第五十一話 始まりの朝
王城内の一角に新設された後方支援局。その扉の前に立った私は、思わず深く息を吸い込んだ。何度も通ったはずの場所なのに、今日ばかりはやけに重々しく、扉が一回り大きく見えた。これまでの準備期間とは異なり、今日からが本当の始まり。局長としての責任の重さが肩にずしりとのしかかる。
ノックを二度。扉を開けて、一歩踏み出した。
「本日より、後方支援局局長として勤務させていただきます。セレスティア=サフィールです。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。」
頭を下げて、顔を上げると、そこには見慣れた仲間たちの顔が並んでいた。けれど、なぜだろう…その誰もが、どこか微妙に表情がゆるんでいて、まぶたが少し赤いような…。
「えっ、何かあったんですか?なんか…皆さん目が浮腫んでるような?」
そう尋ねると、レオナとエリーナ、そしてミオナの目元に手を添えて、そっと治癒の魔法をかける。ふわりと光が瞬いて、彼女たちの表情が少しやわらいだ。
「昨日、局長の卒業式だったじゃないですか。皆で陰から見てたんです。その時に…あんなに泣いている姿を初めて見て、つい…つられてしまって」
アレクサが苦笑交じりに事情を説明してくれる。
「…あぁ、やっぱり見てたんですね。恥ずかしい…あの顔で壇上に立つ羽目になるなんて思わなくて…」
そうこぼすと、ミオナが静かに、でも確かに言った。
「でも、感動しました。セレスティア様が…あんなふうに泣くなんて初めて見て…年下なのに、ずっと誰よりも前を向いて、走り続けてたんだなって…やっと気づいたんです。」
もう涙は終わり、と思っていたのに、また胸が熱くなる。
「昨日の泣き顔、可愛かったですよ。目を真っ赤にして鼻をくすんとさせて…思わず駆け寄って抱きしめたくなりました」
エリックがからかうように言ってくるので、思わず頬が熱くなる。
「…皆、来てくれてたんですね。本当にありがとうございます。」
そう言って自分の席へ向かおうとした時、扉が再びノックされ、ハルシュタイン侯爵と、抱えきれないほどの大きな花束を持ったエリオットが現れた。
「皆からの卒業祝いだ。遅くなってすまんが、受け取ってくれ。」
ちょっと気まずそうにしながら、ハルシュタイン侯爵が言い、横にいたエリオットが一歩前に出て、真剣な眼差しで花束を差し出す。
「セレスティア嬢、ご卒業おめでとうございます。これは俺たちからの…ささやかな、気持ちです」
そう言ったかと思うと、花束ごとぎゅううっと抱きしめられてしまった。潰れる花束、頬を赤らめる私。すかさず、ハルシュタイン侯爵がエリオットを引きはがしてくれたが、最近この人、距離感がおかしい…。
「エリオットさん、人前でいきなり抱きつくのは、誤解されますよ。癖は改めた方が…」
「癖って言われても…」と困惑する彼の横で、
「たぶん、本人に自覚ないのよね」「あれって恋愛対象って感じじゃないような」「誤解されるのも分かるけど…」と、女子メンバーたちがヒソヒソ。
まぁ、いい。とにかく、初出勤の日を無事に迎えられた。それだけで今日は十分だ。
席に荷物を置き、花束は侍女に頼んで飾ってもらった。
今日からは、私と同じように新たに入職したメンバーも加わっての本格始動。かつて面接で苦戦した記憶がよみがえる。とにかく「癒しの存在です!」「私の笑顔で元気を届けます!」という、ふわっとした希望者が多かった。
だが私は訊ねたのだ。「癒しとは?元気とは?それをどう届けるのですか?」と。
皆、目を潤ませて「そんな…酷い」と言っていたが、私は真剣だった。曖昧な言葉では、戦場にも災害現場にも行けない。癒しが必要なら、具体的にどんな力で、どんな場で、誰にどれほど届くのか、それを説明してもらわないと。
「ちなみに、王城内にはアニマルセラピーが導入済みです。子犬と子猫に勝てる自信があれば、また来てくださいね」
――と、静かに微笑んで送り出したのだ。
それでも癒しを必要とする声はあった。だから私は、学園や女学院の掲示板にこんなポスターを貼ってみた。
「求む!お花畑思考の方々。『私の笑顔で皆が幸せに』『私と一緒にいると元気になる』と思っているあなた。災害現場や討伐前線で、あなたの力を試しませんか?」
…通報は山ほど来たが、実際に面接に来た者は皆、例外なく「違います」と首を横に振った。なぜだろう。
結果的に、お花畑系は後方支援局から姿を消し、学園や女学院からも感謝された。でも私は――あの頃、癒しが欲しかったのだ。本気で。きっと、忙しさに押しつぶされそうだったのだろう。
今では、局内に猫を飼い始め、災害救助犬の育成も進めている。あのポスターを作った頃の自分を思い出しながら、私は会議室へと歩き出した。
ここからが、本当の始まりだ。




