第七十六話 恋とは
ギラン帝国への事前調査が完了した頃、各国の動向をまとめた報告が後方支援局に届いた。幸いなことに、これといった懸念事項は見当たらず、参加予定の諸国もおおむね安定した情勢にあるようだった。
中でも注目していたマーレン国からは、王太子が夜会に出席するとのこと。一方で、第二王子であるレオンハルト=ヴァルゼンの名前は名簿にはなかった。そのこと自体は特段不思議ではないが、ふとした拍子に耳にした話――どうやら、王女リリアに仕える女官に心を寄せているらしいという噂は、少しだけ心に引っかかった。ただ、これは私が聞いた話であって、任務の本質とは関係のない私情の類と判断し、陛下には「マーレン国の出席者は王太子のみ」とだけ伝えるに留めた。
さて、迎えた出発の日。ルシアン王子とティアナ王女は予定通りギラン帝国へと向かった。道中は何事もなく、あっけないほどに平穏で、まるで空の加護でも受けているかのようだった。挙式は荘厳にして静謐な雰囲気の中で行われたらしく、各国参加の2日目の夜会も滞りなく終わりを迎えた。
夜会終了直後、事前に現地入りしていたサマイエルから連絡が入った。「全て順調、帰国予定通り」との報告だったが、彼の口ぶりにはどこか妙な含みがあった。何かあったのかと尋ねると、彼は一言だけ、こう付け加えた。
「……ルシアン殿下が、リリア王女付きの女官に惚れたようでして」
え、そっち⁉ と思った私は、思わず手元のタブレットを取り出し、対象の女官の顔写真を確認した。が、画面に映るその姿は、どう見ても地味で目立たぬ容貌の女性。決して派手ではない。髪型も簡素で、着こなしも控えめ。まさか、これが“運命の相手”とは……?
少し意外に感じたものの、「内面重視なのかもしれない」と勝手に納得していた。見た目に囚われず、人柄や心根を見る。そういう人間が王族にいてくれるのは、国としてもありがたいことだ。ちょっとルシアン王子の評価が上がった気持ちだった。
だが、帰国した王子たちを出迎えたその瞬間――その淡い期待は粉々に砕かれる。
「ねえ、聞いてくれる? お兄様ったら、夜会のあいだずっとぼーっとしてるの。話しかけても反応が薄くて、“なんなのよ、もう!”って思ったら……あの女官様に一目惚れしたんだって!」と、ティアナ王女が口を尖らせながら訴えてきたのだ。
私は思わず、「見た目じゃなくて中身を見て選ぶなんて、素敵ですね」と無難に返したのだけれど、その直後に返ってきた王女の言葉が衝撃だった。
「違うのよ!あの方、見た目からしてもうすごいの。スタイルも抜群で、髪も艶々、まるで絵画から抜け出したみたいな妖艶な美女だったのよ!」
……え?
えぇえぇ……っ!?
タブレットで確認した“地味で慎ましやかな女官”のイメージが頭の中で音を立てて崩れ去った。まさかの見間違い。どこをどう取り違えたのか、自分でも分からないが、私が見たのはどうやら別の人だったらしい。
一気にルシアン王子への印象が変わる。「ああ……結局は顔か……スタイルか……」と、心のどこかで妙にがっかりしている自分がいた。
「……そうでしたのね。では私も、ルシアン王子の見る目をちょっと改めますわ」
言葉とは裏腹に、心の中では“爽やか好青年”の肩書きが急降下中。王子としての株も、どこか見えないところでずいぶん下がった気がした。
けれど、そんなちょっとした恋の一幕も、後にとんでもないニュースとして再び耳に入ってくるとは、その時は思ってもいなかった。
それからわずか二ヶ月後――噂の“妖艶美人な女官”は、なんとギラン帝国の皇帝陛下と結婚することになったというのだ。
にわかには信じがたい話だったが、続報を確認すればするほど、その真実は疑いようのないものだった。彼女は正式に皇后として迎えられ、挙式には帝国が前例を覆し、全参加国に招待状を送るという異例の対応がなされた。
それはただの祝賀ではなく、“この誓いを世界に明かす”という強烈な意思表示だった。形式を重んじるギラン帝国がここまで踏み込むのだから、それだけの価値があったのだろう。
当然ながら、サダール王国からもアルドレア陛下と王妃が参列された。
私はといえば――気にならないわけがない。
こっそりタブレットを開いて、再び皇帝の新しい伴侶となったその女性の姿を確認してしまった。
画面に映し出された彼女の姿は……なるほど、これはもう、誰が見ても一目で心を奪われるだろう。たおやかで芯の強そうなまなざし、控えめながら気品ある立ち居振る舞い。派手さではなく、“確かにそこにいる”という存在感があった。
なるほどね――
「……恋か」
そんなひと言が、ぽつりと心の中でこぼれた。
誰かを真っ直ぐに見つめ、惹かれ合い、心を重ねるということ。立場も、国も、役割も飛び越えて。それは思っている以上に、強く、時に残酷で、それでも人を動かす“何か”なのだと――改めて思い知らされるような出来事だった。




