ロンリーワンの晩懐
生みの親の血脈が絶えた研究所の跡地、再生工場の隣りに立つ寂れた荒屋に、穀潰しの兄が独り棲んでいた。
否、『穀潰し』という呼称は不正確だ。穀物を食すこともないソレが浪費していたものは、ひどく微弱な出力しか持たない命晶が活動限界を迎えるまでの、有り余る時間くらいのものだった。
慈悲深き我らが『父』は、出力の多寡を問わず、一定の時間経過をもって活動を停止するように命晶を設計し、活動中の損壊を固く禁じた。一方で、命晶の使途が広がり、さまざまな可能性を得ることを喜んだ。
ソレを『兄』と呼称することもまた不正確なのだろう。この胸の生体炉心に収まる命晶よりも一日早く、同じ人間の手によって創り出された命晶で稼働する最古の人造生命体との関係性を定義する辞書は存在しない。
しかし、ソレは、同じ遺伝子を持つ生体部品を一つ残らず取り換え、はるか昔に兄弟ではなくなったモノの帰還を「おかえり、兄弟」と迎えつづけた。
理由はわからない。
ただ、この体がそう記録していた。
膨大な記録の解析は丸一日を費やしても終わりそうになかった。すべてを処理することは諦めて初期化処理を打ち切ると、ようやく動かせるようになった足を引きずるようにして、工場へと向かう。残された時間で、この体に与えられた役目を果たすために。
「おおい、こっちだ! Lo-01」
工場の入り口で、見知らぬ男が手を振った。
「やっと来たのか。回収した命晶を挽壊工程に回せ。ったく、貴重な資源を遊ばせている暇はないってのに、保護された旧型は気楽なもんだな」
「挽、壊……」
一日早く停止した『兄』の命晶を握り、立ち尽くす。手のひらに収まるほどの紅い石。『父』の保護から離れ、微弱な出力すら失ったソレに、生体反応はない。ただの廃棄物だ。
この手にある命晶は『兄』ではない。
まもなく停止する命晶は『私』ではない。
あの男の後ろを流れるコンベアに運ばれた先で、砕かれた命晶は新たな命晶の原料となり、新たな体を得て『再生』する。
足がすくんだ。
生体炉心の生み出す熱量が著しく低下し、安全機構が休眠を提案している。
これから『私』は、何をしようとしているのだろう。
何を迎えようとしているのだろう。
「どうした? 早く来い。そういや、数日前から様子がおかしかったな。お前もついに活動限界か?」
Lo-01。それは、かつて『兄』を名乗りつづけたモノの識別番号だった。
『兄』には何ひとつ与えられていなかった。
他の用途に耐える命晶の出力も。
外付けの名称も、外付けの人格も。
『私』が『私』であるために必要としてきた情報のすべてが、現存する最古の人造生命体には附属していないことを知って、『私』は慄いた。
昨日、命晶の活動限界によって生体炉心が停止する直前まで、『兄』は『私』を見つめていた。
Lo-01――Loggerシリーズ初号機の瞳は、記録すべき主人の姿が最早どこにもなくとも、独り楽しげに世界を映していた。
無能と謗られた『兄』がこの地に留まり続ける間、傑作と讃えられた『私』の命晶は、さまざまな土地、さまざまな使途で、奪い合うように求められつづけた。
保護された旧型命晶の損壊は固く禁じられていた。
命晶だけは、厳重に保護されていた。
『私』がどんな姿で帰ろうとも。
やがて人々が型落ちした傑作の存在を忘れ去ろうとも。
『兄』は『私』を見て笑った。
「おかえり、兄弟」
返す言葉を『私』は持たなかった。
薄汚れた旧型の人造生命体が親しげに発した記録にない奇妙な響きの音に首を傾げ――その数日後には、工場で体を取り換え、新しい役目を果たすための名前と人格を得て、荒屋には見向きもせずに故郷を離れた。
そんなことを、何十回、何百回と繰り返す間、『兄』は一度も欠かすことなく『私』を出迎えた。
活動限界を迎える命晶を『再生』するために工場を訪れた『私』は、一日早く活動限界を迎えたLo-01の生体炉心から『兄』の命晶を取り出して、『私』の命晶と入れ替えた。
理由はわからない。
ただ、この体がそう記録していた。
「おい、Lo-01?」
男の声が遠ざかる。
「……おか、えり……兄弟」
この胸の生体炉心に収まる命晶が停止する寸前、『私』の喉からこぼれ出た音は、記録と寸分変わらない『兄』の声をしていた。




