第二十五話 茶番劇の後始末
さっさと宿を出る準備をして、私たちは宿を早めに出発した。荷の積み込みも済ませ、あとはナイラの体調を確認するだけだった。昨夜はかなり落ち込んでいたけれど、今朝には顔色も少し戻っていたので、無理をさせないようにとだけ念を押して、馬車に乗り込む。
……とにかく、さっさと公国を離れてしまいたかった。
けれど、現実はそんなに甘くない。
馬車が動き出して間もなく、「お待ち下さい!」という声が、乾いた空に響いた。
……嫌な予感しか、しない。
思わず目を閉じたくなる気持ちを抑えつつ、窓越しに外を覗くと、そこには先程、塔から飛び降りて風魔法で救出した、仮面の公主ライオネルと、その義弟であるサマイエル伯爵が騎馬で並んでいた。
「……何かあったのだろうか?」
戸惑いながらセリーヌ侯爵が私を振り返ったので、私は大きくため息をついて答えた。
「わたくしが対応いたします。ナイラ様とセリーヌ侯爵様は馬車の中でお待ちください。話が終わり次第、すぐに出発します。エリオットは――」
言いかけたところで、エリオットが無言で手を差し出してくれたが、私は首を横に振って、その手を取らず、一人で馬車を降りた。
……まぁ、案の定、彼は後ろから黙ってついてきたけれど。
石畳の上に立つ彼らに向かって、私はなるべく淡々とした声で話しかけた。
「どうなさいましたか? 忘れ物など、なかったはずですが?」
すると、ライオネルは一度だけ息を吸って、伏し目がちに言った。
「……すまなかった。愚かだった。君の言葉で、自分がどれだけ甘えた世界に浸っていたか思い知った。本当に……ありがとう。目を覚まさせてくれて」
「……謝罪は確かに受け取りました。では、これで失礼いたします」
そう言って、踵を返し、馬車に戻ろうとしたそのとき。
「――待ってくれ!」
背後から呼び止める声が飛んだ。
「謝罪の意も込めて、ささやかな晩餐会を開きたい。ぜひ来て欲しいんだ。……リーリアも、侯爵と話がしたいと言っていた」
その言葉を聞いた瞬間、私は立ち止まり、振り返りもせずにふぅっと大きくため息を吐いた。
「……はあ。何をおっしゃっているんです?」
振り返った私の顔に、もはや笑顔はなかった。
「こっちはね、これからの予定がぎっしり詰まってるの。あなたたち兄妹の“悲劇のごっこ遊び”に付き合ってる暇なんてないのよ。今朝のあれは何? 茶番にもほどがあるでしょ。しかも、それに巻き込まれたのはこっち。親友のナイラは、あなたたちの“気まぐれ”のせいで深く傷ついたの。……それでも、まだ“晩餐会”とか言える神経、どこから湧いてくるのかしら?」
ライオネルが何か言いかけたが、その前に続けた。
「それにね、リーリア公女様が“話がしたい”って? それ、また父親を奪おうとするための方便じゃないんですか? いい加減にして。ナイラをこれ以上巻き込み、傷を抉るのはやめていただける?」
彼らの口が閉じていくのを確認して、私は最後に静かに言った。
「……どうぞ、お二人兄妹で“悲劇の主人公”ごっこ、続けてくださいな。お似合いですわ」
そう告げて、私は踵を返し、二人を残して馬車へと戻った。
セリーヌ侯爵は私の顔を見て、なんとも言えない苦笑を浮かべていたが、何も言わなかった。
ナイラは、目に涙をためたまま、何も言わず私の胸に飛び込んできた。
「……よしよし。もう大丈夫よ」
私は静かに背中を撫で、彼女が落ち着くまでそのまま抱きしめ続けた。
外では、ライオネルがどんな顔をしていたのかは見えなかった。でも、窓越しに見えたその姿は、ただ黙って立っているようにしか見えなかった。
その隣でセリーヌ侯爵は、深く沈んだような表情をしていた。娘の心に、自分が気づけなかった傷があったこと。その重さを、ようやく理解したのだろう。
その顔を見て、私は無言で彼をじっと睨んだ。
……しっかり反省しなさいよ、おじ様。
少しばかりきつい視線を送りながら、私はナイラの頭を優しく撫でて、馬車の揺れに身を預けた。
出発の号令がかかり、馬車は再び走り出した。
過ぎ去っていくルクリツの町並みに、私はもう未練も振り返る気もなかった。
――もう、終わったのだから。




