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第六十二話 氷の貴公子と、ほころぶ夜

仕事を少しだけ早めに切り上げ、久しぶりに陽が落ちる前に屋敷へと戻った。


廊下を曲がり、談話室の扉を開けた瞬間、どこか懐かしい声と香りがふわりと迎えてくれた。そこには、母と姉の笑い声と共に、叔父夫妻――デュパール家のご夫婦と、その息子であるクロード兄様の姿があった。


叔父夫妻は親族の集まりや王都での用事で時折訪れていたので、それほど久しぶりという感覚はなかった。だが、クロード兄様――ギラン帝国に留学していた彼と顔を合わせるのは、本当に久方ぶりだった。


「おじ様、おば様、クロード様……お久しぶりです」


そう声をかけると、クロード兄様がふっと微笑んだ。


「セレ、久しぶりだね。……もう顔を合わせなくなって、三年半と……十日だね」


そのやけに正確な日数に思わず笑ってしまいそうになった。彼らしいと言えばそうなのだが、以前よりもぐっと背が伸び、髪型もすっきりとしていて、すっかり“青年”という言葉が似合う姿になっていた。


「クロ兄様も、久しぶりにお会いして……とても素敵になられて。ギラン帝国でもさぞかしモテていたのでは?」


軽く冗談めかしてそう聞くと、すかさずおば様が口を挟んだ。


「あら、それがね……“氷の貴公子”って呼ばれてたらしいのよ。セレスちゃんの前ではあんなに穏やかに笑うのにねぇ」


「まったくだ。わしらの前じゃ、昔から表情一つ動かさん。ギランで多少は柔らかくなったかと期待してたんだが、変わっておらんようだ」


と、叔父様もため息混じりに肩をすくめる。


「え……“氷の貴公子”?……誰が?クロ兄様が? 昔から、ニコニコして穏やかだったじゃないですか。そんな冷たい顔、見たことありませんけど?」


ぽかんとしている私に、周囲がなんとなく含み笑いを浮かべたその時だった。


「……もう、いいだろう。そんな話より、後方支援局って何? どうして女学院じゃなくて、王立学園? 飛び級卒業って、どういうこと?」


今度はクロード兄様がやや早口に、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。その顔は、兄らしく心配しているとも取れたが……若干、目が据わっている気がした。


(……あれ? もしかして、兄枠通り越して、妹枠にヤンデレ属性入ってます?)


私は少し引き気味になりながらも、どう応じるべきか戸惑っていたら――救世主は、母だった。


「ほらほら、皆で晩餐にしましょう。久しぶりに揃ったんだから、楽しく食事をしましょうね」


さすがは母、絶妙なタイミングで空気を変えてくれた。


食卓では和やかな会話が交わされたが、ふとした瞬間、叔父様とおば様が“あれ、こいつ誰だったっけ?”とでも言いたげな表情でクロード兄様を見ていたのが印象に残った。……どうやら家族ですら、普段の彼とは違う様子らしい。


本来なら夕食の後、デュパール家は帰る予定だったが、父が「久しぶりなのだから、泊まっていけばよい」と声をかけ、急遽泊まりとなった。すると、姉のリディアが私の耳元で、


「何かあったら、叫ぶのよ?」


と、真顔で囁き、兄は兄で無言のまま私の肩をぽん、ぽんと二度叩いて去っていった。


……なんなんだ、あの兄妹連携。


部屋に戻り、ドレスの襟元を緩めてほっと一息ついたのも束の間、扉が控えめにノックされた。


「どうぞ」


侍女のエメリアが扉を開けたその先にいたのは、クロード兄様だった。彼はエメリアに軽く会釈すると、少しだけ寂しそうに私に言った。


「……久しぶりだから、もう少し話したいんだ。ダメかな?」


その表情に断る理由はなかった。


部屋に通して、彼が椅子に腰を下ろしたところで、「それで?」と促され、私は今までのこと――学園のこと、飛び級、後方支援局の話、魔獣討伐や魔石の異変に至るまでを、順を追って静かに語った。


彼は途中、黙って頷くだけでなく、時折顔を険しくしたり、目を伏せたりしながら、私の話に耳を傾けていた。


「……そっか。セレは……一人で、よく頑張ったんだね」


ぽつりと、低く、優しい声で言ったかと思うと、ふわりと私を抱きしめた。


「これからは、もう心配いらないよ。僕が、ずっと側にいるから」


……少し話の方向性が見えない。もしかして、私が“可哀想な妹”に見えたのだろうか。


「クロ兄様、今はもう、ちゃんと幸せよ? お仕事もそれなりにやれてるし」


私がそう返すと、彼は少しだけ強く、けれど決して乱暴ではない力で、私をさらに引き寄せて抱きしめた。


「セレは、僕の前では……素でいていいから」


――素、か。


なんだか、胸の奥にあった何かが、ほんの少し崩れる音がした。思えば、私はいつの間にか、自分を“しっかりした大人”のように見せ続けていたのかもしれない。だけど、まだ十四歳なのだ。たった十四年の命で、背負うには少し重たすぎる日々が続いていたのかもしれない。


その言葉に、安心したのか、頬に熱いものが伝い始めた。


気付けば、私はクロードの胸元に顔を埋め、声も出せぬまま、涙をこぼしていた。彼の服をしっかりと握ったまま、言葉にならない思いがただ溢れて、溢れて――止まらなかった。


気づいた時には朝になっていた。


柔らかな陽が差し込む部屋の中、私はまだ晩餐用のドレス姿のままベッドに横たわっており、横にはクロード兄様が座っていた。


「……!? えっ、えぇっ!?」


驚いて跳ね起きると、クロードは苦笑いしながら、


「ごめん。昨日、泣きながら服を掴んだまま寝ちゃったから、動けなかったんだ」


顔が熱い。全身が恥ずかしさで焼ける。思わず布団を頭からかぶり、声にならない叫びを押し殺した。


――恥ずか死ぬ……!


本当に、穴があったら入りたい朝だった。


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