記憶にまつわる相談
様々な物が散乱する薄暗い事務所。
皺だらけのスーツを着た男が名刺を差し出す。
「弔木葬一郎です。どうぞよろしくお願いします」
「飯田です……よろしくお願いします……」
対面のソファに座る飯田が丁寧に受け取る。
彼女の顔は不安と恐怖で陰っていた。
落ち着きのない様子で部屋のあちこちに視線を巡らせている。
弔木はぼんやりとした目で話を切り出した。
「それで、依頼というのは」
「トツカアヤミのことが忘れられないんです」
飯田は泣きそうな顔で打ち明けた。
弔木は不思議そうに尋ねる。
「トツカアヤミさん……どなたでしょう?」
「分かりません。でも、彼女のことはなんでも知ってます。物心つく頃から一緒にいたので」
「つまり家族や親戚……親しい間柄なんですね」
「違います。これはすべて嘘……偽の記憶なんです」
飯田は深刻な様子で床を見つめる。
目に涙を滲ませて拳を握り締めていた。
「どういうことでしょう」
「トツカアヤミは記憶に伝染する病気なんです」
飯田が顔を上げるも、何かに気付いて慌てて目をそらした。
手で顔を覆いつつ、彼女は必死に言葉を絞り出す。
「彼女は過去の記憶に紛れ込み、まるで実在したかのように偽ってきます……だから実際は本当は存在しないはずなのに、昔から知っているかのように感じるんです……」
「でも飯田さんはそれが偽の記憶だと認識されているんですね」
「はい……まだ矛盾や齟齬が多いので、辛うじて嘘だと理解しています。症状は日に日に悪化していますが……」
飯田がぎょっとして身体を跳ねさせた。
彼女は固く目を閉じると、頭を抱えて説明を続ける。
「私の記憶は、トツカアヤミで上書きされています。いつか彼女のことしか考えられなくなるでしょう」
「なるほど。まるで癌ですね」
「ああ……当時の彼氏がそんなこと言ってました。記憶の癌だって」
「彼氏さんもトツカアヤミをご存じなんですか?」
「ご存じというか、彼から話を聞いたのがきっかけですね。まあ、今の私の記憶では二十年以上も前から知っているんですけど」
語る飯田は小刻みに震えていた。
顔は青白くなり、今にも倒れそうだった。
「……彼氏が、怪談とか都市伝説としてトツカアヤミを教えてくれたんです……私も彼もまったく信じてませんでしたけどね」
「彼氏さんは今どこに?」
「行方不明です。トツカアヤミの記憶で頭がおかしくなって失踪しました。次は私の番なんです。だからそれを止めたくて相談に来ました」
説明を終えた飯田は耳を塞いで身体を丸める。
ぶつぶつと何事かを喚き出して会話を放棄してしまった。
飯田の豹変も気にせず、弔木は淡々と話を進める。
「なるほど、事情は分かりました。しかしこの相談でトツカアヤミを知った私の記憶にも影響があるのでは――」
「ああ! わざわざすみません! ありがとうございます!」
突如、飯田が立ち上がって出入口に向けて頭を下げた。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
何度か相槌を打った後、飯田は大げさな動作で首と手を振る。
「いやいや! ちょっと相談があったんですけど……忘れちゃいました!」
「飯田さん」
「ごめんなさい、お迎えが来ちゃって! アヤミさん、行きましょう!」
弔木の呼びかけを無視して、飯田は晴れやかな様子で部屋を出て行った。
数分待っても戻ってくることはなかった。
置き去りにされた荷物を一瞥した後、弔木はテレビの電源を入れる。
テレビはちょうど昼のバラエティー番組が放送されていた。
ベテラン芸人が手慣れた様子で司会進行をしている。
「――さて、本日のゲストはトツカアヤミさんでーす!」
出演者の拍手と共に"トツカアヤミ"のテロップが表示される。
画面に映るのは誰も座っていない椅子だけだった。




