第六十三話 庇護と信頼、揺れる距離
朝、目が覚めた瞬間に昨夜の出来事が一気に押し寄せてきて、思わず布団に顔を埋めてしまった。
……恥ずかしすぎる。
泣きながらしがみついて、そのまま眠って、目が覚めたら隣にクロード兄様がいた、なんて――どれだけ乙女小説じみているのだろう。顔が熱い。朝から恥ずかしさで目が回りそうだったけれど、それでも仕事は仕事。ぐっと気合を入れて、制服に袖を通し、身支度を整えて食堂へと向かった。
昨日の涙の腫れも、治癒魔法のおかげで跡形もなく消えていた。鏡の前でひとつ深呼吸し、いつものように食堂の扉を開く。そこにいたのは、家族とデュパール家の皆だった。
「おはようございます」と口に出した瞬間、家族の反応に思わず足が止まった。
兄は、にやにやと頬を引きつらせながらこちらを見ている。姉は心配そうに眉を下げ、母はなぜかキラキラと目を輝かせているし、父は朝から何とも言えない不機嫌な顔をしていた。
……何この空気。あからさまにもほどがある。
唯一救いだったのは、叔父様とおば様がいつも通りの態度で、いつも通りに「おはよう」と声をかけてくれたこと。私は内心で深く感謝しながら席につこうとした――その時。
「セレ、こっちに座って」
クロード兄様が、椅子を引いて私の隣を指し示した。
「はい、これ食べて。切ってあるから、こっちから先に。ちゃんと苦手な物も食べるんだよ?」
と、目の前に食器を並べ、パンをちぎり、スープを注ぎ、さらにはサラダまで私の前に揃え始めた。
「……クロ兄様、わたくし一人で食べられますわ。もう苦手な物もないですし。というか、朝からそんなに食べられません!」
兄様の過保護スイッチが全開で、何とも騒がしくわちゃわちゃしたまま朝食を終えた。
食後、出勤準備を整えながら家族に向き直る。
「それでは、後方支援局へ行ってまいります。おじ様、おば様はどうぞごゆっくりなさってくださいませ。……クロ兄様は?」
ふと後ろを振り返ると、彼はすでにコートを羽織り、完全に“出掛ける準備万端”の状態だった。
「今日はセレの職場見学だ。一緒に行く」
「……いきなり!? 職場見学?」
「セレ、ぼーっとしてると遅刻するぞ。ほら、行くぞ行くぞ」
そのまま有無を言わせぬ勢いで手を引かれ、私はいつの間にか馬車に乗せられていた。……完全に、なし崩しの出勤同行である。
後方支援局に着くと、職員たちが驚いた顔でこちらを見ていた。仕方ないので、皆に声をかける。
「おはようございます。今日一日、私の従兄・デュパール家のクロード様が職場見学ということで同行します。気にせず、いつも通りに仕事していただければ大丈夫ですので、よろしくお願いしますね」
そのままクロードを局長室に通し、ソファに腰かけてもらって、私は朝の書類整理に取りかかった。
しばらくすると、マリアがいつものようにお茶を運んでくれた。ふと視線をソファに向けると、クロード兄様が静かに目を閉じて、うたた寝していた。
思わず、ふっと笑みが漏れる。昨日は眠れていなかったのだろう。私はマリアに「静かに」とウィンクをして紅茶を受け取り、そっと席に戻る。
――そうだ、せめてものお礼に。
そう思い、棚からハーフケットを取り出し、そっと彼の膝に掛けた。するとその瞬間、ぱちりと目を開け、ぼんやりとした視線でこちらを見る。
「……クロ兄様、少しの間、うたた寝されてましたよ。眠れていなかったんでしょう? 少し横になって、お休みくださいな」
「セレも、一緒に」
「わたくしはお仕事がありますので」
「じゃあ……僕が寝るまで、手握ってて」
「……わがままですね、ほんと」
ため息をつきながらも、私は彼の手を握り、そっと頭を撫でる。柔らかな髪が指に触れ、穏やかな寝息が聞こえてきた。ゆっくりと手を外し、再び机に向かおうとした時――。
「……セレスティア様?」
扉の方を見ると、エリックとエリオットが、ぽかんとした顔で立ち尽くしていた。私は慌てて口元に指を立て、「シーッ」と静かにジェスチャーし、彼らをそっと廊下へと連れ出した。
「ごめんなさいね。出勤時に伝えたつもりだったけれど、クロード様が“職場見学”と言って、勝手に同行してきたの。昨夜あまり眠れなかったみたいで、今は寝かせてるところよ」
ふたりはまだ困惑気味の顔をしていた。
「それで……何か用かしら?」
エリオットが、少し言いにくそうに言った。
「いや……局長室に、見知らぬ男性と入ったって聞いて。もしかして、デビュタントの相手かと……」
「そうよ。昨日、家族で晩餐をとった後に泊まっていったの。だから……」
「セレ? セレ?」
……あれ、声が中から聞こえる?
「ちょっと待って、クロ兄様、寝てたんじゃ――」
「セレがいないから起きちゃったよ。それで、誰? こいつら」
一気に空気が変わった。私は苦笑しながら、ふたりを紹介した。
「こちらは後方支援局の局長補佐のエリック。こっちは戦略連絡部のエリオット。どちらも、私の業務補佐をしてくれてる大切な人たちよ」
しかしクロードは、鋭い声で言い放った。
「へぇ。補佐官なのにセレの年齢を知らなかった人たちでしょ。」
言葉のトーンが変わった。
「十四歳の女の子がどんな覚悟で職務に立ち向かってるか分かってる? 人より小さな身体で、後方支援局を率いて、魔道具まで作って、戦地にまで赴いてる。それを……支えもしないで、嫉妬してるだけなんて、そんなの補佐でもなんでもないよ」
ふたりは、黙って拳を握りしめ、下を向いたままだった。
私は、クロードの肩にそっと手を置いて言った。
「ありがとう、クロード様。でも、一つだけ訂正させて。エリックもエリオットも、ちゃんと覚悟はあるわ。わたくしの背負うものも、理解してくれてる。だから、私はふたりを信頼しているの。命を預けられるほどに」
その言葉に、クロードは口を閉じた。
「職場見学は、ここまで。わたくし、これから別件で出掛けなければならないの。クロード様は、気をつけてお帰りくださいませ」
そう言って、踵を返し、ふたりを振り返らずに促した。
「エリック、エリオット……行くわよ」
今は、前を向く時だった。




