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第九十五話 自分らしく

再び目を覚ましたセレスティアは、ぼんやりと天井を見上げながら、長い夢の続きを眺めているような気持ちだった。

どれほどの時間が経ったのだろう――そう思って部屋の隅に控えていた侍女に尋ねてみると、「昨夜目覚めてから、まだ半日ほどです」との返事が返ってきた。どうやら彼女の目覚めは、再び深い眠りに落ちることなく保たれていたようだ。


しばらくすると、レオンハルトが手に湯気を立てる盆を持って現れた。


「やっぱりな。エリーは目を覚ますと、すぐに食欲が出るからな」


「ちょ、ちょっと、そんな事ないわよ! こっちは半日も寝てたのよ?その前は一月よ?……お腹が空いて当然じゃない!」


頬を膨らませて抗議するセレスティアに、レオンハルトは苦笑しながらいつものようにスプーンで粥を冷まし、「ほら、あーん」と穏やかに勧めてくる。

それを当然のように受け入れ、セレスティアも口を開いた――その瞬間、ノックの音が部屋に響いた。


「どうぞ」と返すと、扉の向こうから現れたのは、エリックとエリオットだった。


「あら、ごめんなさいね。ちょっとだけ、腹ごしらえ中なの。ミルク粥を食べてからでもいいかしら?」


「はい、構いません。どうぞ、ゆっくりお召し上がりください」とエリックが優しく微笑む。


「じゃ、ハルト。次お願い」


「はいはい、急がずゆっくりな」


「……あーん、もぐもぐ……はぁ、美味しい……。今日は多めじゃない?」


「“姫が多めをご所望だ”って料理長に言ったら、しっかり却下されたよ。“胃が驚くから少しずつにしろ”だってさ。ほら、次」


「あーん……もぐ……」


傍らのソファでそれを見ていたエリックとエリオットは、しばし呆然としていた。

こんなにも自然に、こんなにも柔らかなやりとりを交わすセレスティアの姿――まるで別人のように見えた。


昨夜、記憶が戻ったとの報を聞いたときには、言葉にならないほどの安堵と喜びが胸を満たした。サダール国の陛下にも、局にも即時報告を済ませ、次の面会を心待ちにしていたというのに。まさかその再会が“お粥の時間”になるとは思いもよらなかった。


そして何より――そのやりとりがあまりに自然で、あまりに親密で。

心の奥に、説明のつかぬ焦りと寂しさが滲んだのだった。


「まだ……食べられそうだけど? おかわりは……」


「……ない。前に無理して食べて吐いたろ。あのときは俺が手で……」


「ちょ、ちょっと! 昔のことをいつまでも言わないでよ! ぐぬぬ……」


「吐いたの、俺の手だぞ?」


「……その節は本当に申し訳ございませんでした……」


「だから、少しずつだ。いいな?」


「……はい……」


すっかり“いつもの二人”のやり取りに場が和んだところで、セレスティアはエリックとエリオットに顔を向けた。


「ベッドの上からで申し訳ないけど、心配かけたわね。本当にごめんなさい。記憶は……ちゃんと、全部戻ったの」


その一言に、エリックの肩がわずかに震えた。


「……セレスティア様が無事で、そして……記憶が戻られたこと。後方支援局一同、心から……心からお喜び申し上げます。局長はきっと無事に戻る。そう信じて、皆で声を掛け合いながら……」

そう言ったところで、言葉は途切れ、彼の喉が詰まり、嗚咽が漏れた。


エリオットはすでに、涙を隠そうともせずに頷いていた。


セレスティアは小さく微笑んで、静かに語り出す。


「転移前の状況、ちゃんと話すわね。あの日、後方支援局の仕事が早く終わったから、レオナルドに会いに行ったの。少しでも話せればって。第一騎士団の人に聞いたら、訓練が早く終わって寮にいるって言われて、そっちへ向かったの」


「部屋をノックしても返事がなくて、不在かと思って帰ろうとしたそのとき、中から音がして。ドアが開いていたから、無用心だと思いながらも入ったら――裸で寝ているレオナルドと、同じく裸の女性が並んで寝ていたのよ。……あまりに衝撃で、動揺して、見なかったことにしようと後退ったらテーブルのグラスが落ちて、その音で二人が目を覚ましたの」


「驚いたのはこっちなのに、女性がレオナルドの腕をそっと掴んだのが見えて……もう、何も考えられなくなって。その場からただ“逃げたい”って、それだけを願って――転移してしまったの。さすがに国外に出るとは思わなかったけど……目を開けたら、見知らぬ森の中。そこから、知っている地名を探して……マーレン国を選んだの」


「雪豹に遭遇して、慌てて転移した先が凍った湖。気づいたときには……もう、レオンハルト様に救われて、記憶もなくて。たぶん、湖に沈みながら心の深い部分に記憶を閉じ込めてしまっていたんでしょうね」


一気に語られた真実に、エリックもエリオットも、ただただ頷くしかなかった。

彼女は、戻るつもりだったのだ。姿を消したわけではなく、心の傷と偶然とが重なった結果だった。

そして、ここでまた、確かに“今”を生きていた。


「エリック、エリオット。あなた達泣き虫ね。…ねえ、陛下に伝えてもらえる? 体調が整い次第、帰国するって」


その言葉に、隣で静かに聞いていたレオンハルトが、そっと問いかけた。


「……戻るのか? 俺を置いて、国に戻るのか……?」


セレスティアは優しく彼を見つめて、少しだけ意地悪く微笑んだ。


「……そうね。一度は戻らないとね。状況の説明もしなきゃ。マーレン国のこと、大好きになっちゃったけど……サダール国に帰ったら、もうここには来れなくなるかもしれない事が気がかりだけど。……今は何より、ハルトと離れたくないもの」


「……本当に? 本当に離れないでいてくれるのか?」


「うん。転移陣、こちらにも引かせてもらえたら、時々来られるでしょ? ハルトにも仕事があるし、わたしも同じよ。だから、必要なのは――“離れない覚悟”ね」


「……エリーがいる場所なら、俺はどこだって構わない。好きだ。愛してる。だから、側にいさせてほしい……頼む……」


「……ありがとう、ハルト。でもね、今すぐには答えを出せないの。婚約者がまだ“いる”状態だから。まずは、けじめをつけて、きちんと気持ちを整理してから」


「……嫌だ。時間を置いたら、また誰かに奪われそうで……怖いんだ」


「……ギラン帝国の女官様の時もそうだった?」


「な、なんでそれを……」


「陛下たちがギラン帝国に向かう前に、他国の挙式の下調べをしていたときにね、こっそり情報を拾ったの。タブレットで式の映像も見たわ。あなた……号泣してたじゃない」


「……恥ずかしい……」


「いいのよ。素敵な恋だったってこと。ちゃんと本気だったから、涙も出るの。……それだけ、大切な時間だったって証なのよ」


レオンハルトは顔を赤らめながらも、まっすぐな視線で言った。


「……でも今は、エリーのことが好きだ。……もう二度と、恋なんてできないと思っていたのに。……エリーに出会って、俺は変わったんだ。もう、手放したくない」


その言葉に、セレスティアは思わず心の中で前世のあの曲を思い出してしまった――「もう恋なんてしないなんて~言わないよ絶対~」――。


「……うん、分かったわ。じゃあ、一緒にサダール国へ行ってくれる?」


「もちろんだ」


セレスティアは、エリックとエリオットに目を向けた。


「ということで、体調が戻り次第、マーレン国第二王子を伴って帰還する旨を陛下にお伝えして。記憶も戻ったから、治癒魔法も使えるわ。出発は一週間後。転移で帰るから、通達よろしくね」


そう告げる彼女の姿に、二人はようやく“あの局長”が戻ってきたと実感した。

けれど、やっぱり……最後に少しだけ足りないのは――“強引さ”かもしれない、と。


それもまた、彼女らしさなのだろう。

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