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第二十八話(エリオット視点

サラディアータ王国の王都を発って二日、我々の馬車は西に位置するルクリツ公国の城門へと到着した。元々この訪問は予定に組み込まれていたものではない。セリーヌ侯爵が、かつての友人でもあるルクリツの公女――リーリア嬢から「兄の様子がおかしい」と一通の書状を受け取ったのが発端だった。侯爵はその筆跡と内容に心を動かされ、急遽進路を変えたのだ。


ルクリツの現公――ライオネル公は、若くして家督を継いだ人物だと記憶している。先代がまだ健在だった頃、彼と共に魔石鉱山の視察に向かった際、突如として崩落事故が発生し、多くの命が奪われた。その中には前公主の姿もあり、ライオネル公自身も片腕と顔の一部を失う重傷を負ったと聞く。絶望の淵に立たされながらも、妹のリーリア嬢と支え合い、懸命に復興に努めてきた――そう聞いていた。


だが、謁見の間で私たちを迎えたのは、そんな経緯を忘れさせるような唐突な光景だった。扉が開いた瞬間、リーリア公女は礼の一つもなく、まるで幼子のように「おじ様!」と叫びながらセリーヌ侯爵の胸に飛び込んだのである。


一瞬、時間が止まったように思えた。場にいた全員が驚き、誰も声を出せなかった。侯爵はというと、困ったような、それでいてまんざらでもなさそうな表情でリーリア嬢の頭を軽く撫でながら、何とか宥めていた。


ふと視線を隣に移すと、ナイラ嬢が俯いて肩を震わせていた。最初は怒りかと疑ったが、どうやらその震えは感情の抑えきれなさからくるものだったらしい。顔を上げたその目は潤み、唇は強く結ばれていた。


――侯爵、気づいてください。お嬢さんの様子が明らかにおかしい。


その言葉を口に出そうとした瞬間、セレスティア嬢が一歩前に出て場の空気を切り替えた。場にふさわしい挨拶を端的に行い、即座にナイラ嬢の体調を理由に退出を申し出たのだ。あまりにも自然かつ堂々とした振る舞いに、私も気圧されるばかりだった。


翌朝、再び謁見を予定していたが、ナイラ嬢は体調不良を訴え、セレスティア嬢とセリーヌ侯爵が代表して再び城を訪れることとなった。道中、またしてもリーリア嬢が侯爵に飛びつこうとするそぶりを見せたが、今度はそれを先読みしたセレスティア嬢が素早く彼女の腕を取り、侯爵の前に出た。抱きつき損ねたリーリア嬢は一瞬「誰よ、こいつ」と言いたげな顔を見せたが、すぐに従者に連れ戻された。


そのまま、城に残る理由もないとして帰路に就こうとしたところで、何かの違和感を感じた。ふと城の高塔を見上げると、そこに一人の人影――ライオネル公が立っていた。そして、次の瞬間、その身体が塔の縁から投げ出されたのだ。


「ふざけんなあああああッ!」


セレスティア嬢の絶叫が響き渡り、同時に風の魔法が起動。落下していたライオネル公の身体が、ふわりと宙を浮かび、地上へと安全に下ろされた。その魔法は詠唱もなく、反応も一瞬だった。威力と精密さも尋常ではない。


私は、思わず彼女の腕を掴んでしまっていた。まさか……まさか、この子は本当に令嬢なのか? 窓から飛び降りようとするその身に、本気で背筋が凍った。


我に返って階段を駆け下りると、セレスティア嬢はもうすでに地上に降り立っており、水をぶっかけてライオネル公を正気に戻していた。


そこから先は、まるで舞台の一幕を見ているようだった。


「今朝じゃなくても良かったでしょう。なんでこのタイミングで飛び降りるの?」


「“悲劇の王子様”って書いたたすきを巻いて、城下町の中央で飛び降りたほうが人目を集められますよ?」


「そもそも顔は大したことな――」


次々に飛び出す言葉のひとつひとつが辛辣で、容赦がない。だが、どれも的を射ていた。気づけばライオネル公はうなだれ、反論もできず黙っていた。


これが……ハルシュタイン侯爵が語っていた“じゃじゃ馬”か。才知に長け、容赦なく、正論を口にし、人の弱さをえぐるようにして現実を突きつける。けれど、それは彼を救うためでもあったのだと、私には分かった。


彼女の中にある力――それは単なる魔法の力ではない。人の核心を見抜き、それを揺さぶる力だ。


宿へ戻ると、彼女はまるで背中を押すように「急いで」と荷造りを始めさせた。何かを感じ取ったのだろう。予感めいたものに突き動かされているように見えた。


そして、出発して間もなく。背後から馬蹄の音が響いた。振り返ると、騎馬に乗ったライオネル公と、彼の義弟――サマイエル伯爵が馬車に追いついてきた。


話がしたいという申し出に、当然セリーヌ侯爵が出るものと思われたが、セレスティア嬢がすっと前に出て「私が」と言った。


彼女が差し出した手を、私は条件反射のようにエスコートしようとした。だが、やんわりと手を払い、一人で馬車を降りていくその姿に、どこか覚悟のようなものを感じた。


あぁ、この背中について行きたい――きっと将来、そう思う者が何人も現れるだろう。そんな未来が、ふと頭をよぎった。


彼女は、謝罪の言葉だけを受け取り、晩餐の誘いをきっぱりと断った。その態度には、ナイラ嬢を守りたいという強い意志が込められていた。


馬車に戻ると、セレスティア嬢はナイラ嬢をそっと抱き寄せ、その背を撫でていた。その手は優しく、そしてどこまでも静かだった。


その姿を見て、私は心のどこかで思っていた。


――やはり、ただの令嬢じゃない。彼女は、この時代に必要とされる存在なのだ。


そして私は、そんな彼女から目を離せずにいる。

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