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第八十四話 セレスティア劇場[第一幕]

ゆるやかに広がる白布――それはまるで儀式の幕のように張られたスクリーンへと、ゆっくりと映像が浮かび上がる。映っているのは、人物の首から下。顔は巧妙に切り取られ、誰とも知れぬよう仕組まれていた。だが、その佇まいや声色、何より語られる内容は、事情を知る者なら誰もが「彼女」であると確信するに足るものだった。


「それでは、仮名でのご登場をお願いいたします。お名前はA様でよろしいでしょうか?」


やや笑みを含んだ声に、女は静かに頷いた。


「ええ……そうね。アリエルにして下さる? 主人が通っていた娼館で、彼が殊に気に入っていた方と同じ名よ。」


その皮肉ともとれる応答に、周囲が息を呑む気配が伝わる。


「では、アリエル様とお呼びいたします。さて、ご主人がどうして軍部に対してあれほどの敵意を抱かれているのか……その理由をお聞かせ願えますか?」


女は静かに笑った。けれどその笑みの奥には、長年積み重ねられた冷えきった想いが垣間見える。


「理由? 単純よ。私と婚約していた頃、彼が心惹かれていた女性がいてね。その方が陸軍の将校と恋仲になり、子を身籠もったことでそのまま結婚してしまったの。その出来事が、彼の中で“軍部”という存在への憎悪の起点になったのよ。そして、彼の愛した“アリエル”もまた、今では海軍部の関係者と親しくしている。彼が会いに出向いても、門前払いを食らうこともしばしば……それが、あの人の心に更なる醜さを積もらせたのでしょうね。」


「奥様は……そのような出来事に、胸を痛めたりはなさらなかったのですか?」


「いいえ、まったく。婚約中も私の存在は軽んじられていたし、結婚後は娼婦にばかり入れあげて、家のことなど何一つ顧みなかった。私の中で、夫という存在はすでに“立場”と“財”を有する器でしかないわ。愛情はとうに尽き果て、今はただ、子どもたちと孫への愛情だけが心の支え。……こんな話で足りましたか?」


「はい、十分に。もしご主人に何か伝えたいことがございましたら、この場をお借りしてお伝えいただければと。」


そこで彼女は、ふと目を細めた。


「そうね……伝えるなら、これかしら。あなた――臭いのよ。軍部の将校に取られた、振られた、相手にされなかったなんて被害妄想を撒き散らしてるけれど、現実はもっと単純。息も体臭もひどいし、鼻毛はしょっちゅう出てるし……ご婦人方があなたを直視できないのはね、笑うのが忍びないからよ。誰がそんな人を“意識してる”なんて思うのかしら。自分を鏡で見てから言って欲しいわ。」


「……なかなかに赤裸々な内容でしたが、よろしいのでしょうか? この映像は陛下、並びに関係者の前で公開されることになりますが。」


「構いませんわ。わたくしは“アリエル”であり、本名ではございませんもの。たとえ知られようと、今さらどうということもございません。……他にも話したいことは山ほどあるけれど、今日はこの辺でいいかしら。」


「ありがとうございます。もし今回の話し合いで進展が見られなかった場合、あらためて取材のご協力をお願いするかもしれません。」


そうして、映像は音もなく幕を閉じた。

その場にいた者すべてが、まるで時の止まったような沈黙に呑まれていた。誰もが心に浮かんだのは――「これが、自分の番だったら」という不安。そして、この暴露が一体どれほどの影響を与えるかという焦燥だった。

だが、司会の女性――そう、セレスティアは一歩も引かず、穏やかな声で言葉を紡ぐ。


「皆様、ご安心を。皆様それぞれにきちんと映像をご用意しております。すべて“匿名”ですので、誰のものかは一切分からないようにしております。さて――」


彼女はひと呼吸置き、静かに第一騎士団団長、ロマノフへと目を向ける。


「ロマノフ様。この件について、ご意見があればお聞かせ願えますか? 映像に登場したご婦人の嘆きは、旦那様が都合のよい解釈で過去を塗り替え、軍部に対し根拠なき遺恨を抱いたことに起因しているとのこと。もしもご自身の身近にそのような方がいたとしたら、どうお感じになられますか?」

「……」

重く深い沈黙が落ちる。ロマノフは、やや顔を歪めながらも何かを呑み込むようにして答えた。

「……そなた、“匿名”だと言ったな。ならば、なぜ私にこの質問を向けたのだ。」

「ただ、ご意見をお伺いしたまででございます。何の含みもありません。ただ、取材に応じた女性の声を前にして、軍部への認識を少しでも見直す余地があるのではと考えました。」

「……」

「もし、情報が足りないようでしたら、追加の映像もございますが?」

「わ、わかった……。軍部に対する評価は……改めよう。あの男も、少なからず自覚したはずだろう……」

そうして、ロマノフは深く椅子に腰を下ろし、押し黙った。

セレスティアは一礼し、ゆっくりと次なる一幕へと手を伸ばす。


「ご協力、感謝いたします。では、次に参りましょう。第一副団長エルザル様に宛てた映像をお見せいたします。皆様――こちらの幕をご覧くださいませ。それでは――」


白き幕に、また新たな物語が映し出されようとしていた。


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