第八十五話 セレスティア劇場[第二幕]
再び張られた白布に、柔らかな光が射し込む。その先に浮かび上がったのは、ひとりの女性の後ろ姿。顔は巧妙に映されぬよう構成されていたが、その仕草や佇まいからして、彼女が第一騎士団副団長エルザルの妻であることは、見る者の想像に難くなかった。
椅子に静かに腰かけた彼女の前には、セレスティアが控えていた。ふたりの間には程よい距離があり、語りはじめを待つ静けさが張り詰める。
「それでは、奥様。仮名でのご登場をお願いしたく思います。お名前は――A様でよろしいでしょうか?」
「そうね……Aで良いわ」
あっさりとした口調で応じた女性に、セレスティアは微笑みを浮かべると、続けた。
「では、A様にお尋ねします。ご主人が、ここまで軍部に対して否定的でいらっしゃるのは、どのようなご事情によるものか……何か、お心当たりはございますか?」
女性は肩を竦めるようにして、ふうっと小さく息をついた。
「軍部というより、陸軍にいる少佐――その方との関係が発端らしいの。昔から、幼馴染を取り合うような間柄だったそうよ。結局、その幼馴染は陸軍のその方と恋仲になって、婚約した。彼はそれがどうしても気に入らなかったみたいね。…まあ、私はその頃、別に好きな人がいたんだけど。父に強く反対されて、仕方なく今の夫と結婚したのよ。」
声に濁りはないが、語られる内容には痛みがにじんでいた。
「ちなみに、私が想いを交わしていた相手は海軍の……まあ、階級は言えないけれど。それを知った夫は、えらく機嫌を損ねたわ。だけど、私にしてみればそれ以前の話でしょ? 会う前のことなのに、まるで今のことのようにねちねちと責め立てるのよ。結婚初夜の時なんて……『俺には想う人がいる。君に応える気はない。だから期待しないでくれ』って真顔で言ってきたのよ? ふざけてるわよね……」
ここで彼女は苦笑し、まるで昔語りのように続けた。
「けれど、その初夜の後一週間、みっちり缶詰だったの。あれはなんだったのかしら? 気持ちがないなら、最初からしなきゃいいのに。しかも、後になって私の“過去”を知って、嫉妬で怒鳴るのよ? どの口が言うのかしらって、ほんと呆れちゃったわ。」
「……奥様はそのことで、ご主人へのお気持ちに変化などは?」
「好きになる要素がどこに?私には無理だわ。だって、一生に一度の結婚式のその夜。あんな言葉を投げかけられて、その後何度も肌を重ねたからと心が動くとでも思ったのかしら? あの日、心の中で“あの人への愛”は音を立てて壊れたの。それ以来、ただの同居人として割り切ってるわ。夫婦なんて形ばかりよ。」
セレスティアは頷き、最後の問いを投げかける。
「何か、ご主人に伝えたいお言葉はございますか?」
「そうね……別に言うことなんてないわ。だって、道端の石ころや雑草に、いちいち感情移入する人なんていないでしょ? それと同じ。ただ――顔を見るのも飽きたから、明日から領地へ戻るって伝えておいて下さらない? それくらいかしら」
「……やはり、何のご執着もないのですね」
「ええ、本当に。もしかしたら参考にならないかもしれないけれど……興味がないから、それ以上のお話もないの。申し訳ないわね」
「いえ、大変貴重なお話でした。ご協力、心より感謝申し上げます」
そうして、映像は静かに終わりを告げた。
映像が途切れるや否や、場内には重く沈んだ空気が満ちる。誰もが息を呑み、視線を交わすことすらためらっている中、セレスティアは再び声を発した。
「さて――第一騎士団副団長、エルザル様。今の映像をご覧になり、いかがでしたでしょうか? 遺恨に関して何かご意見がございましたら、どうぞお聞かせください。なお、あの映像は半年ほど前に収録されたもので、最近新たな取材も行われておりますが……ご覧になりますか?」
エルザルは苦い顔で顔を伏せ、小さく首を横に振った。
「……もう、よい。半年も経つのなら……あれが領地に戻ったきっかけか」
「ええ、そうとも言えるでしょう。ちなみに先日、領地で取材をさせていただいた際には、『まだそんなことで恨んでるなんて、小さな男だわ』と、呆れ果てておられました。戻る気が失せたとも仰っていましたよ」
「そ、そうか……妻は……無事であったか?」
「ええ、とてもお元気そうでしたよ。今は“白い結婚”という作品を執筆中とのことで、どうやら初夜のあのセリフやご主人の癖も、作中の登場人物のモデルにされているようです。『この話も使えそうね』と、たいへん創作意欲にあふれていらっしゃいました」
エルザルは遠くを見つめるような目をして、静かに言った。
「……私も、軍部への偏見を改めるとしよう」
セレスティアは穏やかに頷き、そっと口元に微笑を浮かべた。
「ありがとうございます。それでは、次にまいりましょう。続いては――貴族院の方々に宛てた映像をご紹介いたします。皆様、こちらの幕をご覧くださいませ。さあ――」
白い幕に再び光が落ち、新たな物語が語られようとしていた。




