冬萌、かるた部、ダイイングメッセージ
―――― あらざ
その3音の決まり字で、僕は手を素早く前へ出して右へと大きくスライドさせた。赤く縁どられた札が畳から飛んでゆく。窓から見えた遠くの山にある木はほんのり紅くなっていて、秋の訪れを感じた。
得意札は取ることができて当然というスタンスのほうが良いのかもしれないが、やはり嬉しいものは嬉しい。今でも、あの時初めて札を取れた喜びは鮮明に思い出すことができる。それに、この歌が好きだということは、もしかして自分には自分でも知らないロマンチストな一面があるのかもしれない。そんな余計なことを考えていると次の札は彼女に取られてしまった。何事に対してもも考えすぎてしまうのは僕の悪い癖だ。
2人しかいない部室で行ったその試合は、今回は惜しくも僕が敗北してしまった。
「惜しかったね~翔太朗の札あと2枚だったのに。これで私の38勝25敗だよ!」
彼女はにやにやしながら僕を煽るようにそう言った
「いや、中学の時のも考えたら僕の108勝92敗だ。まだまだだな、香織は。」
「中学の分はノーカンって高校入ったときに言ったじゃん!」
試合終わりにいつもしているしょうもない言い争いを早々に切り上げた僕たちは、遅れてやってきた顧問の先生の連絡を聞いて帰りの挨拶をした。いつものようにリュックを背負い、香織と一緒に校門を出る。
僕と彼女は家が隣同士のいわゆる幼馴染で、幼稚園から高校2年生の今日まで、基本的に登下校を共にしている。このかるた部に入ったきっかけは、小さいころにたまたま僕の家にあった百人一首を一緒にしてみたら、思いのほか楽しかったからで特別な意味などはない。
「3年の先輩たちはみんな受験のせいで部活引退しちゃったから、私たち2人だけの部になっちゃったね。」
いつものように、彼女が話題を提供してくる
「来年に1年が入ってこないと廃部になるって先生は言ってたな。次の春は勧誘に力を入れないといけないんじゃないか?」
「別に廃部でもいいんじゃない?ほら昔みたいに翔太朗の家でかるたすればいいじゃん!」
「それは高校生になってまで、僕の家に押しかけて大騒ぎするって意味か?」
そうやっていつも、当たり障りのないようなことを喋りながら歩いていると、気づいたら家に着いている
「じゃあまた明日ね!」
彼女がそう言い、僕も別れの言葉を返す。そんなルーティーンをずっと繰り返してきて、これからも繰り返すのだろうと思っていた。こんな生活でもなんやかんやで楽しくて、ずっと続けばいいとすら思えていた。でも、そのささやかな願いがかなうことはなかった。
◇
雪が降っていてとても寒い日だった。寒暖差のせいか僕は風邪をひいてしまったので、学校には行けず昼まで家で寝ていた。授業が全て終わったぐらいの時間には、熱が完全に引いたので部活にだけでも顔を出して香織と帰ろうと思っていた。後から聞いた話だが、律儀な性格の香織は部員が自分しかいないにも関わらず、部に行って顧問とかるたをしていたそうだ。その時先生に用事ができてしまい、彼女はかるたの片付けを任されていた。
すべてを変えてしまったのは、ただの学校へと不法侵入した1人の男だった。犯人の動機は毒親のせいで人生は無茶苦茶になったとかなんとかで、別に誰でもよかったらしい。そいつは部室に1人でいた香織を後ろから刺した。
僕が部室に着いたとき、彼女は真っ赤な血の中に倒れていて息はもう既に止まっていた。僕は何が起こっているかが理解できず酷く混乱した。誰が?なぜ?こんな偶然なんてありえない、何かドッキリの類ではないのか?だがそれは違った。どんな声をかけても、体を揺さぶっても、彼女が起き上がることはなかった。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの あふこともがな」
その札を彼女は強く握っていた。持っていたのがたまたま僕の得意札で、特別な意味を込めたわけでもなんでもなかったのかもしれない。そうやって、自分をなんとかごまかして何も見ていないと思いたかった。でも、この歌に込められている意味を、僕は嫌でも思い出してしまう。
「わたしはもうすぐ死んでしまうでしょう。わたしのあの世への思い出になるように、せめてもう一度だけあなたにお会いしたいものです。」
もしこれが、彼女が僕に送った最期のメッセージだったとしたら?その真意すらも、彼女はもうこの世にいないため確かめることができない。自意識過剰か?これは香織の真意なのか?自分は本当は香織のことをどう思っていたんだ?こんなときでもそうやってまた考え過ぎてしまう。絶望や無力感、悔しさを抱えて、僕はひたすら立ちすくんでいた。
桜のつぼみが開く前に、かるた部は廃部になった。




