだわ」
「そう……ですね」
シークは姉のソージーの提案に不安そうに返事をした。
☆ ☆
地上では歩兵と騎馬隊が、上空ではペガサスを駆る飛馬隊が、その身ほどある大きな翼を持った悪魔と戦っている。
悪魔の数、およそ三百。
対するクラスルム王国軍は精鋭が地上三百、上空二百。数では圧倒しているが、悪魔の力は強大で二人がかり、いや三人がかりでやっと倒せる相手である。
その中に蝙蝠のような羽を持つ小柄な女性のような悪魔がいる。
上空から戦場全体を見渡せる位置から、まるでタクトを振る指揮者のように他の悪魔達の動きをコントロールしている。
その悪魔の前に、ペガサスに乗った一人の魔道戦士が舞い上がるように現れた。
「お前がこの悪魔軍団の長か」
「いかにも。夢魔、サキュバスのイストル」
「悪魔軍は、指揮官を倒されれば統率を失い、その威力も半減する。その首もらい受けるぞ!」
「その強大な魔法の力、クラスルム王国のハインツ王子ね。ここでお前の首を取れば、クラスルム王国も落ちたも同然……」
ハインツがイストルの話を無視して炎の剣を抜くと、炎が剣の軌跡を描いてイストルを一刀両断に切り裂いた。
ドシャッ!!
イストルが地面に墜落して地面に打ちつけられた。
「無駄話をしてる余裕はないはずだぜ?」
「お、おのれ……」
大きなダメージを受け、苦悶に満ちた表情のイストルが起き上がろうとする。その時、急降下するペガサスからハインツが飛び降り、イストルの背後からその勢いのままに再び炎の剣を振りかざした。
「死ね」
ハインツの炎の剣が、振り向きざまのイストルの躰を容赦なく斬り裂いた。
イストルは、断末魔の悲鳴と共にそのまま光の粉となって弾けるように消えた。
「うっ! げほっげほっ」
弾けた光の粉がハインツに降りかかり、思わず咳込んだ。
「大丈夫ですか、王子!」
慌てて駆け寄って来た王国騎士団長のバンコックがハインツの背中をさすった。
「バンコック、過保護も大概にしろ。これしき何ともないわ」
「はっ、申し訳ございません」
「敵の首を取った。雑魚を掃討して、さっさと帰るぞ」
「今から行っても、来月のご婚約の儀に間に合いませぬ。王子は心残りでしょうな」
「ふん、婚約の儀など処女を確認するだけの事だ。代役を立てれば済むことだ」
「左様ですが、ご自分で確認なさりたかったのでしょう?」
「五月蠅い」
ハインツは掃討が完了したのを見届けると、踵を返して自軍の駐屯地を目指してペガサスを飛ばした。
夕日を背にしてしばらく飛んでいると、急にハインツは視界がかすみ意識がもうろうとしてきた。
そしてバランスを崩し、そのままペガサスと共に眼下の森に落ちて軍団の前から姿を消した。
「王子ーー!!」
バンコックが慌てて一隊を率いてハインツを追って急降下し、森の中へ消えていった。
☆ ☆
――翌日、セキの町にて。
魔獣は夜に出現するので、誰もが森の中が明るいうちは安全であることを理解している。セキの町の人達は、昼間に山菜や薪を取りに森に入ることが常である。
セキの町に来ていたシークが、聖水を汲みに森の中へ入っていた時の事である。
夕暮れにはまだ早い時間、シークは森の中で二人の盗賊風の男に襲われた。
「誰か! 誰か助けて!」
近くに誰かいるかもしれないと思い、声を上げながら走って逃げた。
その先には廃屋のような小さな小屋があり、シークはそれにわき目も降らず、小屋に飛び込もうとした。
しかし、小屋の引き戸が開かない。
元々鍵がないので扉が開かないよう、中から突っ張り棒がされているようだ。
「中に誰かいるの? お願い、戸を開けて!」
中に誰かがいると思ったシークが、戸を叩きながら声を上げた。
しかし、返事はない。
追ってくる男達から必死にここまで逃げてきたが、あと一歩のところで追いつかれてしまった。
いや、この小屋に追い込まれたという方がいいだろう。ガタイの良い男二人が簡単にシークに追いつけないわけがない。
「へへ、中でたっぷり可愛がってやるぜ。貴族様の初めてのお相手ができるなんて光栄だぜ」
「大人しく犯されれば、命までは取らねぇから安心しな」
「い、いや……」
ズガーンッ!!
その時小屋の扉が開き、中から二つの矢のような炎が同時に放たれ、二人の男に命中した。
二人が吹っ飛び、仰け反ってその場に倒れて絶命した。
シークは、小屋の中にいる誰かに助けを求めて中へ飛び込んだ。
そこには、兜と手足の甲冑を付けたガタイの良い半裸の男が息を荒げて立っていた。
「ど、どなたかは知りませんが、危ない所をありがとうございます」
「うぅ……、はぁ、はぁ……」
男は後ろに下がるように奥に進みながら仰向けに倒れた。
男もまた盗賊に襲われたのだろうか、全身傷だらけであちこちが腫れあがっていた。
自身で治療をしようとしていたのだろう、床にはその男が来ていたと思われる甲冑の胴のパーツが転がっている。
「今、手当をいたします。そのままじっとしていてください」
男の半裸姿に顔を赤らめたシークだが、もちろん命の恩人を助ける事にためらいはない。
治癒魔法の心得はあるので、治癒をするために傷口にそっと触れた。
「こ、これは、悪魔の邪悪な想念……」
通常の人間には見えないが、男の傷口には黒い湯気のようなものが立ち込めている。それが悪魔の邪悪な想念である。
「これは盗賊にやられた怪我じゃないわ。明らかに悪魔の力に侵されているわ。しかも、この邪悪な想念は夢魔サキュバスのもの……」
夢魔は人の夢に入り込み、その人の想念を貪り喰らう悪魔である。中でもサキュバスは性欲を掻き立て、その生気を奪い取る。
「うぅ……、はぁ、はぁ……」
「いけない。このままじゃ明日まで持たないわ」
すでに太陽が降りており、周囲は薄暗い。
魔獣がうろつく時間である。今から森を抜けて助けを連れてくることは不可能である。
「私が治すしかないわ……でも……」
サキュバスを倒す方法は、一般的には二つある。
一つは、その人の夢に術者が肉体ごと入り込む、あるいは魔法のみを送り込んで攻撃をもって仕留める方法である。
しかし、夢に出入りできる魔法が使える術者は滅多にいるものではない。そして、姉のソージーのように攻撃魔法が使えないシークには魔法を送り込んで倒すことは不可能であった。
もう一つは、サキュバスの性なる誘惑を断ち切るために、その人の性欲の矛先を夢の世界から現実の世界へ変える事である。
サキュバス以上の性なる誘惑を与えるこの治癒の方法は、妻が行うことがほとんどで、稀に娼婦に大金を払って行われることもあるようだ。
それをこの男に対して行わなければならないことは、婚約を目前にしたシークにとって、死を言い渡されたも同然のことであった。
「私の命を助けていただいたこの方を見殺しにはできないわ……。この人を助けられるなら……」
シークは、震える手で服を脱ぐと、苦しみながら横たわる男の横に座った。
「この人のものを体の中に入れなければ大丈夫」
男に絡まるように体を押し当てると、意を決してサキュバスとの戦いに挑んだ。
戦いは何時間にも及び、シークがサキュバスを倒した時には太陽が昇り始め、朝を迎えようとしていた。
シークは、太ももに付いたささやかな鮮血を拭うと、涙が止められなかった。
「もう、王子との婚約は……いえ、トゥバーン家にすらいることができないわ」
そう呟くと、もう何も考えることができなくなった。
小屋の中に差し込んだ太陽の日差しがシークの目に届くと、その眩しさで我に返った。
「いけない……、こんな所を誰かに見られたら……」
一糸纏わぬ姿のシークは、慌てて服を着た。
そして小屋を抜け出し、セキの町へと急いで戻っていった。
その後しばらくして、シークにサキュバスから助けられた男が意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がった。
「うぅ、ここは……。私は助かったのか……」
体中を蝕んでいたサキュバスの邪悪な想念が消えている。
「このような状況で快楽の夢を見せられるとは、サキュバスの呪いとは何とも恐ろしいものだ」
鎧を脱いだことは覚えているが、服は着ていたはずだった。しかし、服は脱がされ、身に着けているのは兜と手足の鎧だけである。
そして、股間には鮮血が付いている。
「まさか……。あれは現実の事だったのか!」
ちょうどその時、小屋の戸が開いた。
血相を変えたバンコックが息を切らして立ち止まり、男を見て唖然とした。
「王子! ご無事ですか!?」
「バンコックか。すまない、心配をかけた。この通り何ともないぞ」
「いや、その……王子……。下半身丸出しでそのセリフはいかがなものかと思いますが……」
「あっ」
ハインツは、慌てて服を着て鎧を装着した。
「バンコック、昨夜、私をサキュバスの呪いから解放してくれた女がここにいた。その者を探し出してこい」
「夜の魔獣の森にいた女……で、ございますか?」
「そうだ。私の妃にする。サキュバスと対等に戦える魔力を持つ女……。いや、それ以前に、その身の純潔を捨ててまでも、見ず知らずの私の命を助けてくれたのだ」
「しかし、王子にはシーク・トゥバーン様とのご婚約が……」
「一ヶ月後、この遠征を終えて王都に戻った時、正式に破棄すると伝える」
そんな勝手な言い分は通せないとばかりにバンコックが諫めるかと思いきや、すんなりと女性の捜索に一隊を向かわせた。
「王子をお気に召すかは、その女次第でございます。もし断られれば、お引き下がりくださいますな?」
「む、無論だ。一国の王子がそのような女々しい事はせぬ」
「それを聞いて安心いたしました。もし、女にその気があれば、王子が気が付くまでこの場にいたでしょうからな。期待して待たれぬ方がよいでしょう」
「バンコック! 貴様、謀ったな!」
「王子、人聞きの悪い事を申されますな。私は去った女の気持ちを考えただけでございます」
バンコックが、勝ち誇ったようにハインツにどや顔をした。
その日のうちにセキの町では、バンコック率いるペガサス隊がハインツを助けた女性の聞き込み調査を行った。
数百人が住むこの町で、老若男女の老若男を抜いて、年頃の独身女性に焦点を当て、さらに魔力の高い者に絞る。そうすると限られた者しか残らない。
その中で、魔獣がうろつくこの町で、夜に戻ってこなかった女性など、ごく僅かでしかなかった。
当然、シークの滞在先にもバンコックがやってきた。
「シーク殿お付きのメイドの方々は、皆同じ部屋で寝泊まりされているのでしたね」
「はい。皆、夜は部屋におりました」
「シーク殿は?」
「隣の部屋にお一人でおられたと思います」
「思います?」
「はい、お呼びがかからなかったので、お顔を拝見しておりません。ですが、朝食をお部屋にお持ちした時は、森へ聖水を汲みに行く準備を終えてお待ちでした」
「そう……ですか」
バンコックは、近々婚約破棄を言い渡されるシークを見て、気の毒そうな顔をした。
「バンコック様、メイド達の言う通りです。昨夜、私は部屋に一人でいました」
シークも昨夜、外泊して処女を失ったとは言えようもなかった。
バンコックは、シークの滞在する家を後にすると、振り返ってシークの部屋を見た。
「朝食前にメイドも呼ばずに、森へ聖水を汲みに行く準備……。まさか、前日に森へ聖水を汲みに行って帰ったところだったのでは……」
ふとバンコックの脳裏に、ハインツの探している女性がシークと重なって浮かび上がった。
一週間のうちに娼婦、行商人の娘、旅芸人の踊り子等数名が挙げられ、ペガサス隊が行方を追った。
☆ ☆
後日、セキの町から婚約の儀のために、シークがトゥバーン家に戻ってきた。
屋敷は王家の使者を迎えるための準備で慌ただしい。
シークは魔獣の森での出来事を誰にも話せず、その様子を見ながら罪悪感に苛まれていた。
そして、婚約の儀の当日、王家の使者が屋敷に到着し、純潔の証を立てる儀式が行われた。
使者の一人、ローブをまとった王宮性職者が手の平ほどの魔法のアイテムを差し出した。
「これは、王家に伝わる秘宝のクリスタルです。このクリスタルに魔力を注ぐと、処女には青く、そうでなければ赤く光るのです。さらに、結婚後もクリスタルによる検査は定期的に行われ、相手が王族のみであれば青く、そうでなければ赤く光るのです」
「そ、そんな……」
「さぁ、に魔力を注ぎなさい」
シークはそれを受け取ると、手を小刻みに震わしてじっと見つめた。
「……」
「どうしました? さぁ、魔力を注いで」
すでに処女を失ったシークに陽性反応が出ることは明らかである。
周囲から結婚前にどこの誰とも分からぬ男を相手にしたことを責められるであろう。
問題はそれだけではない。
王家との婚姻をする家柄として、不忠、不義による断罪も免れないであろう。
「シーク、まさかセキの町の治癒活動と称して、男と過ごしていたなんてことはないわよね?」
姉のソージーがシークを責めるように言う。
その顔の奥底には笑みがこぼれており、お見通しだと言わんばかりの物言いである。
「ソージー、口の利き方に気を付けなさい。シーク、どうしたのだ? 早く魔力を注ぎなさい」
父のハイゼンが真っ向からソージーの言葉を否定して不快感をあらわにしながら、シークに早く王家の秘宝に魔力を注いで証明しろと急き立てた。
「……」
「シーク様、さぁ、魔力を注ぐ注いでください」
(もう、これ以上は無理だわ……)
もうどうにでもなれとばかりに、シークは王家の秘宝に魔力を注ぎ込んだ。
すると王家の秘宝が淡い青色に光輝いた。
「ふむ、当然の結果ではありますが、陰性でございますね。ありがとうございました。国王陛下にご報告いたします」
王宮性職者は当然の結果だとばかりに、大きくうなずいて礼を言った。
(えぇ!? どうして!?)
全てを失う覚悟をしたにもかかわらず、その結果にシークは呆然とした。
「えぇ!? どうして!?」
シークの心の叫び声を代弁するかのように、ソージーの声が響いた。
「姉君殿、何か問題でもありましたかな?」
「い、いえ……。陽性の間違いではないかと。私の妹ではありますが、今までいろいろな男と……」
「ふむ、姉君殿は王家の秘宝をお疑いなのでしょうか?」
王宮性職者がムッとした顔で問うた。
「いえ、決してそのような事は……」
その場に居ずらくなったのか、ソージーはそそくさと客間を後にした。
そして、自室に戻ると鏡を見て歯ぎしりをした。
「あの男達に魔獣の森でシークを襲うように命じたのに、まさか失敗したのかしら……。シークがいなければ、私が王子と結婚できたのに!」
☆ ☆
円満に婚約の儀を済ませて一ヶ月が経ったトゥバーン家では、突如婚約破棄の知らせを受けて家中大騒ぎとなっていた。
一方的なハインツ王子のわがままであり、トゥバーン家に非がない事がせめてもの救いだったが、政略結婚による貴族階級の昇格を逃した事は大きな痛手であった。
心の中でホッとしていたシークだったが、部屋に戻った瞬間に激しい嘔吐感に襲われた。
「うえぇ……。こ、これって、まさか……」
シークは、お腹を押さえて青ざめた顔で震えた。
「シーク、一体どうしたの?」
シークの様子を覗き見ていたかのように、ソージーが部屋に入ってきた。
「お、お姉様、これは……違うの」
「お父様! お母様! シークが、シークが身ごもっているわ!」
ソージーが大声で両親を呼びながら、シークの部屋を後にした。
残されたシークは、成す術もなく呆然とその場に立ち尽くしていた。
「シーク、これは一体どういう事だ? 腹の子の相手は誰だ?」
婚約を破棄された上にシークが妊娠している事を知ると、ハイゼンは烈火のごとく怒って拳を振り上げた。
そのままシークに拳を振り下ろそうとするも、娘に手を上げる事は最後の良心の範囲で思いとどまり、代わりにテーブルの上に置かれていた年代物のワインボトルを掴んで床に叩きつけた。
シークは泣きながら魔獣の森での一夜の出来事を家族に話した。
「貴族としての血統を汚すのであれば、このトゥバーン家を捨てて相手の元へ行くがいい。情愛に生きるなら庶民と変わらん!」
息を荒げてシークを睨みつけているハイゼンは、感情を押し込めるので精一杯のようだった。
「お父様、このまま結婚となっていればトゥバーン家もただでは済まない所でしたわ。婚約破棄されたのは不幸中の幸いと思うべきですわ」
「そうだな……ソージー」
「あなた、気を静めてくださいませ。これ以上、世間の信用を失っては貴族の名に傷がつきますわ」
「お父様、代わりに私が王子と婚約ができるよう頑張りますわ」
メーシーとソージーがハイゼンを気遣って押しとどめようとするも、それは一切シークを庇いだてるものではなかった。
そして、シークはトゥバーン家に居場所はないと告げられ、翌日屋敷から追放された。
「申し訳ありません。お父様、お母様、お姉様……」
見送りは誰もいない。
シークが屋敷の門を出て一礼すると、とぼとぼとセキの町へ向かって歩き出した。
あの夜、盗賊に襲われていてもこうなる事は明白だった。
助けてくれた男の治療をしてもこうなる事は明白だった。
男を見殺しにしなかったことに後悔はない。
それでもシークの気持ちは複雑であった。
☆ ☆
三日後、バンコックがハインツの使いとして、改めて婚約破棄の詫びにハイゼンの元にやってきた。
ハイゼンは、王家の使者に頭を下げさせてはならぬと、慌ててとりなした。
そして、ソージーがここぞとばかりにシークの事を貶める。
「実はあの子、妊娠していたのですわ」
「どういう事でしょうか?」
「ひと月ほど前、セキの町へ治癒活動のため滞在した時に関係を持ったらしく、どうやらその時の子らしいのです」
「なん……ですと?」
「森で山賊に襲われたところを男に助けられたらしくて、その男がサキュバスの呪いにかかっていて治療のためとかで……。もちろんそんなのは口実ですわ」
ソージーは、自身の方がシークより優れており、婚約者に相応しい事を必死にアピールする。
「それで、シーク殿は今どちらに?」
「その男を追ってトゥバーン家を去りましたわ」
「な、何と!?」
追い出したのが事実だが、そう言えば家名にも影響がでるので、シーク自ら出て行ったという体裁になっているようだ。
急ぎ王宮に戻ったバンコックがハインツに事の次第を報告する。
「王子が探されている女性は、シーク殿ですぞ」
「何だと!?」
「王家の秘宝は血統を示すクリスタルです。王家の魔力と処女には陰性を示します」
「私の魔力がシークに注がれていたのなら、クリスタルが反応しなかった事も納得できる!」
ハインツは王国騎士団の事をバンコックに任せると、ペガサスに跨りシークの後を追っていった。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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