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第八十六話 セレスティア劇場[第三幕]

柔らかに揺れるカーテン越しに、日差しがこぼれる。 静かな屋敷の一室――そこには丸テーブルを囲むようにして、四人のご婦人方が腰かけていた。

皆、上品なドレスに身を包み、そして一様に、シルク地のアイマスクを装着している。まるで戯れの仮面舞踏会のような装いだった。

しかし、それは身元を隠すため。そう謳われていたにもかかわらず、その立ち居振る舞い、声の調子、わずかな仕草のひとつひとつが、彼女たちの素性を知る者には、あまりにも明白だった。


「皆さま、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。アイマスクの着け心地はいかがですか?」


セレスティアの問いかけに、婦人方は口々に返す

「何か、普通のお茶会とは違って秘密めいていて…ふふ、妙にそそられるわね」 「秘密のお茶会って響き、ちょっといかがわしい気がして楽しいわ~」

くすくすと笑いが広がる。


「奥様方、アイマスクの具合はいかがでしょう?」

「ええ、いいわ」 「私も平気よ」 「次はレース付きのも用意してほしいわね」


温かく、緩やかな空気が流れる中、セレスティアが改めて問いを投げかける。


「本日お聞きしたいのは、ご主人方が軍部に対して否定的でいらっしゃる背景について――何か、お心当たりがあればお聞かせいただきたく思います。そして、ご家庭内での呼ばれ方にも少し触れていただけると幸いです」


「あ、そうそう、名前を決めてきたんだったわ。何だったかしら……」 「思い出せないわね、何か呼ばれ慣れてないと忘れちゃうわ」

早くも予定が崩れる様子に、場が和んだ。セレスティアがそっと笑みを浮かべて提案する。


「それでは、ご主人から普段呼ばれているお名前を仮名として使用してはいかがでしょうか?」

「私は“おい”だわ」 「私は“お前”ね」 「私は“エリス”」 「私は“お母様”…ですわ」


セレスティアは微笑を保ちつつ、話を進める。


「ありがとうございます。それでは改めてお尋ねいたします。ご主人方が軍部に対して否定的であるご事情、またそれぞれの呼ばれ方にまつわる背景などがあれば、ぜひお聞かせください」


まず口を開いたのは“エリス”。

「わたくしの名前は“エリス”ではございませんの。ええ、これは、主人の愛人の名なの。最初、間違えた時、注意したり怒ったのよ。でも何度も何度も間違えるから、もういいか、愛人の名前が呼びたいのねと諦めてしまったの。家の中で“エリス”と呼ばれて数年……なんとも虚しい話よね」

「軍部への否定感情? 主人は特別な思想があるわけじゃないの。ただ、周囲がそうだから右に倣えしてるだけ。本当に、自分というものを持たない人なのよ」


次に“おい”が語り出す。

「うちはね、呼ばれて何年かしら、“おい”よ。“おーい”って声をかけられて、それが名前代わりになってるの。自分の名前、忘れそうよ」

「軍部のことだけど……主人には姉様がいらっしゃっていて、その姉上様が昔、陸軍の中尉と恋仲になり周囲の反対を押し切って駆け落ちして結ばれたのだけど……国境の紛争で旦那様が戦死して、お姉様は身重の身体で遺体の確認に向かい、その帰りに魔獣に襲われて命を落とされてしまったの。主人はその時の喪失をずっと抱えていて、軍部に対しては、姉上様を亡くされて以来ずっと恨みがあるみたい。そこからかしら、主人は変わってしまったわ……」


三人目、“お母様”が苦笑まじりに語る。

「我が家のは……母親への執着が強い人で。夜になると“お母様”って甘えてくるのよ。もう、気味が悪くて最初は鳥肌が立ったけれど……“これは大きな息子だ”と自分に言い聞かせて乗り越えたわ」

「軍部に関しては、彼の母が海軍部のサミエル将軍の大ファンで、ご結婚されてからもファンクラブに入っていらっしゃったとか。その影響で、幼い頃に母の愛情が自分に向けられていなかったという記憶があるのか、軍部を毛嫌いするのかもしれないわ」


最後に“お前”が口を開く。

「私は婚約時代からずっと“お前”。誰からも名前を呼ばれないから、時々本当に忘れてしまいそうになるの。軍部のことは……正直、分からないわ。主人とは20年近く共にいるのに、ろくに会話もないの。変よね。20年という月日が、ただ流れただけ」


セレスティアはひとつひとつの言葉に頷き、最後にこう促す

「皆さま、大変貴重なお話をありがとうございました。最後に、ご主人方へ何かお伝えしたいことがあれば、どうぞお話しください」


“お前”が手を挙げた。

「あなた、たまには私の名前を呼んでくださいね。それだけでいいの」


“お母様”が微笑みを浮かべながら続けた。

「もう“お母様”は卒業していいかしら。妻として、名前で呼ばれる日がまた来れば嬉しいわ」


“おい”は苦笑しつつもどこか寂しげに言った。

「私の名前、忘れちゃったのかもしれないけど……たまには思い出して呼んでくれると嬉しいわ」


“エリス”はくすくすと笑いながらも、その瞳の奥に何かを宿していた。

「私、“エリス”じゃないわ。ちゃんと本当の私を見てほしい。それだけでいいのよ」


お茶会の場は、笑いと穏やかな空気に包まれた。


「ご協力ありがとうございました。さて、この後はどちらへ向かわれるのですか?」


「ええ、ご主人に構ってもらえない同志で、私の領地へ。少し羽を伸ばして、美味しいものを食べて、買い物して、そして思いっきり主人たちの悪口でも言い合いましょうって話なの」

「くだらないことで張り合ってる男たちより、私たちの方がよっぽど仲良しよね」 「そうそう。仲良くしなさーいって、伝えたいくらい」


婦人方の笑い声が、光の中にこだまする。 そうして、映像は、幕が下りるように静かに、音もなく終わった――。




会場には、言葉が消えた。 それまで和やかに語られていたやりとりの数々――それが、今や、永遠に叶わぬ対話となったことを思い知らされた瞬間。

あの映像が記録されたのは、ちょうど一年前。 そして、その直後。イオナス公爵の領地へと向かう馬車は、盗賊の襲撃を受けた。 婦人たちは抵抗もできぬまま、しかし――穢されることを良しとせず、自ら剣を取り、潔く互いの首を突いて命を絶った。四人、重なり合うように。誰一人として、遺されることなく。


その彼女たちが最後にご主人達に願った言葉だ。


貴族院の面々――彼女たちの夫たちは、椅子から崩れ落ちるように膝をつき、嗚咽を漏らして泣き崩れた。 彼女たちが本当は何を想い、何を抱えていたのか、今さらながらに胸に突き刺さる。 名前を呼ばれることのなかった日々。伝えるべきだった一言。向き合うことのなかった想い。

それらすべてが、もう二度と、取り戻せぬまま。

会場の静寂は、まるで時が止まったかのようで―― ただ白布の向こうに残された、彼女たちの最後の笑顔だけが、やさしく、あたたかく、そこにあった。


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