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第八十話 婚約への試練

婚約の届けを神殿に提出したその足で、私たちは王城へと向かった。次に向かうのは、陛下のおわす執務室。あの扉の向こうに入るには、いつだって少しの勇気が要る。けれど今日は、胸の奥にそれ以上の覚悟を忍ばせて、深く息を吸い、扉を叩いた。


「どうぞ」と声がかかり、ゆっくりと扉を開けると、すでにディオラン様が先に入っておられた。おそらく、何も言わずともこの報告のために呼ばれていたのだろう。


私とレオナルド様は並んで一歩前に進み、深く頭を下げる。


「アルドレア陛下へご報告申し上げます。本日、レオナルド=ハルシュタインとセレスティア=サフィールは、婚約をいたしました。」


声が重なり合ったその瞬間、室内の空気が少し揺れた気がした。陛下は一瞬無言のまま、指で眉間をぎゅっと揉みながら深いため息を吐かれた。


「セレスティア、それは……ディオランに強制されたものではないのだな?」


静かに問われたその言葉に、私はきっぱりと頷いた。


「いいえ。わたくしの意志でございます。彼と一緒になりたいと、そう願い婚約を結びました。」


一拍おいて、陛下は息を吐くようにもう一度「はあ」と漏らしたあと、椅子の背にもたれ、ゆっくりとレオナルド様へと視線を向けた。


「レオナルド=ハルシュタイン……セレスティアを、必ず幸せにしろ。そして、本日をもって、海軍部から第一騎士団への異動を命ずる」


その言葉に、隣でレオナルド様の身体がびくりと反応した。表情は一瞬で緊張に染まり、拳を静かに握りしめたのが視界の端に見えた。


それでも彼は、まっすぐに陛下の目を見据え、毅然とした声で告げた。


「陛下のおおせのままに」


私は、その決定の意味するところを――すぐに理解した。なぜ海軍部を離れ、わざわざ第一騎士団へ、という厳しい命が下されたのか。


「……陛下。ですが、わたくしは今のままでも、軍部にいらしてくださるだけで……」


言いかけた私の言葉を、陛下は首を横に振って静かに制した。


「ならぬ。今のままでは、貴族院の反発は避けられぬ。魔道院や第一騎士団も、創造魔法を持つお前が軍部の人間と結ばれることを認めるはずがない。いくら互いの意思であろうと、この国の構造上、婚姻は難しくなるだろう」


「でも……!」


思わず反論しかけたところに、ディオラン様が重く口を開いた。


「セレスティアも分かっておろうが……軍部と騎士団は、特に第一とは長年対立関係にある。お前とレオナルドがこのまま婚約を続ければ、反発はさらに激化する。しかも、お前は創造魔法を持ち、後方支援局の長だ。彼が中佐であることと合わされば、影響力を持ちすぎる。そうならぬよう、陛下は、敢えて“敵対側”に彼を移す決断をなされたのだ」


わかっていた。頭では分かっていたのだ。けれど、理屈ではない部分が、理不尽だと叫んでいた。


「……ならば、第二や第三の騎士団では……!」


もしかするとそこなら――そう思った私の願いを、陛下は首を振って断ち切った。


「軍部から騎士団へ移る場合は、第一でなければならぬ。それは“忠誠を示す”という象徴であり、試練だ。だからこそ、騎士団を嫌いながらもレオナルドが軍部に進んだ時、ディオランが必死に反対した。今のこの結果を、彼は予見していたのだ」


私の口からは言葉が出なかった。ただ、胃の奥から沸き起こるような不快感が込み上げてきて、軽く吐き気すら覚えた。


そして、そのままの勢いで、私は決めた。


「陛下に、お願いがございます」


その言葉に、室内の空気が張りつめた。


「陸軍、海軍、貴族院、魔道院、第一、第二、第三騎士団――そのすべての代表の前で、私に話をさせて頂けませんか」


「……」


思わず、陛下の眉が跳ね上がる。傍らでディオラン様がわずかに息を呑み、レオナルド様が腕の中でぴくりと動いた。


ああ、これで分かっただろう――私が本気で怒っていることを。


「……不味いぞ……」ディオラン様が低くつぶやいた。


「陛下、お願いしますわ。お話の場を、お与えくださいませ」


その場にいた誰もが、私が怒りを言葉の熱で押し隠していることに気づいていた。


陛下はしばらく押し黙ったまま、じっと私の顔を見ていたが、やがて肩を落とし、小さく頷いた。


「……わかった。ただし、説得できる保証はないぞ」


「説得? いいえ、“お話”をするだけですわ。日時が決まりましたら、ご連絡くださいませ。――では、これにて御前、失礼いたします」


それだけ告げて、私は強ばったままのレオナルド様の腕を取って執務室を後にした。


扉が閉まった瞬間、それまで張りつめていた空気が一気に弛緩した。


執務室内に残された者たちは、誰もがこれから訪れるであろう「波乱の場面」を――いや、嵐の予兆を感じ取っていた。


そしてその嵐の中心には、誰よりも冷静な“創造魔法の乙女”が立っているのだという事実を、忘れる者はひとりもいなかった。

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