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第三十二話 旅の終わり

カイゼナル国での滞在は、あっという間だった。ほんの数日だったけれど、なぜか随分と長く感じたのは、きっと密度の濃い時間だったからだろう。そして私は、その短さの裏にセリーヌ侯爵の深い思惑を感じていた。この旅の工程が、最初から綿密に設計されたものであったことは想像に難くない。外交使節団の名の下に、娘に何かを見せ、感じさせ、問う――そんな父親としての願いがあったのだろう。けれど、きっと予想外だったのは私の同行と、ルクリツ公国での出来事だったに違いない。


出発の日、港の風は穏やかで、それが逆に別れの寂しさを滲ませていた。セリーヌ侯爵と最後の挨拶を交わす時、私は深く頭を下げてこう言った。


「侯爵様、これからのご旅路が無事でありますよう、心よりお祈りしております。ナイラのことは、どうぞご安心くださいませ。大切にお預かりいたします」


そして私は、封をした一通の手紙をそっと差し出した。


「これは…この旅で感じたことを、ほんの少し綴ったものです。拙いものですが、もし馬車の中でお時間がありましたら、気晴らしにでも読んでいただければ幸いです」


そう言って先に船へと乗り込んだ。ナイラと侯爵様はしばし抱き合って言葉を交わしていたが、ナイラもまた、何やら小さな封筒を父親に渡しているのが見えた。


しばらくして、帆が風をはらみ、船は静かに岸を離れた。海の匂いとともに、これまでの旅路が遠ざかっていくのを感じながら、私は甲板に立ち尽くしていた。サフィール領に向かうこの船には、見知ったダレン商会の面々も乗り込んでいた。…多分、母様かセリーヌ侯爵が、すでに打ち合わせていたのだろう。帰り道まで用意されていたとは、さすがとしか言えない。


* * *


――セリーヌ侯爵・回想――


二人と別れを告げたあとの馬車の中、旅の次なる目的地に向けて私は沈思していた。ナイラとの別れは、いつになっても胸の奥がきしむ。今回は一緒に旅をした分、なおさらだった。そんな中で、懐から出てきた二通の手紙。どちらも、娘と彼女の友人からのものだった。


「セレスティアの手紙から読んで」とナイラに念を押されたのを思い出し、先にそちらを開封する。



---


セリーヌ侯爵様へ


この度の旅で多くの経験をさせていただき、感謝しております。


おそらく今回の旅程は、ナイラ様への“成長の機会”として侯爵様が贈られたものだったのでしょう。父親の仕事を肌で感じ、外交官としての心構えを養うために。ですが、想定外だったのは、私の同行とルクリツ公国の件でしょう。


あの国で起きた一件、そして公主と公爵による“侯爵様の取り合い”のような状況は、予定にはなかったはず。ナイラ様の内面を揺さぶるには十分でした。そしてあの自殺未遂の件まで……。


けれど、私たちは訪れた各国の暮らしや人々の営みをしっかりとこの目で見て、耳で聴き、心で感じ取りました。それがナイラ様の未来に繋がるはずです。


しばらくナイラ様は我が家でお預かりいたしますので、どうぞご心配なく。娘の心は複雑です。けれど、今でもきっと一番好きなのは侯爵様ですよ。


ご無事のお帰りを、心よりお祈りしております。


追伸:お土産、楽しみにしております。


――セレスティア=サフィール


読んだ瞬間、思わず手が止まった。誰にも伝えていなかったはずの、旅の意図を彼女は見抜いていた。それも、最初から――まるで全て見透かしていたかのように。少女の眼差しの鋭さと深さに、私は改めて身震いした。彼女のような存在を、国は放っておけないだろう。陛下や軍務卿が、ただの“サフィール伯爵家の令嬢”として扱えないのも当然だ。


そして次に、ナイラからの手紙に手を伸ばした。



---


お父様へ


久しぶりにお手紙を書くので、ちょっと照れくさいです。


セレスティアがきっと私の言いたかったことを、ちゃんと代わりに伝えてくれていると思います。


この旅で、たくさんの思い出をつくれました。そして、これからの自分に何が必要かも見えてきました。


お父様の“贈り物”、きちんと心に届いています。セレスティアと一緒に旅ができて、本当によかったです。ありがとう。


――世界で一番、お父様が大好きです。


無事に帰ってきてくださいね。




読み終えた瞬間、胸が軋んだ。堰を切ったように、涙が頬を伝った。娘の小さな手で綴られたこの言葉に、心が震えた。


どうしようもなく溢れてくる想いを、口を塞いで堪えるので精一杯だった――一生分の愛情を、このわずか数行に詰め込まれてしまったような気がした。


旅の疲れなど、何のそのだ。


今、私の心は、温かさと誇らしさと、そして少しの寂しさでいっぱいだった。


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