第六十五話 青薔薇のデビュタント
王城へ向かう馬車の中、胸の奥が妙にざわついていた。通勤で毎日のように門をくぐっている場所なのに、今日は何かが違っていた。制服ではない、薄いブルーのドレスに身を包み、緊張とともに吐息がこぼれる。馬車の窓から見える王城は、普段とは違いどこか現実離れしていて、まるで異世界にでも迷い込んだようだった。
「セレ、大丈夫?」
隣からクロードの声。彼はしっかりと私の手を包みこむように握り、微笑んでいた。ふと顔を向けると、いつものクロ兄様より少し大人びて見えて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「…平気。だけど、ちょっとだけ変な感じ。誰か別人になったみたい」
「ううん、すごく似合ってるよ。セレは今夜の主役だから、堂々としていいんだ」
そう言って、クロードはほんの一瞬視線を落とした。彼の手の中に感じる体温が、今夜の冷えを忘れさせてくれる。
会場に入ると、王族や貴族たちが集う広間はすでに熱気を帯びていた。だけど、それでも私はそっと呼吸を整えた。控室に通され、順番を待つ間もクロードはそばを離れず、水を渡してくれたり、手をそっと握ってくれたり、何より「変じゃないよ、大丈夫」と何度も声を掛けてくれた。
「サフィール家次女、セレスティア嬢ならびに、デュパール家長男、クロード様、入場です」
名が呼ばれた瞬間、時が止まったかのように感じた。クロードと視線を交わし、私は小さく頷く。
――いざ、出陣。
照明の中を、クロードにエスコートされながら歩く。見慣れたはずの城内が、まるで夢の舞台装置のように非現実的だった。正面には陛下。私は深いカーテシーを取り、ゆっくりと口を開く。
「今宵、デビュタントさせていただきます、サフィール家次女セレスティアと申します。陛下にお目にかかれ、大変光栄に存じます」
「顔を上げよ、セレスティア。成人、おめでとう」
陛下はいつものように穏やかで、温かい視線を私に注いでくださった。その瞬間、瞼の裏が熱くなるのをぐっと堪えた。こんな日が、自分にも来るなんて。少し前の私では想像もできなかった未来だった。
「…可愛い顔をするな。周囲が驚いておるぞ」
ふっと笑った陛下の小声に、私は思わず、「後でモテない分、取り返します」と囁き返した。
挨拶を終えてクロードと並び、家族を探して歩き出したとき、馴染み深い声が響く。
「セリーヌ侯爵ご一家、バートン様と令嬢ナイラ嬢のご入場です」
その声に、私は小さく跳ねるようにクロードの手を引いた。
「ナイラ、親友なの。近くに行って挨拶したいの」
途中、ディオラン=ハルシュタイン侯爵とその奥様サーラ様にも再会する。ディオラン侯爵は私を見て目を丸くしながら、「誰かと思ったら、セレスティア嬢か。あまりに綺麗で別人かと」と言い、サーラ様は優雅に微笑んで、
「今日は一輪の青薔薇が咲いたようですね。本当にお綺麗で…」
と声をかけてくださった。私はクロードを紹介すると、ディオラン侯爵が不機嫌そうに「わしは認めんぞ、セレスティアの大切な人はわしなんだから」と口を尖らせた。
「シュタイン侯爵様、それは素敵な奥様への嫉妬心でしょう? 私を引き合いに出して愛情試してるんですのよ」
そう返すと、サーラ様が吹き出して、「まぁ、ではもっと愛を囁いて差し上げなければなりませんわね」と笑い、ディオラン侯爵の顔は熟れたトマトのように真っ赤になった。
その後、ナイラと無事に再会できた私は、安堵の笑みを浮かべ、クロードは耳元で
「後で“大切な人”の意味、教えてね」
そう、いい笑顔で言ったクロードの横顔が、いつもよりずっと大人びて見えたのだった。




